入院は昭和59年の4月にまでおよび

その間に聖くんは4回続けて奨励会を欠席することになりました

それは熾烈を極める奨励会の競争において

脱落に近いことを意味します。

このままでは聖くんの翼は羽ばたく前に折れてしまいます。

命を守るには安静が第一。それはわかります。

しかし将棋の道が閉ざされたら、聖くんは生きる目標を

失います。

森さんは主治医に、なんとか対局に参加できるように

必死に頼みます。

森さんの熱意に押され渋々ながら医師も首を縦にふりました。

 

こうして聖くんは奨励会に復帰。

朝、森さんが病院にタクシーで迎えに行き

奨励会が終わるとタクシーで病院に帰る。

もちろんそのことは、あらゆる関係者に秘密です。

奨励会の後は必ず体調が悪化し

2、3日は身動きひとつできなくなります。

じっと目を閉じ体に活力が蘇るのを辛抱強く待ちます。

 

このころのエピソードで私が好きなのは

村山さんは体調が良くなると本をむさぼるように

読んだそうです。ジャンルは推理小説とコミックが多く

なかでもコミックは少女漫画が大好きでした。

それも学校が舞台の他愛なく そして穢れのない

恋愛ものが特に好きだったそうです。

学校生活を 経験出来なかった聖くんは

フワフワとした綿菓子のような学園恋愛ものに

心ときめかせていました。

 

当然、その少女漫画を探して買ってくるのは

師匠の森さんです。

ところがかなりマニアックな作品が多かったらしく

なかなか見つかりません。

普通なら「すまん、揃わんかった」であきらめそうですが

森さんは「必ず見つけたるからな」と闘志を燃やし

聖くんの欲しい本リストに書いてある作品が

全部揃うまで、大阪中の本屋を歩き回りました。

左から2番目が師匠の森さんでありますが

この風貌で、ふわふわの綿菓子のような少女漫画を

病院で待つ弟子のために、大阪中の本屋を

探して歩き回る。愛されるべき人物だなあ、と思いますです。

 

奨励会復帰後の聖くんの成績は、ほぼ指し分け。

聖くんの才能をもってしても、それが精一杯でした。

森さんは主治医と忌憚なく話し合い

ひとつの決断を下します。

聖くんを広島に帰し、親元から月に2回

新幹線で大阪の奨励会に通わせよう

というものでした。決断後の森さんの行動は早く

広島へ出向き両親に話をし、養護学級のある中学への

転校手続きもすぐにすませました。

こうしてこの師弟の約一年間の同居生活は終わりをつげます

 

この判断が功を奏し、自宅で体力を取り戻した聖くんは

猛烈な勢いで奨励会を駆け上がります。

昭和60年1月に一級に昇級。

関西奨励会の最多連勝賞と最多勝率賞を受賞します。

この年中学を卒業して高校へは進学せずに

将棋の勉強に打ち込みます。

「名人になるんじゃ!」

こう叫びながら自分を鼓舞して対局に向かいます。

快進撃は続き、その年の8月には早くも初段昇段を

果たしました。

村山 聖 16歳初段の誕生です。

それと同時に 今度は聖くんがひとつの決断を下します。

 ~以下次号・一人暮らし~

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和58年11月、聖くんは森門下生として奨励会試験に挑み

5級で見事合格します。

しかし聖くんの表情は曇っていました。

「一年も待たされた・・・」限られた時間を懸命に生きている聖くんには

悔しくてたまりません。

でも今は、その聖くんの胸の内を分かってくれる人が

側にいます。だから師匠の森さんも

別段祝い事もせず、いつも通りの定食屋に二人でトボトボと通い

いつも通りの食事をして帰りました。

 

いつもと同じ生活の中で変わったことといえば

聖くんが通う場所が関西将棋会館の2階の道場から

3階の棋士室になったということです。

棋士室にはプロの毎日の棋譜がファイルされていて

自由に閲覧できます。

(え~棋譜というのはですね、新聞の将棋欄に

 載っておりますでしょ。対局者の初手から最後の指し手までを

 記号で記録してある

 ▲7六歩 △3四歩 ▲2二角成 △同銀 ▲4五角 △6二銀 

 これでございます)

今でこそ、ネットでライブで見れるようになりましたが

当時はまだ、そんなのありませんから

聖くんはこの棋士室で毎日、将棋の勉強に没頭することと

なります。

 

それと もうひとつ。

これが一番大事なのですが月に2回行われる

奨励会の対局日です。

6級から1級までの級位者は1日3局の手合いがつけられます。

   「奨励会」

プロ棋士を目指す若者たちが、全国から

東京と大阪に集まり日々鎬を削っています。

アマチュアの5段・6段が、ここでは5級か6級です。

地元では、天才だ、将来の名人だ、と言われていた子が

ここでは普通の子供に過ぎず、

大人相手にも無敵を誇っていた自分が

まるで勝てなくなってしまい、かなりのショックを

味わうこととなる。

それが奨励会のスタート地点です。

 

