父は80歳の誕生日が近づくにつれて体が弱っていった。

 

両親の結婚は終戦の混乱期にあって

当然結婚式はあげていなかった。

 

両親は同い年だったこともあり、

父の80歳の誕生日にあわせて

2の結婚式をしてあげようと

弟のお嫁さんの発案に同意して子どもたちで準備していた。

 

 

 

ところが父は80歳の誕生日を目の前にして

突然倒れてしまった。

  

せっかく予約していた宿もキャンセルし、

看病が始まった。

 

 

父は80歳という年齢にこだわりがあった。

 

自分の家系の男性がほとんど80歳で亡くなっていることもあり、

80歳が近づくに連れて

身辺整理をするようになった。

 

70歳を過ぎた頃から

80歳までに・・・」という言葉を頻繁に使うようになっていた。

  

大学ノート3冊に自分が生きてきた証を綴り、

自分や夫婦の似顔絵も描いて

額に入れて飾った。

 

 

2回の海外旅行も

ビデオを撮りまくり、

編集したものがたまっていった。

 

 

 

しかし、

歩行もだんだんと難しくなってきていた。

 

 

 

ある日

両親を車に乗せてお寿司屋さんに連れて行った時、

玄関で父が何かにつまずき転びそうになった。

下はコンクリートである。

  

とっさに私の身体が動いて

父の前面に回った。

しかし体重を支えきれず、

父の下敷きになった状態でコンクリートの上に倒れ込んだ。

 

 

当然父は手も出ない状態だったので、

そのまま倒れていたら顔面からコンクリートに激突したかと思うと

私がクッション代わりになれてよかったとホッとした。

 

ちょっと恥ずかしかったが、

何より父を怪我させなくて良かったと思った。

 

 

80歳の誕生日が過ぎると

症状は悪化していき

歩くこともままならなくなり、

寝たきりの状態になってしまった。

 

 

その頃には母も認知症が出始めていて、

弟夫婦だけでは看病が大変だったため、

妹と交代で東京から両親のお世話に帰るようになった。

 

 

弱っていく姿を見ながら

父が呪文のように言っていた80歳の年に

人生を終わらせたくない。

 

81歳の誕生日を迎えさせたい。

私は父の寿命に挑戦することにした。

 

 

呼吸も段々大変になり

自宅介護では間に合わなくなったため

入院することになった。

 

 

弟から

「医者から延命治療についてどうするか聞かれたが、

自分一人で決められないので来てほしい」

と電話がかかってきた。

 

  

すぐ駆けつけ、

延命治療の話を聞いた。

喉を切開して管を通して直接栄養を送るということだった。

 

 

「こんな体力がなくなっている病人に麻酔は無理でしょう?」と聞いた。

「意識がなくなった時点で切るので麻酔はしません」とお医者さんが言った。

 

 

私はその時、

父はそこまでして命を永らえることを望むだろうかと思った。

 

元気になる可能性があるなら

どんなことでもしてあげたいが、

ただ命を伸ばすことは、意識はなくても魂は喜ばないはずと思い

 

「延命治療はしないで自然に終りを迎えさせてあげたい」と答えた。

お医者さんは「わかりました」と返事をした。

 

 

父は口から食べ物を食べられなくなり、

時々濡れた脱脂綿で口を濡らしてあげると

のどが渇いているので赤ちゃんがおっぱいを吸うように

水分を吸った。

 

 

ある時、

隣のベッドのおじいちゃんの付添の人が

「おじいちゃん、お饅頭食べるかい?」と聞くと

父が、「うん、うん」とうなずいていた。

  

よっぽどお饅頭が食べたいのだろうなと

可愛そうになった。

  

 

1年が経ち、父の誕生日の7月がやって来た。

ついに81歳になれた。

父が決めていた80歳という寿命に私の思いが勝った。

  

しかし、酸素吸入もだんだんと苦しそうになってきた。

 

  

ある夜、

病院からの電話が鳴った。

「そちらに純子さんはいらっしゃいますか?」

「お父様が名前を読んでいるのですぐ来てください!」

  

私は母を車に乗せて急いで病院に向かった。

 

 

父はニコニコしながら何かを言っているが聞き取れなかった。

 

 

そして数日後、父は静かに虹の橋を渡っていった。

最後に「純子」と呼んでくれたことがとても嬉しかった。

 

「やっと楽になれたね!」「ありがとう」