ちーーーっす。
 
 
 
 
 
 
差別意識って結局は「内向きマインド」が原因で生まれるもの。
 
「仲間」以外とは意思疎通したくない、するべきではない、ってのが「内向きマインド」です。そういうマインドの人がいるその場を支配するようになると、そこは成長や変化を受け入れない死んだ場所になります。
茶の間や職場があっという間に死ぬ。国も死ぬ。
 
「俺の言っていることがわからないとしたらおまえが悪い」が、あっと言う間に「俺の言っていることがわからない人間には価値がない」となる。
それが、酷くなるとジェノサイドになる。「仲間以外は死すべし」的な。
「俺の言っていることがわかる人間」と「俺の言っていることがわからない人間」を残酷に冷酷に区別する。これ、想像力の貧困が招いた隠れた差別思考です。
 
私達は、この差別につながる「内向きの言葉」に囚われない生き方というのを模索しないとならない。内向きでいることは、まったりと楽で気持ちの良いものです。誰かや何かを排除しているという意識すらない。でも、それは私たちの人間的成長を殺す「コーマ(昏睡状態)化」でもあるのです。
 
それは人間として生まれたからには「知性」を正しく使って進化してゆきたいものです。それは言ってみれば「内向きではない言葉」を模索するということなのかもしれない。自分と違う思考・感性をもつ人間にどう理解を求めるか。
 
それが、もしかしたら「伝える」ことの本質なんじゃないかと思うんです。
相手に伝わる言葉を選ぶことができるか?そして、その言葉に人生を賭けられるかどうか。
 
開拓地も夏です。
 

しいたけもやっと発生してきたYO!
 
 
「伝える」ということは、内向きではない言葉を模索し続けるということ。
 
子供のころから私の違和感アンテナは世間に蔓延する「内向き言葉」にとても敏感でした。そして、それがMANGA作家として生きていく土台になったのです。創作を続けるうちにそれがどんどん磨かれていきました。
一方、「自分と全く違う人生を送っている人を楽しませるMANGAを作らなければならないという状況」は、私を常に解放された「外向き」であることを要求してきました。考えてみると、これが、私にとって最高のMANGA-LESSONだったのです。
 
 
地元新聞にMANGA-LESSONの広告をだすことになりました。
 
あなたの言葉
あなたの物語をみつけよう。
 
がキャッチコピーです。
 
この場所では、作画の技術というより、「伝えるための方法」を「伝える」(おやw)ことになりそうです。
 
 
 
 
ではまた!