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レオヤナギさん!どちらへ?

ニュース、サッカー、音楽、etc..。自分自身のメモ帳がわりに書いて行くつもりです。転記の際、自分自身が内容を理解する為また記憶する為に、下線や色分けを独断でしております。


武田邦彦(中部大学)氏のブログより




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平成25年1月20日

     体罰考(8)「スポーツ教育の歪みと体罰」

「taibatu8tdyno.57-(12:38).mp3」をダウンロード


大阪の高校生の自殺については、その背景が非常に難しいので、直感的に結論を出すことは「危険」です。なぜ危険かというと私たちは個別の先生を懲罰するだけではなく、このような悲劇が起こらないように「罰したら終わり」ではなく、「罰することと改善すること」を分けなければならないからです。

それには「すべての事実を慎重に見て、考える」必要があります。これまで体罰考では7回に渡って基礎的な考え方の整理をしてきました。今回は「すべての事実を見る」事とします。個別のものについての評価は音声で入れました。


 A) 体罰は昔から見ると減ったけれど、今でも学校で行われている(事実)、特にスポーツ部などでの体罰が定期的に問題になる(事実)、

できれば教育に体罰がない方が良いという事は一般の人の間では一致している(おそらく事実、以下同じ)、

 B) スポーツ部の指導者の中には「体罰は必要だ」あるいは「仕方が無い」と考えている先生も多い、スポーツ部に通わせている親も「仕方が無い」と思っている場合がある、

スポーツ部で運動をしている子どもは「体罰は良いのか悪いのか良くわからない」という感じである、

 C) 高校のスポーツの成績が良いと大学に入りやすい、社会はスポーツ選手を尊敬し、大切にしている、

オリンピックにでるような一流選手は早熟で頭も良い場合が多く、体罰を要さないことが多い、
一般のスポーツ部の選手でまだ人格の形成が途中で、小さな事であきらめてしまう子どもも多い、

 D) 今回の事件のOBの感想「生徒思いのいい先生です。あかんことはあかん、いいことはいいとハッキリ言うタイプ。授業も楽しかったし、周りからも厳しくて良い先生と思われていた」

今回の事件の近所の人の評判(70代女性)「最初見たときは体が大きくて、機動隊員か何かをしているのかと思いました。奥さんと小学生か中学生くらいの息子さん2人との4人暮らしで、お子さんは今時珍しいくらいしつけが行き届いています。道路で人とすれ違うときはサッと道を譲ってくれて、近所の人には深く腰を曲げてあいさつしていましたね」

 E) スポーツを指導している先生は「もう一つ頑張れば良い成績を上げられる」という時に「子どもにあきらめさせるか、頑張らせるか」の判断基準と、頑張らせる方法を知らない、心理学的、教育学的などの学問的支援が不足し、社会からの圧力などに晒される先生が多い。

日本社会は3万人の自殺者がいるが、責任を問われた人はいない。
個人が自由な選択ができる状態での自殺は「任意の自殺」と見なしている、


これ以外にも考慮に入れなければいけない事実や、事実と思われることが多い。過去の清算(事件をおこした教師の懲罰)とこれからの教育は別にしなければならない。

まだ私自身も結論が出ないが、おそらく先生に指導のすべてを考えていただくのでは無く、教育界が心理学、発達心理、教育学、社会学、生物学などの面から、教育方法の研究と提案、説明などが必要だと考えられる。




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武田邦彦(中部大学)氏のブログより



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平成25年1月17日

      体罰考(7)「人格とはなにか?」

  「taibatu7tdyno.60-(10:04).mp3」をダウンロード

教育の話をするときには、「人格」というものがなにかを避けることはできません。

教育基本法第一条 [教育の目的]
「教育は,人格の完成をめざし,平和的な国家及び社会の形成者として,真理と正義を愛し,個人の価値をたつとび,勤労と責任を重んじ,自主的精神に満ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない」


「人格の完成」=「真理と正義を愛し,個人の価値をたつとび,勤労と責任を重んじ,自主的精神に満ちた」とダブって書かれていると解釈できます。

また、人格の基本的な条件として、次のことが上げられる場合もあります。
 1)自分と他人の関係が良くわかっていること、
 2)暖かい人間関係を持てること、
 3)厳しく不運な状況になっても心の平静を失わないこと、
 4)真理を理解できる理解力のあること、
 5)人生に対する深い洞察力

ところが、人格とか自我というような言葉は、もともとヨーロッパから明治の初めにもたらされたもので、キリスト教の神と密接な関係にあります。だから、日本人にとっては「人格」といってもなにかピンと来ません。

むしろ「自我」があるのでは無く「無我」の方がなじみ深いことや、「人格」というと「動物格はあるの?」と聞きたくなります。日本は東洋文化圏にあり、キリスト教より仏教の影響が強いので、キリスト教社会の自我、愛、正義の代わりに、無我、慈悲、誠・恩という考え方が中心です。

そこで、ヨーロッパの思想をもとにして作られている教育の目的を日本的に書くと次のようになるでしょう。

「教育は,立派な人物になることをめざし,平和な国家とその社会の一員として,真理と礼節や恩を大切にし,他の人と調和し,自ら働き、誠実で,付和雷同しない強い心をもった心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない」

となるでしょう。

ここで「立派な人物」=「真理と礼節や恩を大切にし,他の人と調和し,自ら働き、誠実で,付和雷同しない強い心をもった人」ということになって、かなりわかりやすくなったと思います。

おおよその問題は把握できたような気がします。現在の教育の混乱の一つに、教育基本法で定められた教育の目的が考えられていないこと、それに加えて教育の目的自体がヨーロッパ流になっていて、日本人がわかりにくいということもあります。