それに敵は対戦相手だけではありません。

21歳までに初段、26歳までにプロの合格規定である四段に

昇段できなかった者は退会となります。

奨励会はプロ棋士養成機関であると同時に

才能ある若者を淘汰する場所でもあります。

奨励会員にとって一歳年をとるということは

一年寿命が縮まることを意味します。

10代の若者が自分の誕生日を憎み恐れるようになります。

初段の壁がクリアできずに約半数の若者が去っていきます。

最上位の三段リーグは半年間かけて戦われ

上位2名がプロである四段に昇段し。それ以外の者は

26歳の誕生日で退会となります。

プロ棋士への道は、まさに狭き門。

聖くんが理不尽にも待たされた一年間の怒りは

当然の感情だと思います。

 

11月に晴れて奨励会員となった聖くんですが

12月には再び体調を崩し入院することになります。

横たわったまま指先すら動かせない聖くん。

森さんがかけてくれる言葉にも返事をすることが出来ません。

聖くんの下着類の洗濯をすませ

「はよ、元気になりや」と声をかけながら

微動だに出来ない聖くんの頭をなでてやると

安心したかのように目を閉じ眠りにつく聖くん。

師匠が弟子のパンツまで洗ってやり

動けない弟子の看病をする。

これがこの師弟の現実でした。

 

ん~駆け足で進めると言いながら

なんだか奨励会の説明だけで今回終わってしまいました。

すんません。

~以下次号 師匠の決断~

 

 

 

「爪は切らなあかんぞ」

大の風呂嫌い、洗顔や歯磨きも気が向けばする。

という森さんにとって理想の弟子?である聖くんですが

爪も切らない、これだけは将棋指しのマナーに反すると

注意したところ

「どうしてですか?」 と質問され

「どうしてって、冴えんやろ 将棋指すんやから」 すると

「どうして、せっかく伸びてくるものを切らなくてはいけないんですか

 髪も爪も伸びてくるのには、きっと意味があるんです

 生きているから伸びてくるんです

 生きているものを切るのは、かわいそうです」

 

この聖くんの死生観に森さんは言葉を失います。

そして聖くんの生きてきた人生を思います。

14年間の大半を病院ですごし 多くの死をみつめ

自身もまた、生死の境をくぐりぬけてきた。

人は皆、手もなく死んでいく。だからせめて

生きている間は、伸びてくるもの、生きているものを

切りたくない。

優しくも切ない聖くんの言葉に 生きる ということの

意味を教えられた気がした森さんでした。

 

とはいえ、あまりにも伸びすぎた髪をほっておけず

わしずかみにしたまま床屋まで連れて行き

ギャーギャー泣きわめく聖くんの頭を

無理矢理散髪したそうです。

ん~若手棋士時代、まだ怪童丸と言われていた頃です。

筋金入りの無精者、というところですかね。

 

さて師匠との二人暮らしを始めた聖くんを

ネフローゼは見逃してくれません。

梅雨が終わった蒸し暑い深夜、聖くんは高熱に

うなされます。懸命に氷で冷やす師匠の森さん。

「僕、熱が42度を超えると死にます。

 今 何度ですか?」

熱は41度を超えていますが

「いま 40度やなあ

 朝までがんばりや 病院開くからな」

と、ごまかしながら徹夜で看病をする森さん。

 

この日以降、

聖くんは大阪でも入退院を繰り返すことになります。

入院中は広島から駆けつけた聖くんのお母さんと

交代で付き添う森さん。

この時、腎臓病患者用の塩と蛋白質を使わない、

何の味もしない食事を味見して

病気を抱えて生きている聖くんの現実を

実感します。そして

退院中はせめて二人でトボトボと歩いて行く食堂の時間を

大事にしてやろう、と決心します。

 

普通なら、やれ食事の管理だ、規則正しい生活だと

大人は思うのかもしれませんが

それを承知のうえで、あえて

あんな裏淋しい食堂の焼き魚定食を

ゆっくりと丁寧に味わって食べる聖くんの時間を

大切にしてやろうと思う森さんでした。

このあたりも、聖くんの思いを分かってくれる運命の師匠だと

思いますです。

 

そして森さんは思います。

聖くんがアパートに来た最初の日、

森さんは手料理を作り もてなします。

その料理を 一口食べて言った聖くんの言葉が

「・・・まずい」

やっぱり、わしの料理は・・・冴えんなあ・・・と

 

こんな生活を繰り返し、昭和58年の秋

聖くんは再び奨励会試験に挑みます。

~以下次号~