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レオヤナギさん!どちらへ?

ニュース、サッカー、音楽、etc..。自分自身のメモ帳がわりに書いて行くつもりです。転記の際、自分自身が内容を理解する為また記憶する為に、下線や色分けを独断でしております。


田中良紹氏の「国会探検」より



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2013年2月12日(火曜日)

ニッポン維新(179)「09年政権交代を総括するー7」

09年の政権交代は小泉構造改革に対する国民の反発から始まりました。「改革」の名のもとにアメリカの「年次改革要望書」を全面的に受け入れた小泉総理は、日本を市場原理主義に基づく競争社会に転換させようとします。それを国民は05年の「郵政選挙」で圧倒的に支持しましたが、まもなく格差の広がりを実感するようになり、07年の参議院選挙では自民党を大敗させました。参議院選挙で自民党は「成長を実感に!」というスローガンを掲げましたが、それが象徴するように小泉改革による経済成長を国民は実感出来ませんでした。むしろ改革の痛みを実感していたのです。対する民主党の小沢代表は「国民の生活が第一」のスローガンを掲げ、経済成長を優先するアメリカ型市場原理主義それがもたらす格差からの脱却を訴えました。それは冷戦末期からアメリカが進めてきた「日本改造計画」への挑戦でもありました。

それが参議院選挙で民主党を大勝させ、衆参の「ねじれ」が生まれて、自民党政権は「何も決められない」政治に陥りました。2年以内に行われる衆議院選挙での政権交代が確実な情勢となり、窮地に立たされた自民党は民主党との「大連立」で延命を図ろうと考えます。

それを逆手に取ったのが小沢民主党代表でした。安倍総理が退陣して福田政権が誕生すると、党首会談を行って「大連立」を逆提案しました。狙いは日本の外交安全保障政策を「日米同盟基軸」から「国連中心主義」に変える事です。小沢氏は自民党の外交安全保障政策の転換を大連立の条件としたのです。つまり参議院選挙で日本経済をアメリカ型市場原理主義から脱却させるために戦った次に、「大連立」によって日本外交をアメリカ一辺倒から自立した国際協調路線に転換させようとした訳です。

この提案が衆議院で圧倒的多数を占める自民党と、参議院で圧倒的多数を占める民主党との間で合意されれば、戦後の日本は大転換を遂げる事になります。世界が変貌しつつある冷戦後にふさわしい国家体制が構築されると私は思いました。国権の最高機関である国会の衆参それぞれの第一党の合意となれば、アメリカも霞ヶ関の官僚機構も受け入れざるを得なくなります。


この小沢提案を福田総理は拒否しませんでした。外務省に実現可能性を検討させるなど真剣に取り組む姿勢を見せました。これが実現すれば政権交代以上の意味があります。なぜなら政権交代を賭けた選挙で、民主党が戦後構造を転換させるような大胆な公約を掲げれば、対する自民党はそれに反対せざるを得なくなります。日本の国論は二分され、アメリカからも霞ヶ関からもこれまでの路線を変えさせまいとする力が働きます。「大連立」に絡めて日本を構造改革する方法はまさに妙手に思えました。

しかしそうした考えを理解できる民主党議員がいませんでした。近づく総選挙での政権交代に目を奪われてみな舞い上がっていました。「大連立」を戦前の「大政翼賛会」になぞらえて「民主主義の否定」と批判する議員だらけでした。それにつられてメディアも国民も小沢氏を民主主義の破壊者であるかのように批判します。しかし世界の先進民主主義国で「大連立」は珍しい話ではありません。国家にとって必要な課題を実現するために与野党が手を組むことはよくある話です。むしろ与野党が党派性をむき出しに対立する方が民主主義にとってはマイナスです。

しかし政権交代がないまま半世紀以上も過ぎた戦後の日本では、与野党は対立するものと思い込まされています。権力の中枢に参画した一部の政治家を除いて、誰も政治の真髄を知りません。それが政権交代に対する過剰な期待と過剰な恐れを生み出すのです。小沢氏の「大連立」構想には、政権の中枢に参画した経験のない民主党議員たちを権力の内側に入れ、政治の裏表を知らしめてから政権交代を図る狙いもあったと思います。しかし未熟な人間ほど未熟さを指摘されると反発するものです。小沢氏の「大連立」構想は民主党によって否定され、選挙にすべての期待が集まりました。そしてこの時に生まれた小沢氏と民主党との溝は解消されないまま政権交代が実現するのです。(続く)




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田中良紹氏の「国会探検」より




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2013年2月12日(火曜日)

