え~これまで村山さんの幼少期から少年期を、かなり仔細に

紹介してまいりましたが今回から、いよいよ師匠 森さんとの共同生活が

始まります。言わば この本の本編にあたります。

ですから、これよりは速足で駆けてまいります。

本編は やはりじっくりと、大崎善生さんの作品を読んでいただきたいなぁと

思いますです。

 

大人達の不手際で奨励会に入れず、失意のあまりネフローゼを再発させ

病院で寝たきりになってしまった聖くんですが

師匠の森さんもまた、大阪のアパートで眠れぬ夜を過ごしていました。

「どうして どうして僕、奨励会に入れないの?」

聖くんの言葉が耳を離れず、失意のあまり病気が再発して入院したと

聞いて、聖くんが かわいそうでしかたないのです。

悩んだあげく、ひとつの決断をして、聖くんに伝えます。

 

「回復したら大阪においで、自分のアパートで一緒に

 将棋の勉強をしながらプロを目指そう」

難しいネフローゼという持病を抱える聖くんを引き取り、

親代わりともいえる大役を担うのですから、一大決心です。

一度会っただけの子供に何故ここまで肩入れするのか

森さん自身も分かりません。

服装も態度も、何もかもなってない、不愛想なくせに愛嬌たっぷりな

容貌の、この村山聖という少年が理屈抜きで気に入ってしまったのです。

 

いいですねぇ、こういうの。西洋合理主義の輩には分からぬ境地ありましょう。

司馬遼太郎さんが言っておられました。

「人生で奇跡と呼べるものがあるとすれば

   出会いだけである」

まさに運命の出会いでありました。

この森さんの決断で聖くんの折れかけた翼が蘇ります。

 

そりゃうれしいですよね。

今までたった一人で、死に囲まれた病院のベットの上で、

懸命に努力してきたんです。

それを大人のせいで閉ざされた。

絶望の淵に落とされたところを、

一緒にがんばろうというプロ棋士が現れたのですから。

4か月を超える入院を終え、

昭和58年の8月から大阪の森さんのアパートで聖くんと森さんの

奇妙な生活が始まります。

 

間取りは玄関を入ると四畳半の台所、その先に三畳間があり、

その奥に六畳間。間にはさまれた三畳が聖くんの根城となりました。

養護学級がある中学に通い、終わると将棋会館で森さんと待ち合わせて、

大阪環状線福島駅のガード下のひなびた定食屋に向かいます。

雨の日も、風の日も、夕食は毎日この定食屋さんだったそうです。

え~36歳の時の森さんでらっしゃいます。

なかなか容貌魁偉・・・いや失礼、独特の風貌の方であります。

かたや、村山さん。いくつの時か分かりません。

この二人が連れ立って毎日通ってくるのですから

定食屋のおかみさんは、二人のことを

「母親に逃げられた父と子」だと思っていたそうです。

食事が終わると、また二人で将棋会館へ。

毎夜、毎夜、トボトボと、ふたりで歩きます。

病気のせいでゆっくりとしか歩けない聖くんに、

森さんが合わせて歩くので

5分の距離も15分以上かかってしまうのです。

 

森さんはこの時何を話したかや、出来事ではなく

とにかく二人で一緒にトボトボ歩いた

そのことが今でも忘れられないそうです。

 

同居生活を初めてすぐに、二人は奇妙な共通点に気が付きます。

大の風呂ギライなのですね 二人とも。

顔も洗わないし歯も滅多に磨かない。

風呂は週一、顔や歯は気が向いたらということに落ち着いたらしいです。

それに師匠も弟子も、髪とひげも伸び放題というのですから

ん~そりゃ、女房も逃げるわ。

 

  ~以下次号~

 

 

奨励会に入るためには、まずプロ棋士の弟子にならねばなりません。
お父さんは、元奨励会員の篠崎教室の篠崎さんに相談しますが
「まだ、早い」と言われてしまいます。
今度は将棋センターの本田さんに相談したところ賛成してくれて
いろんな伝手をたどり、最終的に当時まだ四段の森信雄さんに
話が持ち込まれます。
この「聖の青春」という本は森さんと村山さんの師弟愛の物語です。

昭和57年の秋
聖くんはお母さんと共に、大阪の関西将棋会館で
森さんとはじめて対面します。


「あのなあ、靴下をはかんとあかんぞ」
「はあ」
これが聖くんと森さんの交わした最初の会話です。
「この子冬でもこうなんです。無駄なものを身に着けるのが
 いやらしくて、一度いやじゃと言うたら私の言うことなんか聞くもんじゃなくて」
朗らかに笑いながら、聖くんの代わりにお母さんが答えました。
かりにも師匠になるかもしれない人と面接するのに
裸足とは、親は注意しないのか、という森さんの疑問を見透かしたのですね。

森さんは不思議な感覚を覚えながら、この親子を見ていました。
お母さんのほうは、小柄で痩せていてとても上品な雰囲気である。
しかし子供のほうは、
ワイシャツをだらしなく着て、ダブダブの学生服に裸足で
不愛想に立ち尽くしている。
そのくせ病気のせいで膨らんだほっぺたは愛嬌たっぷりだ・・・

