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レオヤナギさん!どちらへ?

ニュース、サッカー、音楽、etc..。自分自身のメモ帳がわりに書いて行くつもりです。転記の際、自分自身が内容を理解する為また記憶する為に、下線や色分けを独断でしております。


武田邦彦(中部大学)氏のブログより



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平成25年8月17日

     【普通の歴史コラム】
        「日本を取ろうとしたアーリア人の考え」


  「orandakokuoutdyno.346-(10:06).mp3」をダウンロード

1844年、中国でアヘン戦争が終わった直後にオランダ国王から徳川幕府の将軍宛の親書が来た。時の老中は前の年に天保の改革に失敗して退陣した水野忠邦に代わって、阿部正弘が老中の時代だった。


1844年 オランダ国王新書(幕府へ)

・・・(親書に書いてあったこと)このまま鎖国していると中国と同じようにイギリス、アメリカが戦争を仕掛けてくる。そうしたら植民地になる(親切に教えているというスタンス)・・・


日本人は「性善説」だから、オランダ国王が長いつきあいの日本を心配してのことと受け取るが、アーリア人はそうではない。当時、オランダで検討されたのは次のようなことだった。


・・・(オランダでの論議)このままでは日本はアメリカとイギリスに占領され、これまで250年間の国交と貿易の利益が無になる。日本を開国させれば少なくとも一部の利権は残る・・・


当然でもあるが、アーリア人はたとえ長い友人でも、自らの損得を優先する。そういう厳しい歴史を背負っているといっても良い。だから日本人のようにお人好しではない。これが歴史を見るときに日本人が間違うところでもある。

日本人は自らの道徳に反する反論に遭うと「そんなこと、言ってはいけない!」と激しく反応するが、アーリア人、中国人はまた別の考えなのだ。地球温暖化や生物多様性もそうだが、表面と真意は違う。

アジア、アフリカ、アメリカの中でそこに長くすんでいる人が独立していたというのは、日本だけ(シャムとエチオピアは特殊事情で除く)だったという事実はとても重要だ。





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武田邦彦(中部大学)氏のブログより



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平成25年8月16日

         「温暖化」という単語 (加筆あり)

  「tdyno.336-(11:43).mp3」をダウンロード

猛暑が続いているが、不思議なほど「温暖化」という言葉が出てこない。今の新聞やテレビはたいした事が無い時には毎日のように報道し、本当に危険になると報道しないという特徴がある。

原発もそうだった。事故の前は「法令で定められている濃度の100分の1」でも大騒ぎしていたのに、事故が起こって本当に危険になると報道はピタッとしなくなった。「影響が大きいから報道できない」ということだから、何のための報道かわからない。

「いままで経験したこともないほどの豪雨」も同じで、本来は「明日の予想は1時間100ミリを超えるので、**町は避難してください」と言うのが良いが、本当に豪雨が来そうな場合は、明確な報道をすると責任があるので、訳のわからないことを言って、何か事が起こると「警告はした」という責任逃れだけしておくということになる。


もともと温暖化は、

1)500年ごとの寒暖の変化で、今は温かい気候のピークだ、
2)今年は日本は暑いが、日本より暑いはずの東南アジアは普通の気温、
3)21世紀に入って12年になるが、気温は僅かに低下している、
4)IPCC(国連の温暖化機関)が大がかりなデータ偽造があった、
5)NHKや日経新聞を中心としてこれまで温暖化の誤報が相次いだ、


(ツバル報道、NHKの児童向けホッキョクグマの歌などの大規模誤報)などで動きが取れないのだ。


また、仮にCO2が温暖化の原因としても、国際協調ができない今となっては、「CO2を減らしても気温は変わらない。むしろどうやって自衛するかだ」ということもハッキリしてきたからでもある。

もともと、温暖化騒動は1988年にアメリカの上院で持ち上がったものだが、言い出しっぺのアメリカがさっぱりCO2削減に手を着けない(すでに24年も経つのに)ということの矛盾の説明ができなくなっていている。

日本は回りを海(熱容量の大きい水)に囲まれているから、中国やアメリカよりはるかに気温の変化は少ない。仮にCO2による温暖化が本当のことでも、最初に被害を出すのはCO2を削減せず、CO2の排出量が世界の2分の1にもなる中国とアメリカだ。そこが削減しない理由をもっと徹底的に考えなければならないのに、「地球に優しく」などという子供じみた(子どもに失礼だが)言葉を使って脳死状態に陥っているのも奇妙である。

今年の猛暑は、第一に都市化、第二に高気圧の配置、第三に地球全体の温暖化(太陽活動など)によるもので・・・お知り合いの先生から次のデータをお送り頂きました。今年はペルー沖の温度が低く、太平洋全体では日本の周辺の海水温が高いようです。(この部分を追加しました)

