昭和57年、中学に進学する聖くんは5年間にわたり生活した療養所を出て
家に帰ることになります。
成長にともない、ある程度体力がついたことと
薬の進歩により症状が抑えられるようになったためです。
この年「全国中学生名人戦」に参加しますが、ベスト8で敗れてしまいます。
優勝は後のプロ棋士、中川大輔八段です。

悔しさをあらわに聖くんは
「もっと将棋が指したい」と、お父さんに訴えます。
その思いつめた表情を見てお父さんは涙が出そうになります。
病気と闘いながら、あれほど聖くんが夢中に打ち込み
自信と勇気の根源である将棋で打ちのめされた。
そのことが切なくてたまりません。新幹線の時間まで
まだかなりあるので、将棋道場を探し出し
「新幹線の時間ギリギリまで指せばええっ」といいました。
「本当?」聖くんの表情がパッと明るくなります。

そこは西日暮里にある将棋道場でした。
聖くんは自信を失っていたのです。
あれほど将棋漬けで勉強してきたのに
小学生の時も中学生になっても全国大会では負けてしまいました。
勉強方法が間違っていたのか
それとも自分は才能が無いのかと。

しかし、その道場に聖くんの相手になるような人はいませんでした。
居合わせた有段者たちを、ことごとく破りました。
道場の人たちが誰かいないか、と悔しがっている時に
ひとりの巨漢が現れます。この男ならと、
一斉にみんなの顔が明るくなりました。
その人の名は 「小池重明」
最後の真剣師と言われ「新宿の殺し屋」と異名をもつ男だったのです。

真剣師とは賭け将棋で生計をたてる、言わば将棋界のアウトローです。
プロ棋士をも何人も破っている実力者で、雑誌にも取り上げられていて
聖くんも、その人が誰なのかはすぐにわかりました。
ゆっくりと近づいてきた小池さんは
「僕、つよいんだってなぁ。一局やろう」
と、ぶっきらぼうに言いました。もちろん聖くんに異存はありません。
なんと中学生VS新宿の殺し屋の対局が始まりました。

小池さんの駒は今まで聖くんが感じたことのない迫力でせまってきます。
盤上没我、将棋の宇宙を聖くんは思い切り羽ばたきます。
(まるで矢吹丈がカーロスリベラと出会い、立ち直った時のようです)
道場の人たちも、お父さんも手に汗握る熱戦のすえ
なんと、聖くんは新宿の殺し屋を打ち負かしました。
「僕、強いなあ」
対局中は鬼のようだった小池さんが敗戦に悪びれることなく
にこやかに言いました。
「がんばりや」 と優しく励ましてくれました。
「はあ」と照れながら聖くんは笑顔で答えます。

帰りの新幹線の中での聖くんは自信を取り戻し晴れやかな表情になっていました。
そりゃそうです。アマ最強の小池さんに勝ったのですから。
「僕、強いなあ」と言ってくれた小池さんの笑顔が
いつまでも聖くんの脳裏を離れませんでした。

広島に帰り中学に通うようになった聖くんの心の中に、ひとつの思いが募り
それは日をおうごとに大きくなっていきました。
「プロになりたい」
自分の体調管理も徹底しました。
少しでも熱ぽかったり、体がだるかったりしたら安静につとめました。
休息と決めたら尿瓶を用意しトイレにたつ体力さえ温存しました。
将棋に強くなることと、病気を封じ込めことは、
聖くんの中で、なんの矛盾もなく一致していました。
そして、家族に思いを打ち明けます。
「大阪に行って、奨励会に入りプロになる」と。

  以下次号予告~「親族会議」~


さあ東京へ、いざ!
土曜日に出て日曜日に帰れば通常の外泊許可で行くことができます。
聖(さとし)くんとお父さんは
信濃町で一泊して、全国小学生将棋名人戦の会場である
千駄ヶ谷の将棋会館へむかいました。
土地不案内のためゆとりをもって出発すると
大会の開始時間より、かなり早くつきました。

将棋会館にはおじいさんに付き添われた同じ年くらいの
お下げの女の子がいました。
「練習に一局さしてみなさい」 とおじいさんに言われ
聖くんは女の子と将棋を指すことになりました。
広島では県代表の大人とも互角以上の棋力の聖くんは
自信満々で対局しました。
ところが・・・

聖くんはこの女の子に負けてしまいます。
小学生将棋名人戦といえばプロ棋士への登竜門となる
伝統の大会です。東京、大阪はもちろんのこと
北海道から沖縄まで、全国から選りすぐりのエリートたちが
集まっています。
聖くんの相手をした女の子は、後に女流名人となる
中井広恵さんでした。おじいさんは数多くの名棋士を育てた
名伯楽、佐瀬優次名誉九段です。
「やっぱり東京はすごいもんじゃ!」
お父さんは驚きを隠せませんでした。
本戦トーナメントでも聖くんは早々に敗れてしまいます。
聖くんを破った子の名前は「佐藤康光くん」。
後に名人や竜王を獲得する、あの佐藤康光九段です。
しかし、この佐藤くんも、小学五年生で参加した「羽生善治くん」でさえ
この大会では敗れ去っています。
羽生さんがこの大会で優勝するのは、六年生になった
翌年のことです。

