日本は、第二次世界大戦の終わりとともに、苦しい生活を乗り越え、

めまぐるしい発展をとげてきた。

そんな時代背景から生まれたファッションを中心に

流行色の変化を見て行きたいと思います。


 

1950年代

第二次世界大戦が終わり、混乱の中からも新しいものが

発芽しようとしていたエネルギーに満ちた時代です。

また、そうせざるを得ない時代だったとも言えるのではないだろうか。

この時代は、世界が新しい方向へ向かう中で、

アメリカから日本にいろんな文化やファッションが入ってきて

大衆向けのファッションや、流行が出現した時代である。

そして、若者の生活に大きな変化と影響を与えた時代でもある。


 

ファッションでは、「アメリカンルック」が全盛となり、

ロックンロールが生まれ、ポニーテールやサーキュラー(円形)スカート、

水玉などの「50年代スタイル」が若者の間で生まれた。


 

『ヘアースプレー』1962年当時を表した映画であるが、

この中で、パステルカラーの「アメリカンルック」があふれている。

アメリカの’50~’60年代の若者の考え方や流行が見られる素敵な作品である。


 

 

 

また、オードリー・ヘップバーン主演の

「ローマの休日」「麗しのサブリナ」などがヒットし、

「スクリーン・モード」が流行した。

その中でオードリー・ヘップバーンが着ていた、

フレンチスリーブや、サブリナパンツは、とてもキュートで、

現在でもファッションの中に取り入れられている。

 

 
 

この当時のオードリー・ヘップバーンは、

若者にとってミューズ的存在だったに違いない。


 

この時代の「スクリーン・モード」の影響は大きく、

映画「赤と黒」や、「赤い靴」から、赤と黒が注目され、

アメリが映画「初恋物語」の主人公が着ていたドレスの色

「モーニングスターブルー」が流行した。


 

 

また、パリのモード界では、クリスチャン・ディオール

ニューモードが話題になり、Aライン、Yラインなどの

新しいシルエットが流行した。

ニューモードは、「スクリーン・モード」としても大きな影響力を及ぼした。


 

日本にとっては、欧米から入ってくる文化やファッションは

新しく新鮮で、特に若者たちの心を躍動させたに違いない。

欧米から入ってくる若者の世界は、

刺激的で、甘美なものに写っていたのではないだろうか?


 

日本国内では、日本流行色協会(JAFCAが設立され、

「ツートンカラー」などの流行色が生まれた。

また、皇太子ご成婚記念として1959年に、JAFCAより、

「慶祝カラー」が発表され、流行色の発信が始まった。

当時テレビは、白黒だったので、この慶祝カラーは、

国民の喜びの色ともなったのではないだろうか。




  
 

 
 

 

日本の映画界では、

石原慎太郎「太陽の季節」1956年がヒットし、

石原裕次郎演じる若者たちのヘアースタイル「慎太郎カット」などが流行した。



 




流行色としての赤の存在は、

国民全体のエネルギーの色とも言えるのではないだろうか。

19501960年代、この時代は、若者のエネルギーが

最も熱い時代でもあったとも言える。

その矛先が、大人への反抗心だったり、

無鉄砲な行動となって発散されていた時代でもあるようにも思える。

そのエネルギーは1960年代にも続いていく。




次回1960年代をお楽しみに!

1950年代は、映画も白黒が中心だったので、色を出せないのが残念です。