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レオヤナギさん!どちらへ?

ニュース、サッカー、音楽、etc..。自分自身のメモ帳がわりに書いて行くつもりです。転記の際、自分自身が内容を理解する為また記憶する為に、下線や色分けを独断でしております。


武田邦彦(中部大学)氏のブログより



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平成25年3月10日

        体罰考(17)「大学修道院説」

  「taibatsu17syudouintdyno.93-(10:56).mp3」をダウンロード

先回のブログで「授業中のマージャンを止めさせるには」を書きましたが、私は「マージャンをする生徒」は「悪い生徒」と考えていますが、この場合の「悪い」とは「未完成」ということで「大人の悪い人」とはとらえ方が違います。

教育は「未完成」の人を「できるだけ完成に近い状態」にするのが目的ですから、最初は、かけ算ができない、授業に遅刻をする、授業中マージャンをする・・・というのは当たり前で「不完全さ」の一つの形と思っています。

このことが教育関係者と一般の人の感覚の差でもあります。「かけ算ができない」というのは頭の中の数字の能力の問題で、「授業中マージャンをする」というも頭の中の「倫理」の問題です。同じく、子どもなので頭の中が未完成の状態で、決して大人の状態で判断する「悪い」というのとは違います。

赤ちゃんが所構わずウンコをしても笑顔でいるのは、まだどこでウンコをするのが良いかを本当の意味で知らないからで「悪い」のではありません。しかし、大人では人前でウンコをすると軽犯罪法になります。

少し極端な議論かも知れませんが、私は「大人では悪いことは子どもでは教育すること」と考えています。その一つの事件を書きたいと思います。

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ある大学の管理を担当しているときに警察につかまった学生がいました。大学の学則には「学生としての本分に悖る者は退学」となっていて、教授会では退学が議論されました.多くの先生は退学させよと主張されました。

その時、私は「大学は修道院のようなものである。もしその学生を退学させたらアウトローになる可能性がある。もし学生が大学に残ればあるいはまともな人間になるかも知れない。私たちはそれに期待したい」と演説し、先生方も了解していただきました。

果たしてその学生は大学に残り、先生も指導され、立派な卒業生として大学を出ました。今頃、良き社会人として働いていると思います。

大学は社会の中では教育機関です。小学校から高等学校ももちろん同じです。だから「大人から見て悪い生徒、極悪生徒」も学校が引きうけ、学校ができる範囲で立派な人間にすること、それが私たち教育者の社会的責任なのです。もちろん保護者と一緒にやります。

教育基本法第一条(旧)をまた示します。
「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」

この「体罰考」は教育の目的を達成するために、本当に「体罰」(殴ることではない。腕を取ってマージャンを止めさせる事)なしに現実にできうるのかを考えています。

「人に迷惑を掛けない」というだけでは目的を達成する事はできません。授業中にスマホでゲームをしている学生を叱る必要があり、学生は「迷惑を掛けていない」と抵抗するからです。若者は本当のことがわかっていても屁理屈をこねるもので、それも教育で修正していく必要があります。

このように日本の教育を改善し、健全なものにして行くために、もっとも悪いものは、マージャンをする生徒そのものでは無く、NHK教育の目的を理解していない知識人などです。

多くの人が「教育とは未完成の子どもを立派な日本人にすることだ、教育者は未完成の子どもを相手にしているのだ、先生も人間だ、教育とはかけ算ができるようにするだけではない」ということを良く理解することが大切です。

体罰の定義もせずに「体罰はゼッタイにダメ。体罰を議論すること自体が間違い」というようなNHKのコメントが存在することが教育を破壊しているのです。



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武田邦彦(中部大学)氏のブログより




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平成25年3月8日

     体罰考(16)「先生は人間か奴隷か??」

  「taibatumahjantdyno.72-(10:39).mp3」をダウンロード

ある県に言ったときにその県の教育委員会と高等学校の校長、先生にお会いし、高等学校の教育についてお話をしました。その県のほとんどの高校は正常に授業が行われていて、イジメなどのほとんどないとのことでしたが、かつて「学校が荒れている」と言われた頃には、授業の時に教室の後ろで「マージャン」をしている生徒に手を焼いたことをお話になりました。