ニッポン維新(178)「09年政権交代を総括する-6」

「東アジア共同体」構想の始まりは97年の「橋本ドクトリン」です。東南アジアを歴訪した橋本龍太郎総理が日本とASEANとの定期的な首脳会談を提案し、その年にマレーシアがASEAN首脳会議に日本、中国、韓国の首脳を招待した事から「ASEAN+3(日中韓)」の枠組みが生まれました。それがEUに匹敵する「東アジア共同体」構想へと発展していきます。

02年に日本の小泉総理はシンガポールの演説で「東アジア共同体」に言及し、04年には国連総会で、05年には国会の施政方針演で「積極的な役割を果たす」決意を表明しました。04年に中曽根元総理を会長に設立された「東アジア共同体評議会」はそのための中核的なシンクタンクで、経済にとどまらず安全保障も含めた地域共同体の研究を行っています。

その第一回の会合が外務省で開かれた事からも分かるように、このシンクタンクは日本の外交方針と連動し、小泉総理の決意表明もそうした動きを背景としています。日本は21世紀に入ってようやく冷戦後に見合う外交戦略を構想し始めました。外務省は「米国など東アジアの将来に致命的な影響を有する国との間では、意思疎通を常時図るメカニズムが必要」としたうえで、「東アジア共同体」を構成するのは、ASEAN+3、インド、オーストラリア、ニュージーランドとしました。オーストラリアとニュージーランドを入れたのは対米関係を配慮したためです。

従って「東アジア共同体」には日中関係の再構築が極めて重要でした。ところが小泉総理は01年の自民党総裁選挙で靖国参拝を「公約」し、総理に就任すると毎年参拝を続けました。これに「東アジア共同体」の主要なメンバーである中国と韓国が反発します。05年に韓国で起きた反日デモが中国に飛び火すると、暴徒化した民衆によって日系のスーパーが襲われる事件が起きました。さらに中国の反日運動は日本の悲願である国連の安保理常任理事国入り反対運動へと発展していきます。

小泉総理の靖国参拝は国内でも賛否は分かれましたが、反日運動の高まりを見せつけられると、日本人の反中国感情に火が付きました。それが「東アジア共同体」構想そのものを否定する動きにつながっていきます。アメリカにとっては好ましい展開でした。ソ連の崩壊によってアメリカの目は大西洋から太平洋に向けられ、アジア地域を重要な外交戦略の対象と位置付けますが、その戦略は「ハブ・アンド・スポーク」と呼ばれ、アメリカ(ハブ)を中心に日本や韓国がつながる二国間関係が基本です。「東アジア共同体」のような地域ネットワークとは相いれないのです。

結局、冷戦後に見合う外交戦略を築こうとした「東アジア共同体」構想は、小泉総理の靖国参拝によって挫折を余儀なくされました。そしてそれからの日本は「日米同盟」中心の冷戦時代の構造に戻ります。日本は北朝鮮の脅威に備えてアメリカからイージス艦やミサイル防衛システムを購入させられ、アメリカの「中国封じ込め」に協力する事になりました。

しかし一方でアメリカは中国との経済関係を強めています。03年にはアメリカの対中貿易が対日貿易を上回り、日本の技術を打ち負かすための米中共同の技術開発も進展しています。つまりアメリカは中国を安全保障面では「敵」、日本を「味方」扱いしながら、経済面では日本を「敵」、中国を「味方」扱いしているのです。

そうした冷戦後の構図の中で、日本の政治に再び変化が求められるようになりました。かつての細川政権は国民が選挙で選んだ政権ではありません。国民が選んだ第一党は自民党で、自民党が他党と連立すれば野党に転落する事はありませんでした。しかし今度は自民党と民主党のどちらを政権に選ぶかが国民に委ねられました。そしてそれは日本が冷戦後に見合う国家体制を構築できるかどうかを問う選挙でもあったのです。(続く)





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田中良紹氏の「国会探検」より



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2013年2月24日

             「格差大国の狭間」

 安倍政権が最重要視していた日米首脳会談は想定通りの結果となった。安倍総理は「日米同盟の強い絆が戻ってきた」と胸を張ったが、アメリカの要求をすべて受け入れてみせたのだからそれは当然である。報道された会談要旨を見るとそう思わざるを得ない。

 1.原発ゼロを目指す前政権の方針を見直してアメリカが望む原発維持を表明した。2.アメリカ軍の普天間基地を早期に辺野古に移設する事を約束した。3.尖閣問題で中国との衝突を望まないアメリカの要求を受け入れ冷静な対応を表明した。4.アメリカ製兵器の購入を臭わせる防衛予算の増額集団的自衛権行使について説明した。5.アメリカが要求するハーグ条約加盟への努力を表明した。そのうえで安倍総理はアメリカが何よりも望むTPP(環太平洋連携協定)への交渉参加を正式表明する姿勢を見せたのである。

