架空の戦国武将・一文字秀虎を主人公にその晩年と3人の息子との確執を見事な色彩で表した『乱』
1985年(昭和60年)に公開された、日本とフランスの合作映画である。
監督は世界的に有名な黒澤明監督、衣装デザインは、ワタエミさんであり、
衣装デザイン部門でアカデミー賞を受賞した。
物語の骨格は、ウィリアム・シェイクスピアの悲劇『リア王』であり、
毛利元就の「三本の矢」の逸話なども取り入れられている。
この映画は、戦国の武将一文字秀虎が三人の息子に家督を譲り渡すことから始まり、
三人の子供達の性格や心、波乱の運命を色によって見事なまでに使い分けている。
三人に使われた衣装の色は黄・赤・青の三原色であり、
その色の持つイメージと三人の性格が物語をわかりやすいものにしているように思える。
太郎は黄色、次郎は赤、三郎は青と着ている衣装から、軍旗に至るまで同じ色で統一されている。
黄色は、「希望」や「陽気」のプラスイメージを持ちながら、
反面「未熟」という幼児的依存心のイメージも持っている。
「くちばしが黄色い」という言葉もあるように、
長男太郎は、温和な性格ではあるが依存心が強く、女房と弟次郎の策略に身を滅ぼしていく。
次男の次郎は、赤色を身につけている。
赤色は「情熱」などのエネルギーの強さを表すが、
度が過ぎると「怒り」や「狂気」へと転ずる危険な色とも言える。
兄・太郎の権力とその女房まで横取りした次郎は、
もっともエネルギッシュであるが、短気で激しやすく、出陣した先で逃げ場を失っていく。
青色の三郎は、父・秀虎を追放して争う太郎と次郎を遠くから見ていたが、
正気を失った父親を助け出すために次郎の赤い郡勢と戦う。
青色は、「理性」「冷静」の象徴であるが、赤の動的なエネルギーに対しして、
静的で受身な要素も持っている。
三郎は、激情にかられて無謀な行動には出ないが、
その分受身になり、次郎の手先によって暗殺される。
三郎の亡骸の傍らで、側近の武将が叫ぶ
「愛と憎しみで、殺し合いを繰り返す人間の愚かさに、神も仏も手の施しようがないのだ!」
色彩の三原色は、混ぜることにより全ての色を作り出せる要素を持っている。
その意味で、三人が協力し合えば、無限の可能性を持つことができたのだろうに、
それぞれがほかの兄弟(色)を受け入れないエゴは、愛憎にまみれて滅びていった。
この映画の登場人物の衣装の色を三原色にしたのには意味があるのだと思う。
他の色と混ぜれば、ほかの色に変わっていく。
A+B=ABではなく、A+B=Cになる。
つまり、黄+青=緑になり、新たな可能性を含む色が生まれる。
単色のまま他の色と交わらないということで、
エゴのままでぶつかり合う兄弟の確執を表したかったのだろうか?
その中で唯一生きのびたピーター演じる道化役の美しい小姓。
彼は色とりどりの衣装を着て現れる。
その衣装の色は、誰とも対立せず、誰とも同化しない小姓の心を
表しているかのようにその時々で変わっていく。
かつて日本にこれほどまでに色の効果と衣装に神経を注いだ映画があっただろうか?
そういった意味で、ワダエミさんの衣装デザイン部門のアカデミー賞は
誇れるものだと思う。
ストーリの心理描写を踏まえた色の効果は、映画に深みをもたらして、
作品を一層豊かにしているのではないでしょうか。
(参考資料・末永蒼生著「色彩自由自在」より)







