ちーーっす。
ウチの子「その日の天使カード」を紹介しつつ、日々の経験を元に「開いた決断」を言語化しています。
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ポルノに救われたってことはありますね。
意識がぐらぐらしているわけですから身体に戻るしかないんです。何が快感なのか不快なのか、そこを原点に「モノが見られる」し「モノが考えられる」わけです。
身体に関係する記憶って表に出にくいですね。
当時からですかね。人生は「人体実験」だといういう考えは。
自分の身体をある状況に投げ入れるという方法でしか「モノはわからない」。自分の視点はえられない、ということです。良くも悪くも「体験していないことは語れない」。読書も体験と言えば体験なんですけど、どちらかというと身体的体験というより語彙を増やすという脳内体験だったようにおもいます。
「体験していないことは語れない」
SEXなんてその最たるものですね。それも私は人体実験するしかなかったです。
「結婚」という者に対しても、何もわからなかったので仕方がないので「結婚相談所」に入会しました。会った方はみんないい方ばかりでした。でも、私が思ったのは「ああ、私は結婚したいわけじゃないんだな」でした。私がトランスジェンダーだったからというのもあるかもしれません。それを胡麻化して(人生の安定のためとか老後の安心のためとか)誰かと結婚することもできないのでした。相手が誰にせよその人に対する情熱というものが全く持てなかったのです。好ましく思わない相手と損得ずくで人生を共にするとしたらとっても「醜い自分」というものを体験できたかもしれませんがね。なんだか身体に悪そうに思えます。
「恋」はわからないけれど「快感」や「恐怖」や「違和感」はわかる。
そうして得た「私の視点」が、その後私の漫画作品を制作するときの土台になりました。それはもちろん「少女漫画」ではありませんでしたけど。
よくしたもので、その「私の視点」(つまり「私の言葉」ですね。)ができたことで、「寄る辺なくて死にたい」と思うことはなくなったのでした。そして、それは、出版社の依頼がなかったとしても消えることはありませんでした。
「他人に認めてもらう」というモチベーションは私の土台ではなかったからです。
私の身体で感じたことを元にした感覚。
いわば身体を「物差し」にするということで生き延びることが出来たということかもしれません。