C級一組に昇級した18歳の聖くんが最初に始めたことは

日本フォスター・プラン協会というボランティアへの

寄付活動です。アジアやアフリカの環境の厳しい国に暮らし

何らかの理由で孤児になってしまった子供たちに毎日仕送りをして

金銭的に親代わりになろうというものです。

毎月の対局料から積極的に送金を始めました。

弱者を助けたい。特に子供を。

その思いは長い間の療養生活を余儀なくされた聖くんの願いであり

自分自身が生きるための原動力でもあったようです。

 

奨励会時代から聖くんは「勝負に生きる」ことへの疑問を

抱くようになりました。

弱者を助けたい、命を守りたい、ずっとそう思い

ノミやダニ、蚊、すらも退治しない聖くんです。

それなのに自分のしていることは何なのか。

プロ棋士になるため相手を倒し勝ち抜いていく。

それは具体的直接的に弱者を痛めつけているだけではないか。

プロ棋士になってからも、この疑問は大きくなり

近しい人に自分の将棋感を、こう語っています。

 

「勝負の世界というものは真っ白な世界だ。

 将棋盤の前で自分は、よいも悪いもないただ真っ白になっている

 そこは神も入り込めない神聖そのものの世界。

 しかし勝負には決着が着く。僕が勝つということは

 相手を殺すということ。

 目には見えないが確実に殺している。

 自分はそのことに時々耐えられなくなる。

 人を傷つけながら勝ち抜くことに何の意味があるんだ」

そして、早く将棋をやめたい、と。

「早く名人になって将棋をやめたい。」

これが当時の聖くんの将棋界への思いでした。

 

そんな思いの中で始めたことがあと2つ、酒と麻雀です・

もともとゲーム好きが集まってるプロ棋界ですから

麻雀はほとんどの棋士が楽しんでます。

ただ聖くんは麻雀でも勝つことに徹した勝負に辛い

ものだったそうで、体調が悪かろうと勝つまでは

やめないで打ち続けたようです。

酒、これは酒そのものが好きになったというより

仲間といく酒場の雰囲気が好きだったようです。

一人で定食屋で食べるより、気の合った仲間と飲み食いする

方が楽しいに決まっています。

 

聖くんが飲み屋に出入りしているという情報はすぐに

師匠の森さんに伝わりました。

しかし酒を飲むな、とは言いませんでした。

少年時代からの大半を病院で過ごした聖くんにとって

仲間と飲み食いしながら歓談する楽しさ、

少しでも普通の人のように人生を楽しんでみたい、

その場に少しでも長くいたい、という願望は

痛いほど理解できました。

だから、聖くんには気づかれないように飲み仲間に

「酒、とめはせんけど、あんまり無理せんように

 してやって下さい。顔色が悪い時は、怒ってもええから

 帰してやって下さい。」

と頼んでありました。こんな時も影で気をもむ、お師匠さま

でありました。

 

酒飲むな、は常識ある大人の正論であります。

しかし、人は正論だけでは生きられません。

人を傷つけたくない、という生来の優しさと

勝負の世界に身を置くわが身の葛藤に苦しむ

聖くんは、子供から大人への殻を脱ぎ捨てるように

あがいて、もがいている、そんな時期だったと思います。

 

だからといって、将棋の勉強をおろそかにはしません。

当たり前のように勝ち進み、若獅子戦の決勝で

再び、羽生さんと対戦します。

この闘いも羽生さんの勝利に終わり

翌年のC級順位戦で3たび目の闘いとなりました。

またもや14時間を超える大熱戦となりましたが

2期連続の死闘は、またしても羽生さんに軍配があがりました

 

羽生善治に3連敗、これはこたえた。

聖くんは寝込んでしまいました。

動くことも人に会う気力も湧いてこない。

頭から布団をかぶり昼も夜もなく眠り続けました。

羽生さんと指した将棋が一時も頭を離れない。

その一手一手、一瞬一瞬が聖くんを粉々に

打ち砕きました。

幼い頃からの絶え間ない努力によって培われてきた

将棋への自信が音を立てて崩れ去りました。

棋士は皆、同じ海を見ているはずだった。

その海を谷川よりも遠くまで泳ぎ、

谷川よりも深く潜れるように努力を積み重ねた。

将棋という九九、八十一升の海は同じだと思っていた。

 