 TPP問題の日米共同声明を見る限りアメリカは全く譲歩していない。ただ「聖域なき関税撤廃が前提である限り交渉に参加しない」と選挙で公約した安倍政権の立場を踏まえ、「聖域」があるかのような表現が盛り込まれた。しかし一方で「すべての品目」を交渉の対象としているのだから、交渉をやってみなければ何も分からないという話になる。

 共同声明には「日本には一定の農産品、米国には一定の工業製品」という表現で、「コメ」や「自動車」が「聖域」に当たるかのように書かれている。しかしそもそもTPPの目的はそうした品目の関税を撤廃する事にあるのではない。そうやってそちらに目を向けさせ、その問題解決にエネルギーをかけさせ、その隙に本来の目的を達成するのである。本来の目的とはアメリカ型資本主義に立ちふさがる国家資本主義を解体する事である。

 本来の目的でない事に目を向けさせ、それにエネルギーをかけさせ、その隙に本来の目的を達するやり方は沖縄返還交渉でも見られた。交渉の「密使」を務めた故若泉敬氏は、アメリカが容易に認めないと思われた「核抜き返還」を実現するためにエネルギーを費やすが、核抜き返還が実現した後に、アメリカの目的が沖縄を半永久的に米軍基地の島にする事だったとアメリカ側から知らされる。アメリカは日本の目を「核」に向けさせ、その隙に沖縄の米軍基地の固定化を図ったのである。沖縄は返還されても返還されないに等しい状態に置かれた。それを知って自責の念から若泉氏は自殺する。

 ソ連共産主義との戦いに勝利したアメリカは、90年代後半からアメリカ型資本主義を世界に広めるグローバリズムに力を入れた。世界では格差と貧困を生み出すグローバリズムに反対運動が盛り上がったが、日本にはアメリカの要求に忠実な小泉政権が誕生し、アメリカの「年次改革要望書」に従って日本をアメリカ型競争社会に改造しようとした。格差が広がり、小泉政権を引き継いだ第一次安倍政権は国民の怒りを買って選挙に敗れ、自民党は民主党に政権の座を明け渡す事になる。

 アメリカの「年次改革要望書」は民主党政権によって廃止され、小泉総理が「改革の一丁目一番地」と言った郵政民営化見直される事になった。思い通りにならなくなった日本に対しアメリカが怒っただろう事は容易に想像がつく。折からアメリカ型資本主義は百年に一度と言われる金融危機に陥り、一方で中国とロシアの国家資本主義の台頭が注目された。国家資本主義とは市場経済でありながら国営企業が中心の経済体制である。

 国家に支えられた国営企業は公正な競争を阻害するとアメリカは考える。中国はWTO(世界貿易機関)に加入しながら国営企業を民営化せず、貿易競争を有利に進めている。その中国を真似て新興国までが国家資本主義を目指すようになった。共産主義に勝利したアメリカの次なる目標国家資本主義を打ち負かすことになる。それがTPPの本来の目的であり、狙いは中国の国家資本主義の解体にある。

 そのためにはアメリカ型資本主義に改造しやすい国を引き込んで包囲網を作る。従って日本が交渉に参加すれば日本はアメリカ型資本主義に改造される。それは農産品などの関税問題に目を向けさせながら、非関税障壁とされる日本の商習慣や特有の制度の改造に及び、経済構造の根幹を変えられるのである。民主党政権の誕生で見直されたゆうちょ銀行やかんぽ保険の完全民営化も実施されるだろう。そうして日本にはアメリカ型格差社会が再来するのである。

 アメリカは中国を異質な体制と見て包囲網を作ろうとしているが、少数のほとんどを占有しているという点で両国は共通している。むしろ「一億総中流社会」を実現した日本型資本主義と米中とは大きく違うのである。その我々と異なる二つの格差大国の間で一方の包囲網に協力するため、自らが築き上げ世界で最も格差の少ない経済体制を格差大国並みに「改造」されてしまうと言うのもおかしな話である。

 かつて「一億総中流社会」を実現した日本型資本主義の原型を作ったのは戦前の「革新官僚」だが、その「革新官僚」の中に安倍総理の祖父である岸信介氏もいた。それを安倍総理は知らないのだろうか。知っているならば「一億総中流社会」を再来させる政策をこそ考えるべきである。そうしないと格差大国の狭間で日本は沈み込むことになる。



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