セルフカウンセリングのススメ
その6
つづいてます。
ある瞬間に「それ」はやってきます。
昨日は言えなかったことが相手に言える。
待ち構えてたわけじゃありません。前触れなくふっと口から出る。
自分でも全然ビクビクしていないのがわかります。
無視されるのが怖くて言えなかった言葉
「こっちを見て私の話を聞いて」が言えた。
職場の総スカンが怖くて言えなかったタイトな冗談を本人に言えた。
「ちっさい男!」
笑ってくれた。
ないがしろにされていると感じていることを
相手に伝えられた。
「この話なかったことにしてもらえないでしょうか」
先方にいいようにあしらわれそうになっている状況で
自分の気持ちをはっきり相手に伝えられた。
「いつまで答えを待てばいいですか?」
突然、階段を登り切って視野が広がって気持ちのいい風景がみえる、そんな瞬間。どうして昨日できなかったことが出来るようになったのか。それは、今の自分が昨日の自分とは別人になったから、に相違ありません。
もちろん「私」という意識は地続きなわけですよ、そうですけど、それが起こる前と後では、身体(脳も)の組成がまったく違う、見える世界が違う、という意味では「別人」なんですよね。
出たカードによって現在地を確認するための言語化をする。その度に私の身体は新しい足場を獲得することができる。これこそ「連続する自己刷新」なのだ。
問題が問題でなくなる
そんなことが私にも何度も起こりました。
驚きだったのはなんといっても、「それ」が起こると昨日までの問題がきれいさっぱり「なくなる」ということでした。解決する、というのとは違うんですよ。
なくなるんです。本当に。
なぜかっていうと、問題が起こったのは私自身の考え方が原因であったからです。狭い視野。自分への不信。人生への諦め。周囲に起こった不都合はその考え方が招いた単なる結果でした。その当の私自身が刷新されたわけですから、問題は綺麗に消えてなくなる道理なのです。穴倉から外に出たようなものです。一気に視野を遮るものはすべてなくなる。「穴倉思考」こそが私を不幸にしていたのす。
袋小路に陥った暗い穴倉から一転、風の吹く丘に私はいます。
じとじとした湿気に悩まされることもない。いやらしい虫に噛まれることもない。目の前の土しか見えなかったのに、今は視野を遮るものがない。爽やかな風の中どこまでも世界を見通せる!こんなに世界は広かったのか!いままでは、環境や周囲の人々を恨むしかなかった。自分の人生すら恨んだ。世界なんか終わればいいって思ってた。
でも、今は希望がふつふつ湧いてくる。
脅威が脅威でなくなる。
不安が不安でなくなる。
世界を恨まなくて良くなる。
人々を恨まなくて良くなる。
自分を恨まなくて良くなる。
希望を取り戻した個体は身体からエネルギーを発します。誰も無視できない。誰も侮辱できない。誰も迫害できない。
つまり、周囲の人とのコミュニケーションの分断が起こらない。トラブルがまるっと回避できるようになるんです。
自分宛てのメッセージを読み取る
さて、どういう風に、昨日と違う自分になるのか。
私の場合は「私宛の明瞭なメッセージ」を受け取ったことがきっかけでした。もちろんそれは、こんな風に文章でやってきたわけではありません。起こったのは一つの「出来事」でした。
私はそこで酷く苦しい思いをしていました。そこでは、まったく自分らしくいられないのです。やることなすこと否定され自暴自棄になった私は自分で自分を呪うようになっていました。
もう、人生は落ちるだけ。自分に価値なんかない。
それでも、なんとか人生を終わらせるのは悔しいので、こう腹をくくることにしました「今、ここにいるということには何か意味があるはずだ。それがわかるまでここにいてやれ。」
そして、それは起こったのです。
それは、ほんの5分ほどの出来事でした。
言葉を交わすことを禁じられている老女が私の前に突然現れ、重いカートを押す私に話しかけ私のために扉を開けてくれたのです。
ただそれだけ。劇的でも感動的な出来事でもありません。
でも、私には耐えるしかない拷問のような時間の中で「その瞬間」だけがスポットライトが当たって輝いて感じられたんです。特別な救いの瞬間に思えた。
なぜ、特別だと思えるのだろう??