しかし、羽生との一手一手を何度も何度も反芻して

思ったこと。

「羽生の見ている海は違う」

彼は自分が見ていたものとは、まるで違う景色を見ている。

そのことに気づいた時、

聖くんは自分の全人格を否定されたような衝撃をうけます。

そのまま2週間に渡り寝込んだままになりました。

その間2局対局があり、何とか出向き2局とも勝利します。

こんな状態でも勝ちきってしまう聖くんんの才能も恐ろしい

ほど凄いと思いますが、

聖くんが考えているのはただひとつ

 

「羽生の見ている海」

 

自分には見えなくて、羽生に見えているもの

それが知りたくてひたすら考え続け

とうとう本格的に体調を崩してしまいます。

精神的なショックが肉体にも深刻なダメージをあたえました。

尿蛋白は限界値に達し医者は即入院を勧めますが

対局の日程が詰まっているため入院を拒否し

対局をこなし、黒星を重ねていきました。

棋士にとって対局に負けることほどの精神的な打撃はありません

羽生ノイローゼともいえるような状態のままでの

黒星続き、そんな悪循環のなかで聖くんは もがいていました。

 

そんな時、将棋界を揺るがす大事件が起こります。

名人と並ぶ将棋界の最高棋戦、竜王戦で羽生さんが

島朗竜王を下し、わずか19歳で将棋界の頂点に立ったのです。

  ~以下次号・谷川王将戦へ、いざ!~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

C級2組の時は、東京と大阪に分かれていたこともあって

聖くんと羽生さんの直接対決はありませんでした。

C級1組の順位戦、関西将棋会館で初対決の時を向かえます。

しかしその日の朝、ネフローゼが聖くんを襲います。

動かぬ体を無理に起こし、何とかアパートの外に出たのですが

アスファルトの上に崩れ落ちます。

気息を整え立ち上がろうとしますが、手足が微動だにしません。

焦りと悔しさで目頭が熱くなってきます。

「・・・だめだ・・・不戦敗か・・・」

なさけなさにアスファルトの上で朽ち果ててしまおう・・・

そう思った時です

 

「どうしたん、大丈夫か?」

通りかかった近所の電気工事屋の人が声をかけてくれました

聖くんは口をパクパク開けますが声が出ません

「あのう・・・」何とか声を振り絞ります。

「何かあったんか?」

「いえ、お願いです・・・

 僕を 将棋会館へ連れてってください」

聖くんは見知らぬ男性にそう告げました。

「歩けんのか?」

「・・・はい・・・」

「よし、わかった。今、車回してやる」

 

そして、電気工事屋のおじさんは聖くんを車に乗せて

将棋会館まで運んでくれました。

この日以来、この男性は毎朝9時頃になると

聖くんのアパートの前のようすを窺うのが日課となりました。

そしてアスファルトの上に崩れ落ちてる聖くんを

見つけては、将棋会館に運んでくれたのです。

そのおかげで、何とか不戦敗だけはまぬがれました。

勝負は「天才VS怪童」の名にふさわしい大熱戦となり

深夜0時を超えました。

序盤から先に攻撃体制を築いた聖くんのペースで進みますが

聖くんの猛攻に、ひるむことなく玉自ら死地に出向き

首の皮一枚でしのぎきり、逆転の即詰みに聖くんの玉を

切って落としました。

      「羽生マジック」

後にそう呼ばれる羽生さんの逆転の必殺技の

最初の餌食となってしまいました

この棋譜を見た佐藤康光現九段は羽生さんが仕掛けた

トリックのような罠に鳥肌がたったといいます。

 

午前0時48分、聖くんは駒を投じ

14時間を超える闘いは終わりました。

感想戦が終わると、時刻はすでに3時をまわり

対局室に残っているのは聖くん一人になりました。

今闘った盤面を凝視したまま動きません。

そして盤に向かってつぶやきます。

「なんて強いんだ・・・」

今度は髪をかきむしり、顔を覆い隠し吠えるように

「なんて、強いんだ」

人気のない深夜の対局室に響き渡りました。

 

何とか立ち上がりタクシーでアパートへ向かいます

朝、アスファルトの上に崩れ落ち動けなかった聖くん

いつもなら敗れた後は数日寝たきりになります。

しかし、この日は敗戦直後にもかかわらず

聖くんの目はらんらんと輝いています。

谷川を倒す!その事を目標に生きてきましたが

もう一人倒さなければならない男が現れました。

     羽生善治!