読者の方で「授業中にマージャンをしても良い」と思う方は一人もおられないと思います。その時に先生はどうするべきでしょうか? 「マージャンを止めさせる」のが当然ですが、生徒はかなりの悪なので口で言っただけでは「フン」という顔をしてマージャンを続けます。

先生がマージャンの牌を無理矢理、取り上げると生徒がさらに荒れて授業はそれで終わりになります。かといって生徒の腕を取って席に座らせると体罰になります。

そこで、この場合は「高校を正常化するために、授業中のマージャンを止めさせる」ということで「先生と保護者」が一体となって「授業中のマージャン追放」を行いました。今では授業は正常化しています。

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授業中に後ろの方でマージャンをやっているという異常なことがなぜ行われるのでしょうか? 私自身もほとんどこれと同じ事で長年、苦労してきました。その理由はきわめてハッキリしています。

  1)現在の日本社会が「公衆道徳」を決めていない、
  2)学校では先生の教えが「正しい」となっていない。

ということに尽きます。何をやっても良い社会という世にも珍しいのが今の日本社会です。

日本には宗教が無いも同然です。そして戦争に負けたことによって「親に孝行、兄弟相和し」といった日常生活の基本的な道徳も失い、「何をやっても良い」、「何が正しいかわからない」という社会を作ってきました。

それが70年経って、日本社会が教育でも、政治でも、学問でも、そして報道でも崩壊するのはある意味で当然でもあります。私たちは最低でもなにを「合意」できるのでしょうか?

  1)高等学校の授業中、教室でマージャンするのは悪いことである?
  2)電車の老人、妊婦などの席に若い壮健な人が座るのは悪いことである?
  3)3人が横になって道を歩くのは悪いことである?
  4)学校の外で先生に会ったら、挨拶をして頭を下げるのが良い??
  5)親が亡くなったら駆けつけるのが人の道だ?
  6)家族は大切だ?
  7)授業中、静かにゲームをしている、

この中で法令で決まっているのは3)、つまり複数の人が道を横に並んで歩くことは軽犯罪法違反になる。つまり前から来る人に著しい妨害になるからだ。

1)や5)はかろうじて日本の社会が合意するかも知れないが、2)、4)そして6)、7)ぐらいになると人によって考え方が違うだろう。そうなると学校でなにを指導したら良いかわからなくなるのも当然だ。

このブログに書いたが、学生は「授業中に立ち上がって友達の所に行き、話をするのがなぜ悪い」と言う。確かに法令にも書いていないし、学校でも教えなかった。「人の迷惑になることはやらない」とか「弱い人に配慮する」ということすら統一できないのに、「絆」とか「環境」とか「自然に優しい」ということで合意できる日本社会が間違っていることは確かだ。

最終的に「悪いこと」が統一できないかも知れないが、せめて「何が守るべき事で、何が悪いことか」ぐらいの話し合いをした方が良いと思う。教育改革はそれができてからの事である。生徒を殴ることが「悪いこと」なのか、この日本では誰が決めるのだろう?

授業中、一人静かにゲームをしている学生を注意すると、決まって「迷惑は掛けていない」と言う。その学生は成績が悪いので落第させようとしても、文科省が定員規制を行っているので、落とすことはできないという漫画のような状態なのである。

私は体罰を一方的に批判するのでは無く、事実を見る勇気を持ち、前向きに解決する必要があると思う。

先日、NHKが大阪の体罰の先生のインタビューを放映していたが、その最後に、アナウンサーが「体罰を追放しないと」と言ったので、すべては無意味になった。やはりNHKのような存在が体罰を残していると感じた。





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田中良紹氏の「国会探検」より




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2013年3月12日(火曜日)