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数年前からハッキリと予想されていたのだから、政府や自治体は猛暑対策を準備しておかなければならなかった。そのころ、CO2を減らそう、エアコンを控えようなどと言っていたのだから、まったくダメな政府だ。

ところで、この猛暑で、しかもアベノミクスで工業生産も5%以上高くなっているというのに電気は足りている。電力会社も「節電」などと全体主義のようなことを言っていないで、もっと誠実に電気を社会に供給する努力をしてもらいたい。




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武田邦彦(中部大学)氏のブログより



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平成25年8月16日

  【普通の歴史2-4】「独立まで・・・日露戦争の影響」

  「nichiro02tdyno.344-(10:22).mp3」をダウンロード

個別の戦闘やその作戦などは日清戦争と同じく、多くの歴史書があるのでいつでも調べられる.私が考える勝因は、

 1)国を守ろうと必死だった日本政府と日本国民、
 2)乃木希典大将の軍人精神(どんな犠牲を出しても任務を遂行する)、
 3)日本海軍の訓練と下瀬火薬、

と考えている.

戦闘全体を詳しく説明しないとなかなか理解が難しいが、私のブログでは「反日日本人」と「常勝ニッポン」のシリーズで詳しく書いている。 二○三高地の戦いでは死んでも、死んでも日本軍は要塞に突撃して陥落させたので、その後のロシア軍は「乃木軍と戦って勝てるはずもない。相手は死んでも、死んでも突撃してくるから最後は自分たちが殺される」と恐れて逃げてしまった。つまり戦争とは「どのぐらい効率的に目標を取るか」ではなく、「何が何でも勝った方が勝ち」ということだ。 

東郷平八郎の海軍の方は、訓練に次ぐ訓練と下瀬火薬という世界でもトップの技術力でロシア艦隊を全滅させた。有名なヨーロッパの大海戦、レパント、トラファルガーなどと比較しても比較にならないほどの日本の大勝利だった。

この勝利で日本の独立が確定し、アジア諸国に与えた影響は実に大きいものがあった。


日露戦争の影響でもっとも大きいのは、ペリー艦隊が浦賀に来て以来、「日本は独立できるか」という心配がついに無くなったということである。しかも、陸軍も海軍も圧勝したので、お金は底をついていたけれど「簡単に日本を占領することはできない」ということは世界中が納得したからだ。


第二の影響は、アジア、アフリカ、アメリカの「非白人」の国はほぼすべてが植民地化、それとも白人の侵略に苦しんでいたので、その人達に大きな希望を与えたことである。



人間は頭脳も心もあるので、事実そのものも大切だが、その事実をどのように受け取ったかも同様に重要である。モンゴルがアジア大陸のほとんどとヨーロッパの東に侵入し、さらにその後、ヨーロッパにルネッサンスが訪れ、人間の力と精神が解放されて以来、世界的には常に白人が優位だった。

特に、ポルトガルとスペインが世界制覇をし、それに続いてロシア、オランダ、イギリス、アメリカが勢力を伸ばしていった400年間。有色人種は白人に勝つことができず、悲惨な状態に陥っていた。

多くの有色人種の国は「白人に戦っても勝ち目がない」とあきらめ、国内にはかならず白人にすり寄って自分だけ得をしようとする人が現れ、絶望のうちに人生を送っていた。

ところが、日本という東洋の小国がロシアという白人の巨大な国をコテンパンにやっつけたのだから、その衝撃は大きかった。「自分たちもやれるのだ!」ということがわかったからである。

トルコは今でも親日国であるけれど、トルコが日本を知り、親日国になったのはロシアをやっつけたこと、トルコの軍艦が和歌山沖で遭難したときに日本の漁民が命をかけて助けたことによる。トルコはロシアの南下に苦しんでいたからなおさら日本を見直した。

でもトルコはアジアでも特別な国で、オスマントルコという強い国を作った民族だから日本の勝利に勇気を取り戻したが、他の多くの有色人種の国は心の中で日本の勝利を喜んでも、なかなかそれが形(植民との解放)までには至らなかった。なにしろ白人の圧倒的な軍事力と過酷で巧妙な支配は簡単には覆すことができなかったからである。

それでも、「有色人種が白色人種の国に完璧に勝利して、ロシアは露骨なアジア進出ができなくなった」という結果はとても大きな影響を与えた。


日露戦争は日本にも当然ながら大きな影響を与えた。日露戦争が終わったのが明治38年。明治も終わり頃だった。日露戦争後、日本には次のような変化が起こった

1)明治に続く大正時代の繁栄と文化、
2)日露戦争を途中で止めて犠牲を払って勝ったのにそれほど良いことがなかったことに対する日本人の不満(外務大臣小村寿太郎への非難)、
3)日本もヨーロッパ勢と同じように力があれが外国を侵略しても良いという考えが台頭した、
4)日清戦争からの懸案だった朝鮮を併合した。


日露戦争のあと、近代日本の命運を決める2)や3)の考えがその後、どのようになったのかを整理して行く。







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