一時帰国した際、

一度も日本を出たことのない両親を連れてパリに戻ってきた。

 

 

何十年ぶりだろうか

親子で川の字になって寝たのは・・・

 

なんだか子供にかえったような

妙に懐かしい気持ちが甦った。

 

 

朝市で果物を買い、

パン屋さんで焼きたてのパンを買った。

 

カフェオレとパンの朝食にも

抵抗なく美味しそうに食べる両親を見て

意外と順応性があることに安心した。

 

 

できるだけパリを味わってもらおうと

地下鉄や徒歩で移動していたが、

 

リュウマチの兆候が出ていた父は

膝が痛いと行って歩くのがちょっと辛そうだった。

それでも文句を言わず、ゆっくりとついてきた。

 

 

それに反して

母の行動には驚かされることがあった。

 

 

電車を乗り継いでベルサイユ宮殿に行く途中、

乗り継ぎ駅で電車を待っていると、

 

 

突然

母が「どうぞ」「どうぞ」と日本語で言いながら、

そこで待っている人たち皆に

飴を配っているではないか!

 

思わず笑ってしまった。

 

 

もともとフランス語なんて頭にない母にとっては、

人種の違いとか言葉が通じないという

感覚がないのかもしれない。

 

 

子供の頃、

無関心な父に対して

「愛情がないのかもしれない」と思っていたため、

距離を保っていた自分がいた。

 

 

母は4歳の頃、はしかにかかり、

耳の鼓膜が破れてよく聞こえなかった。

 

それが原因で子供の頃いじめられたらしく、

人が自分の方を見て笑いながら話していると

悪口を言っているのではないかと

被害妄想になり、いつも半病人のようだった。

 

 

そんな母は、東京にも一人では行けず、

いつも父の庇護のもとにいた。

 

 

母と言い争いになると

父は母をかばって子供を叱った。

 

母にとって父は保護者的存在だったように思う。

どこへ行くにも一緒に連れて行った。

 

 

 

そんな両親との10日間に渡るパリ共同生活も終わり、

日本に帰る日が来た。

 

 

もちろん両親だけで帰るわけで、

なんだか不安を感じ、

空港で同じ便の日本人に両親をお願いした。

 

 

それでも心配で、

出国のチェックカウンターまでついていってしまった。

 

 

両親を見送った後、

なんだか胸がキュンとして

わけも分からず涙が出てきた。

 

 

 

両親も

飛行機に乗ってから、

「純子をこんな遠い国に一人で残して行くのは可愛そうだな!」

と話していたことを後になって知った。

 

 

実際にパリに来るまでは、

パリを距離的に理解していなかったのが、

12時間も飛行機に乗って来た国は、

遠かったと初めて実感したのかもしれない。

 

 

寝食を共にした10日間は、

忘れていた親子の絆を再確認した旅になった気がする。

 

 

この旅行をきっかけに、

好奇心の強い父は、

毎年2回ツアーを組んで海外旅行をするようになり、

80歳で病に倒れるまで続いた。

 

 

いつも、

「次は○○に行くから」と父が言うと

母は決まって「行きたくない!」と繰り返す。

「行きたくなくったって連れて行くんだよ!」

 

毎回こんな会話をしながら連れて行かれる母。

 

ところが行った先では一番楽しんでいる。

 

 

海外旅行で行った国の数は、

ジュンヌより多い。

 

そんな楽しみのきっかけを作ってあげられたことで、

少しは親孝行ができたのかな・・・?!