4歳の時、はしかが原因で鼓膜が破れ、

聞き取りが人より困難だった母は

 

小さい頃いじめにあったことで、

人が自分を見ながら話していると

自分の悪口を言っているのではないかと思う様になり、

被害妄想が強くなっていった。

 

 

ジュンヌが子供の頃の母といえば、

いつも体調が悪く、

煎じ薬を飲んでいて半病人のような姿が浮かんでくる。

 

 

子供に対しても

あまり言うことを聞かないと

自分がバカにされていると思うのか

いつも怒っていた。

 

 

父が旅行に連れて行こうとすると

必ず第一声は「行きたくない」とそっけなく答える母。

 

そんな母の性格を一番良く知っていたのは父で、

「行きたくないったって連れて行くから!」と

いつも一緒に連れて行く。

 

 

毎回同じやり取りが繰り返されるが、

旅先では父より楽しんでいる母。

 

 

子供のような性格を許していたのも父だった。

 

むしろ、母にとって父は保護者的存在だったのかもしれない。

 

  

そんな母も父が亡くなると

痴呆症がだんだん進んで行った。

 

 

最初の頃は、父の写真を見るにつけ

 

「じいさん、私を一人残して何故行ってしまった・・・」と

いろんな替え歌を作って毎日歌っていた。

 

 

 

ある日、母が出かけたまま夜になっても帰ってこなかった。

近所の人達も探してくれたがどこにもいない。

 

 

夜の12時を過ぎた頃、近所のお店に電話が入った。

 

 

母が隣の県で見つかったという。

お財布に入っていたレシートから店に連絡が入ったようだ。

 

 

小雨の降る肌寒い春先だったが、

何事もなく無事に帰ってきて皆が胸をなでおろした。

 

 

 

この事件以来、母のポケットにGPSをつけさせていたが、

ほとぼりが冷めた頃

また事件は起きた。

 

 

たまたまGPSをつけていなかった。

 

 

今回は、夜中の2時を過ぎても見つからない。

昼間の軽装で出かけていたので、

夜中の寒さに耐えられるだろうかと皆が心配した。

 

 

誰しもが今回はだめかもしれないとどこかで思いながらも

必死で祈った。

 

 

夜中の3時を過ぎた頃、

見つかって病院に運ばれたと連絡が入った。

 

34度の低体温だったため、

85歳を超えた母の身体の機能が復活するか心配された。

 

 

幸いにも内蔵に大きな影響もなく退院してきたが、

一番ショックを受けたのは弟のお嫁さんで、

 

母の姿が少しでも見えなくなると

この時のことがフラッシュバックのようによみがえってくると言っていた。

 

 

 

認知症が進むに連れて

感情の調整がだんだん効かなくなり、

自分の感情をストレートに出すようになった母。

 

 

信号待ちをしていて青になりすぐ動かないと怒り、

乱暴な運転をする人を見るとすごい剣幕で怒る。

 

 

いちいち感情がむき出しになっていった。

 

 

嬉しいと子供のように喜ぶ。

 

一緒に歌を歌ったり

おどけてみせたりするとすごく喜ぶので、

子供をあやすように接した。

 

 

 

デイサービスにも行くようになり、

帰りは送ってきてくれるのだが、

若いお兄さんと腕を組んで嬉しそうに帰ってくる。

 

いくつになっても女性なんだなーと微笑ましかった。

 

 

そんな母は、

感情を抑えることなくストレートに出すことで、

昔のようにストレスがたまらないのか、

病気はもちろん風邪一つ引かなかった。

 

 

認知症が進むにつれ、

だんだんと幼児化していき

自分の子供のこともわからなくなっていった。

 

 

食事もしなくなり、

お医者さんから最低でも500カロリーは

摂取するように言われていた弟のお嫁さんは、

毎日摂取したカロリーをノートに付け、

乳児に接するように記録を残していた。

 

 

それでも気に入らないとどこにそんな力があるのだろうか

と思うような力で叩いたりする。

 

 

いよいよ口から摂取させるのが難しくなり

点滴をしなければならなくなり病院に入院した。

 

 

92歳の誕生日を前にして

父が旅立ってから10年後に

蝋燭の火が消えるように人生の幕を閉じた母。

 

 

10年間、

だんだんと赤ちゃんに戻っていく母を見ながら

 そんな母を愛おしいと思えた。

 

そして、

最後の親孝行をさせてもらえたことが嬉しかった。