なぜ、救いだと思えるのだろう?
なぜ?
人の方へ行きなさい
なぜその場所(アルバイトでした)を選んだのかというと、人と対面で接する、ということを避けたからでした。同時期に選んだバイトはすべてその条件で選んでいます。宅急便の仕分け、郵便局の内務、施設の厨房補助などなど。
なぜ彼女との瞬間が輝いて見えたか。
それは「人との関係」があったからでした。
私は長い間、「人」を避け続けていました。怖かったから。(人とあまり接しないからというのが漫画家を志した理由でもあったくらいです。)
そして、案の定狭い視野の私は袋小路に陥っていたのでした。
私にはその時、出来事をこういうメッセージとして解釈することができました。「人の方へ行きなさい」。
そう解読できた時の驚きはいまも覚えています。そしてその直後に起こったことも。その夜、昨日も眺めた求人サイトで「ある仕事」を発見したのです。それは、人々に、あるサービスを進めるアルバイトでした。
昨日もあったはずの求人票。昨日も見たはずなのに見えなかった求人票。それが、今は見える。昨日の私には、関係なかったはずの仕事が突然視野に入る。
これか。
これか!
メッセージを解読した私はもうそれ以前の私とは劇的に違ってしまっているのでした。昨日見えなかったものが今日は見える。
世界は変わるんです。
自分が変わることによって。
問いを立てる技
窮地に陥った私がなんとかそこを脱出できたのは、私が「問い」をたてることができたからだと思います。
「これには何かの意味があるはずだ」
「私にとってこれはどういう意味だろう?」
これは、試験勉強に出る問題とは全然種類の違う「問い」です。なぜなら、正解がないからです。私の場合は「人を避けるな」というメッセージを勝手に受け取りましたけど、他の人が同じ意味を受け取るかどうかはわかりません。メッセージというと、答えはあらかじめどこかに用意されているように思われるかもしれませんがそうではありません。
その都度、受け取った人間が出来事をどう解釈するか、にかかっているです。とにかく、まず、それに意味がある、と思えるかどうか。
そしてあるとしたらどんな意味なのか。
これが、昨日と違う自分を呼び込む自己刷新の「スイッチ」です。
問いを立てることができるようになれば、今日の自分は昨日の自分とは違う視野を持ち新しい知見を得られるようになります。
さらに、明日はまた今日と違う自分に、と。スパイラルで複利で進化できる。古い自分が考えていた計画に執着する必要もなくなります。
どんどんよいアイデアがやってくるからです。
「問いを立てる」「その問いの答えを自分の中から探し出す」
これはひとつの技なのだと思います。
私が漫画家であったことが、この技を会得しやすくしました。
漫画家である私が、主人公をある困った状況に置くとしたらそれには必ず理由があるからです。主人公をその状況で学ばせたいか、そこでキーパーソンと出会わせたいか、正しい方向へのヒントを与えたいか。必ず理由はある。
私達の人生をプランしているのは私達自身です。
だから、その物語に流れている意味を受け取ることが出来れば、それを変えることもできるようになるはず、なのです。
漫画でなくMANGAである意味
私がMANGAの方法を伝えたいと思っているのは、この思考回路は生きるために絶対必要だという確信があるからです。
状況を変える力を身に着けられる。
トラブルに会わなくなる。
自分の人生をより愛せる。
未来から流れてくるヴィジョンを受け取りやすくなる。
「漫画を教える」ではたどり着けない境地がここにはあるります。
実際に絵なんかかかなくていい。
大事なのは「自分の人生を描く」ことだからです。
つづく。