簡単に言えば先生も国民も、もちろん教育委員会や文科省も真剣に教育の目的を考え、それを合意する手続きをしていない、だから人格とは何なのか、正義とは何かがわからずに進んでいる、それで体罰とか教育の仕方を議論しても、なかなか改善されないことがわかりました。






↑<転記終了>







植草一秀氏の『知られざる真実』より




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2013年1月21日 (月)

「検察巨大犯罪に頬かむりする法制審議会の破廉恥」

検察・警察の不祥事が大きく広がったが、そのすべては偶発的、例外的な事案ではない。

現在の警察・検察制度のなかに巨大な不祥事を必然的に引き起こす仕組みが内包されている。

問題は警察・検察に留まらない。

裁判所のあり方にも重大な問題が存在する。

警察・検察・裁判所制度の近代化は、日本が前近代を抜け出して、近代に移行するために必要不可欠な要件である。

厚生労働省文書偽造事件に巻き込まれた村木厚子氏が、逮捕・起訴されたのち冤罪が明らかにされた事案で、検察の証拠改ざん事件が明るみに出た。

PCの遠隔操作による脅迫事件で、逮捕された人々は無実であったにもかかわらず虚偽の自白調書への署名と捺印を強要された。


そして、日本政治の歴史を書き換える結果をもたらしたのが、小沢一郎氏および元秘書に対する不正で不当な警察・検察・裁判所権力の行使であった。

もとより、犯罪性のかけらも存在しない事案を刑事犯罪であるとして逮捕・起訴するなどして、日本政治の流れを根底から転覆させた極めて悪質な事案である。

二つの政治団体からの政治献金を事実通りに記載したことが「虚偽記載」だとされた「西松事件」、

2005年1月に登記が完了した不動産取得の事実を事実通りに報告したことが「虚偽記載」だとされた「陸山会事件」、

のいずれもが、文字通り、「巨大な政治謀略」であったことがほぼ明らかになっている。

この過程で、検察はうその捜査報告書を作成してこれを検察審査会に提出し、小沢一郎氏を不当に刑事被告人の地位に陥れた。

この事案は村木氏が巻き込まれた検察犯罪をはるかに上回る、日本の検察史上最悪最大巨大犯罪である。

この事案はいま、検察審査会に付されており、今後、巨大犯罪を実行した検事等に対する厳しい責任追及が行われなければならない。


検察審査会の制度は最高裁事務総局が所管しているが、その運営は完全なるブラックボックスのなかにある。

完全なる「闇」のなかにあることが、あらゆる不正をも実行できる条件を提供している。

民主主義社会においては、身体の自由等の基本的人権を抑制する国家権力による強制権力行使に対して、最大の抑止を働かせなければならない。

日本国憲法第97条に次の条文を置いている。

第九十七条  この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

フランス人権宣言が制定されたのは1789年のことであるが、この時点ですでに、適法手続き、罪刑法定主義、無罪推定の原則、などの重要原則が確立されていた。

これは、いまから200年以上も前の規定であるが、200年以上たったいまも、日本ではこれらの根本原則すら確立されていないのが現状である。


これが「日本の闇」を生み出す原点になっている。

この「闇」に光を当てて、日本を暗黒社会から脱却させなければならない。

2009年3月の大久保隆規氏不当逮捕がなければ、2009年に小沢政権が誕生していた。

2010年1月の秘書3名の不当逮捕と小沢一郎氏に対する巨大謀略と呼ぶべき小沢一郎氏不当起訴がなければ、2010年6月ないし9月に小沢政権が誕生していた。

小沢一郎氏に対する不正で不当な党員資格停止がなければ、2011年8月代表選を通じて小沢政権が誕生していたはずだ。

日本の真の歴史=正史は、検察権力・裁判所権力の不正・不当行使、そしてこれと連携するメディア・コントロールによってねじ曲げられた。

このことの持つ意味は計り知れないほど大きい。



本来、その「闇」に光を当てるために検討が行われてきたはずである。

その実行部隊が法制審議会特別部会であるが、このほど部会長試案が提示された。しかし、その内容は愕然とするものである。

「闇」に光をあてる「可視化」がまったく盛り込まれず、「弁護士立会い」も盛り込まれず、ただ、捜査権限強化だけが打ち出されたのだ。

日本の「暗黒化」をさらに強化する内容になっている。

自民党政権が誕生して、日本の暗黒化はさらに強化される恐れが高まりつつある。


そもそも、2009年に西松事件が企てられたのは、麻生政権が発足して内閣官房副長官に漆間巌氏が起用されてからであった。

漆間氏は二つの政治団体からの献金を事実通りに記載したことを「虚偽記載」だとして摘発した小沢一郎氏の政治資金管理団体の事案に関連して、まったく同じ事務処理を行った資金管理団体が自民党にも多数存在することについて、「自民党には波及しない」と発言して大騒ぎを引き起こした人物である。

麻生太郎氏の祖父の吉田茂氏は米国CIAと連携しつつ、日本の秘密警察組織とも言える内閣調査室や公安調査庁を創設した。その伝統を麻生太郎氏が意識したであろうことは十分に推察できる。

西松事件などを含む巨大政治謀略事案が勃発した際の政権が麻生政権であったが、3年間、この騒動が継続されてくるなかで、政権自体が自民党政権に回帰してしまった。

警察・検察・裁判所制度の浄化が求められているが、政権が逆戻りして、これらの「浄化」も逆戻りする危険性が急激に拡大している。





↑<転記終了>