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レオヤナギさん!どちらへ?

ニュース、サッカー、音楽、etc..。自分自身のメモ帳がわりに書いて行くつもりです。転記の際、自分自身が内容を理解する為また記憶する為に、下線や色分けを独断でしております。


田中良紹氏の「国会探検」より





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2013年2月28日(木曜日)

ニッポン維新(182)「09年政権交代を総括するー10」

09年の総選挙は民主党が「米国との自由貿易協定締結」をマニフェストに掲げた事で、「日本の農業が壊滅する」と農協が自民党の全面支援に回りました。すると農協に恐れをなしたのか、菅直人副代表はマニフェストにある「締結」を後退させ、農協に妥協的な姿勢を見せようとして小沢幹事長からたしなめられました。

それを見て私はマニフェストの歴史的な意味を民主党は本当に共有しているのかと疑問になりました。マニフェストは選挙に勝つための道具ではありません。この国の在り方を問い国家の目指す方向を切り拓くものです。それが民主党内部で理解し共有されていないのではないかと思ったのです。

戦後日本の農業政策には歪みがありました。農業大国アメリカからの穀物輸入に頼り、農業を育てるより公共事業のバラまきで農家を保護する政策を行ってきました。そうした政策の中枢にいたのが農協です。民主党のマニフェストは農協ともどもその構造を転換させようとしていました。ところが農協が猛反発すると菅氏は選挙に不利になると思ったのか、マニフェストを修正しようとしたのです。

後に菅氏はマニフェストにない消費増税を突然主張し国民の期待を裏切りますが、これも自民党の「バラマキ批判」に耐え切れずに増税路線に転じたように思います。政治には戦略的に一歩後退が必要な時もありますが、民主党の変節には戦略よりその時々の批判に迎合するところがあります。その体質が政権獲得の前から現れていました。

ともかく09年総選挙は民主党の圧勝に終わり、国民は戦後初めて自らの一票で政権交代を果たしました。すると民主党内に小沢幹事長を政策決定に関わらせまいとする動きが出てきます。「党と政府の一体化」では幹事長が副総理として入閣する事になっていましたが、それを阻止する動きが始まったのです。「小沢氏は選挙のプロだが政策には関心がない」と言う噂が流され、小沢氏に「選挙屋」というレッテルが貼られました。党内の声に押されたのか鳩山総理は小沢氏を副総理として入閣させませんでした。

民主党の「政治主導」は政治家が大挙して閣内に入り、官僚と政治家が一体となって政策を遂行するものです。竹下政権の官房副長官として官邸の中枢にいた経験があるのは小沢氏ぐらいですから、小沢氏が入閣しなければ官邸は素人だらけになります。結局、民主党の「政治主導」は、大臣、副大臣、政務官の「政務三役」がチームとして政策遂行に当たる形になりました。わずかな数の「政務三役」が政策をひねり出そうと悪戦苦闘する様を見て官僚たちは滑稽に感じていたと思います。

小泉政権以降、日本にはパフォーマンスを重視するポピュリズム型の政治が続いていますが、鳩山政権とそれに続く菅政権はまさにパフォーマンス政治そのものでした。事務次官会議を廃止して官僚依存からの脱却を演出し、事業仕訳と称して官僚の作った予算の無駄を削減するパフォーマンスを繰り広げました。いずれも意味が全くないとは言いませんが、現実にどれほどの効果があったのかは疑問です。少なくも私にはただのパフォーマンスにしか見えませんでした。

野党となった自民党の民主党批判は「財源の裏付けがないバラマキ政策」という一点でした。確かにマニフェストを実現するための財源を作るには、事業仕訳程度の予算の削減パフォーマンスでは捻り出せません。大幅な予算の組み替えが必要です。しかしそれは容易なことではありません。既得権益と血の雨が降るような戦いをしなければなりません。

第一の課題は国と地方の二重行政の無駄に手を付ける事です。それは明治以来の中央集権体制をひっくり返す大事票で、それをやり切れるのは政治の裏を知り尽くす小沢氏を置いて他にいないと私は思っていました。しかし小沢氏は入閣出来ず、パフォーマンスに明け暮れる政治によって民主党政権は財源をひねり出す事ができませんでした。さらに鳩山総理は普天間基地の移設問題で迷走を始めるのです。(続く)






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田中良紹氏の「国会探検」より



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2013年2月13日(水曜日)
ニッポン維新(181)「09年政権交代を総括するー9」