森さんは一目で聖くんを弟子にすると決めました。
いったい、なにが気に入ったのか自分でもよく分かりません。
重い病気と闘ってきたのに卑屈さがない、
目には強い意志が宿っている、
まくりあげたワイシャツも裸足でいることさえも
何故か清々しく思えた。
容貌も態度も、何もかもなっていない。
それがかえって、この子の個性であり魅力だと感じました。
そしてなんと、将棋のテストもせずに弟子にする。
と、決めてしまいました。
将棋のプロ棋士を目指すのに、テスト無しとは
おそらく最初で最後でしょう。
森信雄30歳 村山聖13歳 運命の出会いでした。

11月に大阪で森門下生として5級で奨励会の試験を聖くんは
受けました。5勝1敗・文句なしの成績です。
広島に帰った聖くんは「名人になる」と叫びながら
駒がすり減り、将棋盤がささくれだつほど将棋に打ち込みました。
明確な目標を持ち、努力するほどレベルアップしている。
確実に名人に近づいていると実感することができて
最高に充実た日々をすごしていました。

ところが、思わぬ問題が湧き上がります。
「村山くんの奨励会入りは見合わせる」
突然、森さんの部屋の電話にこんな連絡が理事会からきました。
驚いて理由を訊ねると
最初にお父さんが相談しだ篠崎さんが「まだ早い」といいながらも
来るべき日に備えて、聖くんの師匠を探してくれていて
灘連照九段という当時の関西の名棋士に弟子入りが決まっていたというのです。
それなのに、自分の弟子が若い森四段の弟子として
奨励会試験を受けているのは何故か。
承服がいかぬ、と猛烈に抗議してきたというのです。

将棋界は日本の伝統文化を担う社会。当然のこととして
完全な縦型社会です。御大が四段のヒヨッコにコケにされた。
とへそを曲げてしまったのです。
お父さんが本田さんに相談する前に一言、篠崎さんに断っておけば
こんな事態にはならなかったのですが
将棋界の師弟関係のような特殊性の事など
なにも知らないお父さんをせめるのは酷というものでしょう。

森さんは必死で事態の収拾に走り回りますがどうにもなりません。
最後には、「お前も切るぞ」とまで言われてしまいます。
「切るなら切れ」と言いかけた時、聖くんの姿が浮かびます。
あの子の道を閉ざしてはいけない。
何とか、今年は見合わせて来年改めて森門下で試験を受けさせる
ということで落としどころを見つけました。

森さんは村山家へ無念の電話をいれました。
電話口の聖くんに森さんは言葉をつくします。
「辛いだろうけど辛抱してや」
「この一年無駄にせんようにがんばろうな」
じっと聞いていた聖くんが口を開きました。
「どうして、どうして僕 奨励会に入れないの」
聖くんは泣きながら繰り返します
「どうして?」
森さんも、聖くんの無念は痛いほどわかります
聖くんは何もしてないのですから。
「辛抱や、来年がんばろな、今は我慢してや」

電話が終わってから、聖くんはお父さんに頼み
篠崎さんに直談判にいきますが
もうどうにもなりません。

聖くんの悲しみが飽和量を超えました。
涙が止まらなくなり両親に訴えます。
「僕は なにも 恐くない」
「病気だって 死ぬことだって恐くない」

「恐いのは大人じゃ」
「恐いのは人間じゃ 人間だけじゃ」

「大人は卑怯じゃ
  どうして どうしてじゃ!」

気が触れたのではないか、と両親が思うほど
聖くんは泣きじゃくります。でも慰める言葉など見つかりません。
「人間は嫌いじゃ!」と聖くんが慟哭するだびに
両親の胸も張り裂けそうです。
幼いころから、重篤な病気を抱える子供たちに囲まれて
生きてきた聖くん。
いちばん甘えたい時期に、父も母もいませんでした。
深夜、となりのベットの子が苦しみだし
大人たちが走り回り、その子をどこかへ連れていきます。
そしてその子は二度と帰ってきません。
そんな夜を、何度となく過ごさねばなりませんでした。

そんな聖くんを支えてくれたのが将棋でした。
将棋に自分の生きる道を見つけ、病気という体の弱点も
死の恐怖さへも、飛び越えてゆく翼が将棋でした。
将棋を知るため、強くなるため、一日も欠かさず努力してきました。
誰の力も借りず、暗い病室のベットの上で、たったひとりで
自分の道を切り開いてきました。

それなのに、大人たちが自分の道を閉ざそうとしている。
「大人はきらいじゃ!」
どんなに泣いても、叫んでも悲しみが止まりません。
大人たちはいつもいばるだけで、ルールや理屈をこねるだけで
消えていく子供たちの命の灯も守れなかったじゃないか!