全国のレベルの高さを思い知らされた聖くんは
前にも増して将棋漬けの日々を送ります。
小学六年生の秋に広島で、将棋のイベントが開催され
米長邦雄さん、森安秀光さん、というトップ棋士の指導対局が行われます。
聖くんはタイトルホルダーの森安棋聖との
五面指しの指導対局を受けることになりました。

五面指しとは、プロ棋士がアマ五人と同時に対局し
ほとんどの場合、プロが何枚か駒を落としハンデを付けます。
「何枚落ちにしようか?」
と優しくたずねる森安棋聖に聖くんは
「飛車落ちでお願いします」
と臆さず答えました。
「・・・それでいいの?」
もう一度、問いかけた森安棋聖に
「飛車落ちでお願いします。」
聖くんは表情ひとつ変えず再び答えました。
さすがに森安棋聖の表情が険しくなり
会場がざわめきました。

当然でしょう。タイトルホルダーというプロ棋界のトップ棋士は
普通 飛車、角の二枚落ちでも負けることはありません。
それが子供の方から「飛車だけでいい」と
言われてしまったのです。
指導対局が始まり、他の将棋はスイスイと駒を進める森安棋聖も
聖くんのところだけは少考を繰り返します。
他のアマは次々と投了して、聖くんと森安棋聖の
一騎打ちとなりました。

聖くんの「玉」はプロ九段の的確な攻めを巧みにかわし
上部の安全地帯に脱出、と同時に
森安陣に猛攻を仕掛け、上手玉を仕留めてしまいました。
観戦していた大人たちが一斉にため息をもらします。
森安棋聖はまるで勝負将棋を負けたかのように
不愉快さをあらわにしています。
おそらく子供相手と気楽に対戦した自分を恥ていたのでしょう。
聖くんの将棋はアマチュアが趣味で指す将棋ではありません。

勝つために指す。
純粋に、勝負に勝つ。ただそれだけに徹していました。
指導を受けるなどとは、微塵も考えません。
強くなること、そのためには勝たなければなりません。
将棋で勝つことは、病気に勝つことでもあります。
聖くんにとっては、負けるわけにはいかない闘いなのです。

昭和57年中学に進学した聖くんは
いよいよ ひとり立ちの時を迎えます。
~以下 次号~



小学三年生になった聖(さとし)くんは外泊許可が下り実家に戻ります。
家には親戚で将棋が一番強い人が待っていてくれました。
最初はなかなか勝てませんでした。
そりゃそうです。毎日6時間将棋の本を読んでいるだけで
将棋の相手は超初心者の療養所の子供たち。
ちゃんとした相手と将棋を指すのは、この日が初めてです。
しかも相手の人はアマ三段の実力者、到底敵うはずはありません。

ところが何番か指すうちに、いい勝負をするようになり、
とうとう勝ってしまいました。
驚いたのは相手のアマ三段です。
アマ三段といえば、アマチュアではトップクラスで、普通子供と指す場合
飛車、角、桂、香、落としてもまず負けません。
それが今、初めて将棋を指す子供に平手で苦しまされている。
「この子は天才だ!」そう叫びたい衝動を抑え、必死で駒を動かしました。

療養所に帰った聖くん、大人に勝ったという喜びより
負けた悔しさで眠れませんでした。
消灯時間も過ぎ、静まり返った病室のベットの上で
自分の敗因を必死で探し求めました。
もっと、もっと強くなりたい。
心の中で強く念じました。
もっと強くなって名人になりたい。

「 ! 」

そう思った瞬間、聖くんの胸は わけもなく熱くなりました。
もう一度心の中でつぶやいてみます。

「名人になりたい」

名人という言葉が灼熱の太陽のように聖くんの胸を焦がしました。
その日以来、消灯時間が過ぎると月明りを頼りに
詰将棋の本に立ち向かうようになりました。
ただやもくもに本を読みあさっていたころと違い
大人たちに勝つという具体的な目標ができたことが
聖くんの胸をますます膨らませました。

月に三度の外泊日のたび、聖くんは近所の強豪を次々と
打ち破るようになり、相手がいなくなってしまいました。
そして広島県内でも有名な将棋道場「篠崎教室」の門を叩くこととなります。
聖くん、わずか10歳の夏です。
篠崎さんは元奨励会員で、体力的な問題で広島に帰り
地元で将棋の普及につとめている方です。
ここでもすぐに頭角を現し、県代表の人にすら
互角以上の闘いをするようになります。
「この子の将棋はアマチュア強豪レベルとはスケールが違う」
と篠崎さんにも認められ、わずか11歳でアマ四段を認定されます。

揺籃期を終え才能の開花した聖くんはここでも相手がいなくなって
いまいました。
「ここでは、もう強くなれん」
聖くんはお父さんに強く訴えます。
中国地区こども名人戦でも、すでの5連覇をはたしています。
聖くんには月にたった3日しかない、貴重な外泊日です。
少しも時間を無駄にしたくない。
お父さんにもその気持ちは痛いほどわかります。
いろいろ探し歩き、人に尋ねて広島将棋センターを教えられます。

ここは県外からも強豪が集まり、アマ名人を3人も輩出した名門中の名門です。
ここで思う存分、将棋に打ち込めるようになった聖くんは
昭和56年、小学5年生の三月に
「全国小学生将棋名人戦」参加することになります。

     ~以下 次号~