09年の総選挙で民主党が掲げたマニフェストには、冷戦後の日本の在り方を追求しようとする姿勢が見えました。またその前年に初の黒人大統領が誕生したアメリカを強く意識した様子もうかがえました。アメリカの変化に期待感を膨らませたのです。

冷戦後、唯一の超大国となったアメリカは世界の一極支配を考え、アメリカ型資本主義を世界に波及させるグローバリズムに力を入れますが、グローバリズムは世界に格差と貧困をもたらし、アメリカの思惑とは裏腹に世界の反米感情を高めました。9・11の同時多発テロがアメリカを襲い、その報復として出兵したアフガニスタンとイラクでアメリカは泥沼に陥ります。戦争による財政負担と金融危機がアメリカ経済を失速させ、軍事力と市場原理主義を信奉するブッシュ政権からイラク戦争反対を訴えるオバマ政権へとアメリカは変わりました。オバマ大統領は就任するやそれまでのアメリカ大統領と異なり「核廃絶」を訴えるなど冷戦後の新たな指導者像を世界に示しました。

民主党がアメリカとの対等な関係を訴え、小泉政権以来の対米従属姿勢を変えようとした背景には、そうしたアメリカの変化に対する期待があったと思います。民主党はいったん挫折していた東アジア共同体構想を復活させ、日中韓の連携を強める中で特に2010年に日韓併合百周年を迎える韓国との関係を重視しました。

アメリカとは自由貿易協定の締結を目指す一方、日本を市場原理主義に組み込もうとする「年次改革要望書」からの脱却を図り、国民の金融資産3百兆円を市場原理に委ねる「郵政民営化」を見直す事にしました。アメリカとの自由貿易協定で影響を受ける農家に対してはEUやアメリカで広く行われている農家戸別所得補償制度を導入し、公共事業を農業政策の柱にしてきた自民党との違いを見せつけます。

「コンクリートから人へ」を合言葉に、公共事業をバラまいて経済活性化を図る政策から、政府が直接国民の家計を支援する政策に変えようとしました。それが子ども手当や高校授業料の無償化制度です。子育てや教育の負担が大きい世代を支援する事で、少子化対策と経済の消費刺激策を同時に行い、デフレ経済からの脱却を図ろうとしたのです。

現在の日本が直面している最大の問題は、世界最速のスピードで進展する人口減少と少子高齢化問題です。百年前に4千万人だった人口は経済成長と共に3倍に増えましたが、08年をピークに減少に転じ、このままでは百年後に再び4千万人になると予測されています。しかもその半数は65歳以上の高齢者になるのです。自民党は家計への支援を「バラマキ」と批判しましたが、公共事業にバラまくよりも家計にバラまく政策を民主党は採用した訳です。

さらに民主党は明治以来の中央集権体制を打破するために「地域主権」と「政治主導」を掲げました。私は戦後の日本が驚異的な経済成長を達成した要因は、冷戦構造を利用して軍事をアメリカに委ねて経済に特化する政策を採った事と、自民党が官僚や経済界と手を組む中央集権体制にあったと思います。しかしその構造は冷戦の終了と共に機能しなくなりました。

長年続いた構造が癒着と腐敗を生み出した事もありますが、アメリカがそうした構造を許さなくなってきたからです。アメリカは日本型資本主義をアメリカ型に変えようとして官僚機構の弱体化を図りました。橋本政権以降の自民党は「政治主導」を実現するため、アメリカの大統領制に近い「官邸機能の強化」に力を入れました。これに対して民主党は「党と政府の一体化」による「政治主導」を目指しました。政党に権力を持たせる英国型にしようとしたのです。

そのうえで年来の課題である財政健全化について、「4年間は消費増税を行わない」、「消費増税を行う時には国民に信を問う」事を選挙公約にしました。消費増税を掲げた政権が選挙で勝ったためしはありません。自民党は選挙に勝った後で消費税を上げるやり方で国民の批判をかわしてきました。しかし民主党はまず国民への家計支援を定着させ、その政策を継続するためには消費税導入が必要だと訴えて選挙の争点にするつもりに見えました。それはこれまでの消費税の歴史からすると画期的な事です。しかし民主党内が本当にマニフェストについての考え方を共有していたのか次第に疑わしくなりました。(続く)





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田中良紹氏の「国会探検」より



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2013年2月13日(水曜日)

