ある。
あるんです。
ちーーっす、タカノです。
あなたは自分はどちらに所属すると思いますか?
多数派(マジョリティ)ですか?
少数派(マイノリティ)でしょうか??
多勢に無勢。
長いものに巻かれろ。
日本にはこういう「多数派でいろ」的な慣用句があります。
昔から、ストレスなく生きるには多数派に紛れ込むのがよいとされているようです。
隣の人と同じ、というのが一番安心で利益も大きい、ということです。群れを作る草食動物のように、トラブルの時には群れでいたほうが危険が少ないわけです。
自然世界の場合、草食動物は捕食される存在なので数が多いんです。だから、数が多いから自然界で「幅を利かせるか」というとそうではありませんよね。鹿集結して熊をどついてテリトリーから追い出すみたいなことは起きないわけです。(たぶん)
まれに捕食者がない環境では、彼らは人間界に食害をもたらすなどの「力」?を持つことがありますが、それは人間が関与しすぎて自然界のバランス自体が乱れているときのみ。
人間界の「多数派」というのはちょっとそれと違います。
人間社会では、大体の場合「多数派の意見は権力足りうる」。どうやら、本邦でも「多数派の望む社会を実現することが正義である」という認識を多数派が持つ、そういう社会になりつつあります。
こんな発言を耳にしたことがあります。
「自分が利用する最寄りの駅こそ急行が停まってしかるべき」
という大学教授の奥様の意見です。急行がとまらないことで居住民である自分たちが損害を受けるのはおかしい。彼女は憤慨していました。
「急行がとまらないことでどれだけ余計に時間がかかると思ってるの?」
これ、通勤している方の意見じゃないです。お買い物で都心にたまに出かける方のご意見です。通勤が前提の場合なら、最寄り駅に急行止まるか止まらないか、まあ初めの段階で納得づくなんだろうとおもいますけど。(止まらないなら止まる駅のそばに転居するという方法もあるわけです。)
とにもかくにも、彼女は自分たちが一番の受益者であって社会はその意見に従ってしかるべきと言ってはばからない。その確信の強さに度肝を抜かれたことを思い出します。
その確信・・・どこから来たん?
ええ、ええ。これは「納税する善良な市民」の当然の憤慨なのかもしれません。でも、おかしいんです。世のなかには自分と違う価値観があるかもしれない、うかがい知れない事情がそこにはあるかもしれない、という意識がまったくみえない。
とにかくとにかくお得意様であるところの私の利益を考えろ、と。
まったく、他の人の事情など聴く耳持たないという有様・・・。
こういう方々が権力を持ったら、税金の無駄遣いだから「生産性のない少数派の人間は生きる価値がない」とかいいだしそうじゃないですか。
そして、実際そうなっていますよね。「子供を産まない女は女じゃない」とか議員が発言したりして。(発言者は女性でした。)
さて。
今の日本が、私が感じるように大多数が力をもってそれを当然のように行使する社会であるとしたら、少数派はどう生きればいいのでしょう??
経済を回すこともなく、票にも結び付かない私たちは、まるで社会のやっかいもののように言われてしまいます。どこにいっても孤立させられてしまう。
でも、少数派には多数派にない優位性は確実にあるのです。
それは「自分という意識」がしっかりあるということ。です。
後半につづく。
そしたら、また。