唐突ですが、


実は私、普段自分から進んでニュースを観たり読んだりはしません。50歳にもなって、非常識と思われるかもしれませんし、社会情勢を知らない無知な人と思われても仕方ありませんが(大きな出来事は、息子達や同僚伝いに知る事ができています)、どうしても、理不尽なニュース等に心が引っ張られてしまうので、ここ数年は意識的に観ないことを徹底しています。

例えばなのですが、ソファーでうたた寝をしながら、ニュースを遠い意識で聞いていた時、暴走車に通行人が引かれ、悲しい事に亡くなってしまったという事件が報じられたのですが、無意識に、一瞬にして強い絶望感と悲しみと無念が押し寄せてきて、嗚咽で過呼吸になる程泣いてしまったり…

虐めやDVのニュースを耳にして、恐怖心で不眠になってしまったり…

ある種、病気ですよね。

人は怖いんだ、残酷なんだと思う自分が怖くなるんです。それは同時に、私も怖くて残酷になり得るということのようで。

かれこれ14歳頃からで、随分と自分でコントロールすることが出来る様にはなりましたが、

ニュースが憑依してしまうのです。

なので、距離感。それを保つ事でバランスを取っています。


これは単にきっと、私の心があまりにも弱いからなのでしょう。

特に、東日本大地震のニュースや特集、「311」という言葉や文字には、未だ容易に涙が出てきます。


だけど、「弱いから」で、自分を自分で丸め込んだり、それを何かの口実にはしたくありません。

50歳を過ぎましたが、死ぬまで、私は、

「強くありたい」

「出来る限り弱い自分を隠したい」

と思うことをやめないつもりです。

出来る出来ないではなく、あくまでも、そう思うこと。


昨夜のテレビで、うっかり、数分ですが、ニューヨークの多発同時テロの特集を観てしまいました。そこで数日間活躍した、日本人消防士のお話です。

息子達は別室にいたのですが、取り合えず、静かに嗚咽。

ただ、消防士の方のとても印象的だった言葉が…

それは、

『助けを求めている人がそこにいるのに、見て見ないふりは出来ない。助けないという選択肢はない』

という言葉です。

胸が熱くなりました。

素敵なことですが、難しいことだとも感じます。

今朝、駅のホームで、自動販売機にもたれ掛かり、座り込んで目を閉じている人がいました。

朝の通勤時間帯なので、何人もの人がその前を通り過ぎましたが、私も含む、全ての人が、その人に対して、「大丈夫ですか?」と声を掛けることはしませんでした。

それは今の時代、当たり前なことだと思います。

声を掛けて、その人に逆上されたりしたら?

理不尽なこの社会では、容易く人を信じてはいけないと、私達は、そう教えられて育っています。


見て見ないふり

というスキルを身につけ、やっとの思いで生きてきた私達。


それでも、肝心な時には、見て見ないふりをしない

…を、優先できる、強くて、優しい大人に、なりたいです。目標です。あと何年か分からないけれど、私の終わりが来た時に、少しでもそこに近づけていたならいいな。






今、これを書きながら、いいタイミングで、素敵な曲が流れてきました。

今日のうたは

Mrs.GREEN APPLE

『Soranji』

です。

諳んじる、という意味からきたタイトルらしいです。

戦時中、手紙には検閲が入ってしまい、戦友から大切な人へと託された手紙を持っている事が出来なかった為、何度も何度も誦じて暗記して、それを伝える事が出来た…私は観ていないのですが、そんな感じの内容の映画の主題歌として作られた曲だそう。

あぁ、書いていて、また泣いてしまいそう笑




さ、笑って明日もがんばりましょう。