ニッポン維新(180)「09年政権交代を総括するー8」

07年の参議院選挙で民主党が大勝し、次の総選挙での政権交代が確実な情勢となった時、私は民主党の中枢にいる政治家が必ずスキャンダル攻撃を受けると予言しました。自民党に政権交代を阻止する手段はそれしかないと思われたからです。

かつて自民党は社会党の委員長が替わる度にその身辺のスキャンダルを探りました。本人だけでなく身内も含めたスキャンダルを掴み、それを政治の取引材料にするためです。取引に応ずればスキャンダルは表面化しませんが、取引に応じないとスキャンダルはメディアにリークされ、その政治家は社会から叩かれます。従ってスキャンダルがないからと言って政治家が清廉とは限りません。逆にスキャンダルで叩かれた政治家は信念を曲げずに取引に応じなかった可能性があるのです。こうした政治の裏側を見てきた経験から、私は小沢代表が第一の攻撃目標になると見ていました。なぜなら自民党は民主党を全く恐れていませんでしたが、自由党との合併によって自民党の裏表を知り尽くす小沢氏が加入した事に脅威を抱いていたからです。政権交代は民主党の支持者を固めるだけでは実現しません。自民党に投票してきた国民を自民党から引きはがす必要があります。しかし鳩山由紀夫氏や菅直人氏が民主党のリーダーでいる限りその可能性は低いと見られていました。

総選挙直前の09年3月、不幸にも私の予言は的中し、小沢氏の公設秘書が東京地検特捜部に逮捕されました。容疑は西松建設を巡る政治資金規正法違反です。私は司法記者として東京地検特捜部を取材した経験がありますが、かつての特捜部なら事件にしない程度の容疑です。しかも突然逮捕したのですから驚きました。検察OBもみなこの「無理筋」の強制捜査に驚きました。しかし世間を驚かせるところに捜査の目的はあったのです。

特捜部の狙いは、秘書を起訴して裁判に持ち込み有罪にする事ではなく、総選挙を前に高揚する民主党議員に冷や水を浴びせ、選挙で不利になると思わせて「小沢切り」を促す事です。その狙いが見え見えなのにメディアは検察の言いなりの報道を連日繰り広げ、民主党も検察のシナリオ通りに動いていきました。

世界の民主主義国では国民の代表を選ぶ選挙を前に政治家を摘発する捜査など絶対に許されません。それを許せば警察や検察という強制力を持つ権力が政治を操る事になり、民主主義の根幹が揺らぐからです。私が担当した頃の検察には選挙前の捜査を避ける抑制が働いていました。しかし常識をかなぐり捨てて検察は動き出したのです。政権交代を過剰に恐れる勢力が検察の背後にいた事が分かります。

ところが政権交代を訴える民主党はこれに対抗しませんでした。「大連立」を民主主義の否定と捉える「民主主義の無知」に加えて、民主主義の根幹を揺るがす検察の動きに抗議の声を上げなかったのです。私には民主党が何のために政権交代を訴えているのかが分からなくなりました。

公設秘書に対する強制捜査は取引のためです。小沢氏が民主党代表を辞任するなど政治の一線から身を引けば、起訴は見送るというシグナルを検察は送っていました。それに従うように民主党の中から「身を引け」という声が上がります。小沢氏に対して取引に応じるよう促したのです。すると小沢氏は民主党内の声を無視して検察との戦いを宣言しました。起訴する気がなかった検察は慌てます。過去にさかのぼってあらゆる容疑を探し始めました。一方の小沢氏は公設秘書の起訴を見届けたうえで代表を辞任し、鳩山由紀夫氏を代表に自らは選挙を仕切る幹事長に就任しました。

この国の権力構造を見てきた私には政権交代以上に重要な戦いの始まりに見えました。政権交代以上に重要な戦いとは、第一に戦後一貫して日本政治を陰で操ってきたアメリカとの戦い、第二に明治以来日本を統治してきた官僚機構との戦いです。

戦後の日本政治は与野党の戦いというより、与野党が戦っているように見せながら実はアメリカと官僚機構との戦いの歴史でした。そのアメリカと霞ヶ関の双方の意向を受けて動いてきたのが特捜検察です。造船疑獄事件、ロッキード事件、佐川急便事件など戦後の疑獄史は、いずれも検察がアメリカや国内の一方の政治勢力と組むことで摘発した政治的色彩の強い事件です。その真実から国民の目をそらさせてきたのがメディアでした。しかし政権交代が現実味を帯びた事で真の権力の存在が国民の前にあぶり出されてきたのです。(続く)




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