安部公房

『砂の女』

日常の檻に飼い慣らされる私たち――

『象』の別役実が描いた「傷」と、安部公房が描いた「同化」の生存戦略




前回の記事では、別役実の『象』を通して、「何者でもない自分」に埋もれることを恐れ、自らの「傷」をコンテンツ化して世界に抵抗しようとする人間の自意識を描きました。


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傷つくことでしか他者と繋がれない男の狂気は、現代のSNS社会の病理とも地続きです。


しかし、ここで一つの疑問が浮かびます。

もしも世界への抵抗すら無意味化されるような、圧倒的な「不条理の檻」に閉じ込められたとき、人間の「業」はどこへ向かうのでしょうか。


そのもう一つの生存戦略の極致を描いたのが、今回ご紹介する安部公房の傑作『砂の女』です。本作は小説としての完成度はもちろん、映画・演劇の枠組みでも世界中に衝撃を与え続けてきました。



Ⅰ. 砂の圧倒的な物質感と、理性の摩耗




主人公の教師・仁木順平は、休暇中の昆虫採集という「日常からのささやかな脱出」の途上で、理不尽にも砂穴の底の一軒家に監禁されます。そこには、一人で暮らす奇妙な「女」がいました。


ここで描かれるは、単なる背景ではありません。着物に入り込み、皮膚を摩耗させ、あらゆるものを風化させる、休むことのない「流動する不条理」そのものです。


1964年の映画版(勅使河原宏監督)では、モノクロの張り詰めた映像美の中で、女の汗ばんだ肌に容赦なく付着する砂の粒子がクローズアップされ、人間の理性が物質によって剥ぎ取られていく様を、エロティックかつ不気味に描き出しました。


また、これが演劇として舞台化されるとき、観客は「ただ崩れ落ちる砂を掻き出すだけ」という不毛な肉体労働をナマの空間で共有することになります。脱出不可能な環境下で、剥き出しになっていく人間の「生への執着=業」が、読者・観客の喉をザラザラとした渇きで満たしていくのです。



Ⅱ.『象』と『砂の女』:真逆のベクトルが導く「自意識」のシンメトリー


ここで、別役実の『象』と安部公房の『砂の女』を並べてみると、人間の「業」が持つ恐ろしいシンメトリー(対称性)が浮かび上がります。


『象』の男は、他者からの視線を激しく求め、自分の傷を見せびらかすために病室という檻から「外の世界へ飛び出そう」と命を削りました。「何者かでありたい」という強烈な自己顕示の業です。


対して、『砂の女』の仁木順平が選んだ生存戦略はその真逆、「檻の中への完全な引きこもり(同化)」でした。


最初は激しく抵抗し、必死に脱出を試みていた順平。しかし物語の終盤、彼は砂穴の底で「砂から水を採取する装置」を偶然発見します。そして、いつでも外へ逃げられる縄梯子が目の前に放置されているにもかかわらず、彼は「逃げるのは、明日でもいい」と、自らの意志で穴の底に留まることを選択するのです。


外の世界にあった「戸籍」や「教師としての社会的地位」をすべて奪われ、完全な「何者でもない自分」に落とされた男は、砂の底で独自の「役割」を見つけた瞬間、そこを終の棲家として受け入れました。



Ⅲ.私たちはみな、自分の「砂の穴」を愛してしまう


これは不条理への屈服でしょうか? それとも、奇妙な救済でしょうか?


私たちは時に、ブラック企業や、機能不全の人間関係、あるいは自分を縛り付けるルーティンワークという名の「砂の穴」から「抜け出したい」と口にします。しかし、その穴の中で自分だけの小さな役割や、ささやかな生存戦略を見出してしまったとき、私たちはむしろその檻を愛し、自ら進んで同化していくのではないでしょうか。


「逃げる切符は、いつでも手に入る」と確信したとき、男は外の社会を彷徨う偽物の自由よりも、檻の中で家畜のように生きる「確実な役割」を選んだ。これこそが、人間の持つ最も安易で、最も根深い「業」の正体なのです。


『象』の男が「傷」によって世界をコントロールしようとしたように、『砂の女』の男は「檻の受容」によって精神の平穏を保ちました。


外へ向かって狂気を叫ぶか、あるいは内側へと引きこもって同化するか。アプローチは違えど、どちらもままならない不条理な世界を生き抜くための、人間の哀しくもしたたかな「業」の姿に他なりません。 



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Case Study: Woman in the Dunes

『砂の女』

1964年(日本)

監督: 勅使河原宏

原作・脚本: 安部公房




砂丘の底に埋もれた奇妙な村を舞台に、理不尽に監禁された男の脱出劇と、過酷な環境下で剥き出しになっていく人間の生存本能を、モノクロームの圧倒的な映像美のなかに描き出した不条理映画の最高峰。


休暇を利用して海岸の砂丘へ昆虫採集に訪れた教師・仁木順平は、村人に案内されるがまま、砂の崖の下にある一軒家に泊まることになる。そこには、常に崩れ落ちてくる砂を毎日一人で掻き出し続ける奇妙な「女」が暮らしていた。翌朝、男が帰ろうとすると、降りてきた縄梯子は外されており、自分が労働力として砂の穴に閉じ込められたことを知る。激しく抵抗し、必死の脱出を試みる男だったが、流動する砂との不毛な闘いと、女との奇妙な共同生活を続けるうちに、男の精神と「生への執着」は次第に変容していく。