父の日の思い出を教えて! | コロナ以降の生き方は☆自己否定のブレーキ外しから!数秘術人生相談!みたらい敏子・ぴよ

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ご相談者様のお気を引き立て 八方塞がりの人生の壁に風穴をあけ‼️みたいな 目出度いカウンセラー みたらい敏子・ぴよ 自称 宵っ張りの🦉フクロウ族です

今から76年前。第二次世界大戦・日本敗戦の 二か月まえの 六月二十二日。沖縄終結前日の未明・沖縄は摩文仁の丘の最突端で 牛島司令長官の元、一団の殉死を果たした中の一人に父 は 居た。それをこの目で しっかりと確かめられたのは ぴよ六十八歳・戦後 五十八年目後のことでした。
何故って 摩文仁の丘の最突まで行ったとき 海に向かう二基の 石塔に出逢ったからでした。

説明によれば 2000年・故小淵首相がひらいた 沖縄サミットの年に 石碑は建立されたものだそうで。
その年、長年の悲願でありました 父眠る 沖縄の土をぴよ🐤が踏むことができましたのは 靖国の遺族会主宰の慰霊団 に ふとしたご縁で 参加させて頂けたからでした。

その半世紀以上の前、父五十一歳 ぴよ🐤八歳のある日 南の島に出征する父と見送りの朝が来ました。

その時、父は ぴよ🐤を抱き寄せ 頭をなでなから、一と言 【人間 死んでも 死なないからナ】と言い残して 還らぬ人となりました。

その二年後 父は 町役場から届けられた カラッポの白木の箱になって帰って来ました。

【人間 死んでも 死なない‼️ 】

少女のその日以来 ぴよ🐤の人生は その【 謎 の言葉】の ???の 渦の中の堂々巡りから始まりました。(いま ここでは 途中経過は略させていたはだきますが)

ただ一つ・ 石塔に 刻みこまれた 父の名前を発見した瞬間 どん!と降り 胸を満たした 声とも 稲妻ともいえない 感慨は

魂は 永遠 不滅

という逆らえ得ない 認知 或いは 悟性 でした

だって 父は八歳のぴよ🐤と約束したことを、

何年たとうが、、58年の空白が存在しょうが

ネ‼️ 分かったかい、父はお前との約束を こうして果たしているよ✨

と 無言で 示し 現して下さっていたのですから

あと四日で 沖縄終結の日・その前日は父の祥月命日。
🦉フクロウぴよ🐤ちゃん

失礼な がら プライベートーとなこと 書かせて頂きました🙇🙏

お読み頂 き ありが とうございました

🦉フクロウぴよ🐤
みたらい敏子・ぴよ🐤拝