そして、こう思います。

彼は自分より明らかに強い。

聖くんはその事を冷静に受け止め実感します。

だからといって、挫けるわけにはいかない。

自分は子供の頃から、何度も強い大人に負かされ

そのたびに療養所で必死に勉強して

努力でそれを乗り越えてきた。

子供の頃から繰り返してきた、あの努力を

あの作業をもう一度やり直せばいいだけなんだ。

あの化け物のように強い羽生を倒すために。

終生のライバルを見つけた聖くんは

部屋で布団にくるまり、いつになく

静かで深い眠りにつきました。                                          

    ~以下次号・羽生が見ている海~

 

 

 

 

 

今週の将棋ジャーナルの特集コーナーは村山さんだったですね

ただ、またもや最後の対局となったNHK杯決勝の場面、

村山ならこれ流しとけばいいだろ、という安易な企画でした。

「聖の青春」の映画化を記念した企画だったら

もっとちゃんとしたもの創って下さい。と思うです!

この本に載ってるエピソードで私が一番好きなのは

著者の大崎さんと村山さんが最初に対面するところです。

村山さんが四段昇段した頃のものです。

大崎さんと師匠の森さんは仲の良い友人で大阪出張の時は

いつも森さんのところに泊まってました。

会ったことは無くても森さんから弟子の聖くんのことは

生まれてから今日までのことを事細かに聞かされておりました

大崎さんと森さんはいつもの居酒屋で一杯飲み

森さんの部屋に帰る途中、上福島公園を通ります。

吐く息も白い寒い夜でした。

 

前方から、体を斜めに傾けて紙袋を下げた青年が

トボトボと歩いてきます。体は紙袋の重さで

傾いているようです。聖くんでした。

その姿を見とめたとたん、森さんが飛ぶように駆け寄りました

「飯、ちゃんと食うとるか?風呂入らなあかんで、

 爪と髪切りや、歯も時々は磨き」

風呂も入らず、歯も磨かない、髪もひげも伸び放題の師匠から

機関銃のように次々と言葉がかけられます。

 

そして 「手出し」 と命令を下します。

聖くんはおずおずと森さんに向けて手を差し出します。

その手を師匠は優しくさすりはじめました。

「まあまあやなあ」と声をかけながら。

すると、聖くんは何も言わずもう一方の手も差し出しました。

大阪の凍りつくような、真冬の夜の公園で

大崎さんは息をのんでその光景を見つめました。

それは人間の、というよりもむしろ

犬の親子のような愛情の交歓でした。

理屈も教養も、無駄なものは何もない、

純粋で無垢な愛情そのものの姿でした。

 

「この人が大崎さんや、ほっぺたさわってもらい」

大崎さんは何のためらいもなく手を伸ばします

そのほっぺたは柔らかく温かでした。

「早よ帰って寝や」と言われ聖くんは

「はあ」と消えるような声で呟き、体を傾けたまま

とぼとぼと夜の帳に消えていきました。

その背中を見送りながら森さんは誰に言うともなく

「村山くん、しんどそやなあ

 また髪洗ってやらなあかんなあ」

驚いた大崎さんが

「師匠がそんなことまでするんですか」と聞くと

「自分ではなかなか洗わんからなあ

 村山くんの髪洗うの楽しくてねえ」

大崎さんは夜空を見上げ星を眺めるふりをして

涙をこらえました。今の師弟の情景に

思いもよらず感動していたのです。

 

映画化の話を聞いた時からこのシーンを

いかに描くのかが気になっています。

他者からみれば、宇宙の片隅の小さな小さな公園で

禿げたおっさんが小太りの息子の手をさすっている、

何てことも無い光景です。

しかしこの作品(本)では、この師弟の愛情を

これほど絵として的確に表すものはありません。

さりげなく静かに、しかし観客の心には残るように

このシーンが撮れるかどうかで、この映画が決まる

とさえ思っておりますです。

 

え~今回、羽生さんとの初対決のはずが

つい他のエピソードで長くなってしまいました。

次回こそ「羽生VS村山」であります!