「1年」

「1年まて」、と大人は簡単に言う
その1年という意味が誰もわかっていない
もしかしたら、僕は1年後には 生きてないかもしれないのに。
それをいったい どんな思いで待てというのか。
「大人は嫌いじゃ!」

聖くんの号泣は突然やみました。
そしてぐったりと気を失ったかのように沈み込んでいきました。
泣き叫ぶことに体力のすべてを使い果たしてしまったのです。

ネフローゼの再発。
翌日から即刻入院を言い渡され、ベットの上で
まるで動けなくなってしまいました。
聖くん13歳 あまりにもつらい、秋です。
聖くんの翼は、もう少しで折れてしまいそうでした。

              ~以下次号・新生活~












大阪に行って、奨励会に入りプロになる」
聖くんjはうわごとのように、この言葉を繰り返すようになりました。
これには、お父さんも、お母さんも困ってしまいました。
二人とも、聖くんの病気に責任を感じています。
もっと早く、大病院に連れて行ってやれば防げたはずだと。
だから聖くんには、やりたいことは自由にさせてやろう。
そう思っています。

しかし、この聖くんの願いには大きな不安があります。
ひとつは、将棋の世界、そして奨励会、というところが
どういう所かさっぱり分からないこと。
そして、もうひとつ、大阪でのひとり暮しは
あまりにも危険すぎるのではないか、ということです。
今のところ病気をうまく抑え込んでいるものの、
ひとたび体調を崩せば高熱を発し寝たきりになってしまうのですから。
そのことを、遠回しに言ってきかせるのですが
まるで効果ありません。

そこでお父さんは一計を案じます。
親族会議を開き、奨励会入りを反対してもらおうというものです。
幸い、自分の兄弟は皆学校の教師をしているし
義弟は中学校の校長。
きっと現実的な尺度で聖くんの夢をあきらめさせてくれるだろうと。

親族会議は昭和57年9月、お父さんの妹さんの家で行われました。
中学校長をはじめ教師たちがずらりと並んでいます。
まず、お父さんとお母さんが奨励会入りを反対しました。
理由は体調管理のことです。
集まった親戚たちも、同調していきます。
お父さんの筋書き通り進んでいきかけた、その時

「いかせてくれ」
と聖くんが皆の前で頭を下げました。
「頼みます。僕を大阪にいかせてください」
・・・しかし、健康が一番大事だから・・・と誰かが言いかけた時

谷川を倒すには今行くしかないんじゃ!」

聖くんが叫びました。まさに魂の叫びです。
会議は水を打ったように静まりかえります。
聖くんはあせっていました。自分はそう長く生きられない、
奨励会を5年で卒業したとして18歳。名人に挑戦するまでの
5つのリーグをストレートで勝ち上がったとして23歳になってしまう、
今からでも遅すぎるくらいだ。そう思い込んでいました。
・・・その谷川とは・・・


                    ー 谷川浩司 ー
史上2人目の中学生プロ棋士として脚光を浴び、それまでの将棋界の常識、
人生経験が将棋を強くする、攻めだけではプロには通用しない、などを
次々と いともたやすく覆していきました。

順位戦図
プロの将棋界はこの5つのクラスに分かれています。
それぞれ一年間を通して順位戦が闘われ、一番上の
A級で一位になったものが、晴れて名人への挑戦者となります。
名人とは、まさしく将棋界の頂点に君臨する王者なのです。
谷川さんはこの昭和57年、わずか20歳でA級に昇級し
そこでも快進撃を続け、翌58年には史上最年少、21歳で
名人となります。
それまでは無理だと言われたような攻め筋でも、
決然と攻めを敢行し、敵玉を打ち取りました。その攻め将棋から
「谷川前進流 光速の寄せ」と呼ばれました。
将棋界では、谷川以前、谷川以後とまで言われるようになり
それまでの将棋理論をも覆す まさに若きスーパースター、
それが谷川浩司です。

聖くんの目標はただひとつ。
この谷川を倒し名人となる。そのためには一日も余裕がない。
そんな錯覚に陥っていました。

学生服姿の聖くんは畳に手をつき、頭を下げたまま
もう一度、しぼりだすように言います

「谷川を倒すには今行くしかないんです。
  お願いです。
   僕を大阪に行かせてください。」

長い沈黙を破ったのは校長をしている義弟でした。
「立派じゃないか」
「中学一年生が自分の意志で、ここまで将来を決めるなんて
 なかなか出来ないことだ」
当時、義弟が校長をつとめる中学では
校内暴力の嵐が吹き荒れていました。不良のレッテルを張られた
生徒達は徒党を組んで暴れまわり、他の生徒達は目標も
見つけられず無気力の日々を送っている。
そんな悩みを抱える義弟には、聖くんの言葉は
新鮮でたくましく思えました。
「うちの中学にもこういう生徒がほしい」とまで言ってしまいました。
聖くんの強い意志と、明確な目的意識に裏付けされた言葉に
他の大人たちも感服していました。

ここまで聖くんが決心しているのだから
親として最大の支援をするべきではないか、と親族会議は
当初の目的から逆転してしまいました。
会議という名目で集まってもらった以上
そこで提示された結論を無視できなくなりました。
聖くんは自らの強い信念で、
 進むべき道の扉をこじ開けてみせたのです。

~以下次号予告・運命の出会い 師匠 森信雄~

(えぇ、まったくの余談ですが
パッキャオのラストマッチ終わりましたですね・・・
やっぱり涙がでました
長いあいだ、ありがとうございました。)