ニッポン維新(183)「09年政権交代を総括するー11」

鳩山総理が沖縄普天間基地の移設先を「最低でも県外」と発言した事がアメリカの怒りを買い、日米関係を最悪にしたと言われています。しかし当時駐米大使をしていた藤崎一郎氏は「それが日本の民意であればアメリカは受け入れた」と語っています。また民主党で日米交渉に携わった長島昭久議員は「アメリカが怒ったのは普天間問題ではなく、岡田外相が東アジア共同体にアメリカを入れないと発言した事だ」と述べています。冷戦後のアメリカ政治を見てきた私は、鳩山総理が日本国民の意思として方針を貫けば、アメリカは受け入れる可能性があると思っていました。しかし鳩山総理は自らの閣内をまとめる事ができず、外務省と防衛省の官僚たちが総理に同意しないようアメリカ側に働きかけ、ついには迷走を重ねてしまうのです。アメリカが馬鹿にしたのは辺野古移設を変更する事よりも日本政府のバラバラぶりにあったと思います。

そもそも普天間基地の移設問題はアメリカが言い出した事ではありません。1995年に米海兵隊員ら3名が12歳の少女を暴行する事件が起き、沖縄県民の反基地闘争が頂点に達しました。橋本総理は沖縄県民の怒りを鎮めるため市街地に隣接して危険度の高い普天間基地を返還するようアメリカ側に要求します。するとアメリカは海兵隊を沖縄から撤退させ、豪州などに移設する案を検討し始めました。アメリカは海兵隊の活躍の場を東アジアではなく中東地域と考えており、沖縄駐留に固執する必要はなかったからです。

しかし日本は代替施設を沖縄県内に作る事にします。それによって沖縄は新基地建設予算が投入される利権の島となりました。沖縄に関係のない自民党幹部まで次々沖縄に事務所を開設し、大手ゼネコンや地元建設業者たちが暗躍するようになります。海上ヘリポート案、メガフロート案、埋め立て案など様々な建設案が浮上して利権をめぐる争いが起き、アメリカはそれを呆れて眺めていたと言われています。

06年にようやく辺野古沖に2本の滑走路を作る事で日米は合意しますが、アメリカはソ連を敵とする冷戦時の米軍配置を世界規模で見直す作業に取り掛かっていました。沖縄の海兵隊もグアムに移転させる事になり、アメリカは自民党政権に2兆円規模の移転費用を要求してきます。米軍が本国に帰還する費用を日本国民の税金から拠出する話に自民党政権は苦慮していました。

そうした中でアメリカにイラクからの撤兵を掲げたオバマ政権が誕生し、日本にも政権交代を賭けた総選挙が始まりました。民主党は普天間基地の県外移設をマニフェストに掲げてはおりませんが、選挙戦で鳩山代表は「最低でも県外」と沖縄県民に約束します。アメリカに「米軍撤退」を主張するオバマ政権が誕生した事で、海兵隊のグアム移設に拍車がかかると期待したためと思われます。

鳩山政権はインド洋の給油活動をやめる代わりに、アメリカのアフガン戦争に50億ドルの資金援助を決定しました。その中に海兵隊のグアム移転費用を紛れ込ませたつもりでいたと言われています。しかしオバマ政権の国務長官は普天間移設で日米が合意した時の大統領夫人であるヒラリー・クリントン氏、国防長官は共和党のビル・ゲーツ氏でした。国務省も国防省も自分たちが合意した辺野古移設の方針を簡単には変更する筈がありません。またオバマ大統領も理想を語るだけの政治家ではありませんでした。

オバマ大統領はイラク戦争に反対し「米軍撤退」を掲げて大統領予備選挙に出馬しますが、予備選挙での勝利が確実になると「米軍撤退」を「戦闘部隊撤退」と言い換えます。軍隊は様々な業務を行う兵隊で構成される小宇宙です。戦闘を行うのはその中の一部に過ぎません。つまり「戦闘部隊撤退」と言い換えた事はイラクからの全面的な米軍撤退を修正し、時間をかけて段階的に撤退させる現実路線に切り替えた事を意味します。

選挙では理想を掲げても実務は現実と調和させながらやっていく現実主義者の大統領と鳩山総理の政治手法の間には大きな差がありました。それを鳩山総理は見誤ったと思います。しかも最悪だったのは自らの主張を取り下げて県外移設の方針は間違いだったと頭を下げた事です。選挙で約束した事を実現出来なければ政治家は何も言わずに責任を取るものです。それを国民との約束は間違いだったと言って鳩山総理は辞めたのです。救われないのは国民でした。(続く)





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