病院を脱走するかのような、強行退院をして闘い続けた聖くんは
みごと順位戦を勝ち抜きA級昇級を決めます。
同じ時、将棋界以外でも話題となった羽生さんの7冠フィーバーは
被災地、神戸を背負って戦った谷川王将が勝利し
羽生さんの将棋界完全制覇を阻止しました。
谷川さんが飛行機で地元に帰ると、ファンが花束を持って
英雄の帰還を出迎えたそうです。
それを横目で見ながら、聖くんは東京へ引っ越します。
当時は羽生さんを筆頭に、森下、佐藤、森内、郷田(敬称略)など
トップを争う若手棋士は東京に集中していました。
彼らを倒すため東京に乗り込んだのです。
関西の時と同じく、東京の将棋会館でも4階の桂の間では
将棋盤の前にどっかりと座り検討に励む聖くんの姿がありました。
その検討の輪の中には前述のトップ棋士達と
時間がとれる時には羽生さんの姿もありました。
聖くんの指摘する指し手の深さと正確さに皆感心し
尊敬の念を抱いていきました。
どんな大先輩でも、こと将棋のこととなれば
聖くんの口から飛び出す歯に衣着せぬ辛辣な
指し手への評論には、感動したといいます。
病院で少年時代を過ごし、常に身近にある死を意識して生きてきた
聖くんは、人との駆け引きとか、狡猾さとかを
学習する時間がありませんでした。
お世辞も、一歩ひいて相手を立てるというテクニックも知らない。
いつも、生(き)のままの聖くんでした。
純粋無垢で、ありのままの自分をさらけ出す、
そんな聖くんは他の棋士達に、ある種の憧憬の念をもって
受け入れられました。
A級順位戦を2勝2敗でスタートした聖くんは第5局で
谷川さんとあたり、激闘のすえに勝利します。
ついに、子供の時からの念願だった「打倒谷川」を
果たします。しかも名人挑戦者を決めるA級順位戦の舞台で。
「手をのばせば名人位がそこにある!」
この時に実感したといいます。
聖くんは本が好きでした。少女コミックや推理小説に限らず、
さまざまなジャンルの本を読みました。
え~ここからの、激闘は将棋盤の上よりも
病院のベットの上でになっていきます。
平成8年の10月から11月、名だたるトップ棋士達を下し8連勝、
なかでも8人目は谷川九段で、光速の寄せに逆王手をかけての
名局で谷川さんの心胆を寒からしめたものでした。
王将リーグでは独走態勢を築き羽生7冠への挑戦権を
ほぼ手中にしていました。
しかし、体調は優れず血尿が止まりません。
東京の総合病院での診断は精神的なもの。
その後も体調は悪化する一方で、聖くんは広島へ帰る決心をします
著者の大崎さんは、この時すでに自分の死期が近いことを
予感していたのではないか、と書いています。
そんな体調にもかかわらず第30回早指し戦優勝、
竜王戦では無敵、羽生さんをまたしても下します。この対局は
村山さんの生涯最高の名局といわれてます。
「勝負手を見つけ出す本能的な嗅覚は、誰も真似できないものです」
と羽生さんは村山将棋を語っています
羽生の見ている海が見えず苦しんだ聖くんは
羽生の見えない海にたどりついていました。
けれど、もはや対局に挑む体力は残っていませんでした
広島大学付属病院での診断は膀胱癌、
腎臓も一つは機能停止していて、もう一つもアウト寸前の状態
広島の医師は、精神的なものと診断した東京の医師の名前を
教えてくれ、といったそうですが聖くんは
「もう、忘れました」 と答えたそうです。
こんな時でも、その医師をかばい過去ではなく未来へ
生きようとする聖くんでした。
時の流れは容赦してくれません。
A級を降格し、B級一組での順位戦が始まりました。
外泊許可をとり上京し、尿を出す管を厳重に布でくるみ
紙袋に尿をためる袋を隠して対局に臨みました。
このような体調でも聖くんは勝利します。
これは才能というよりも恐ろしい勝利への執念でしょう。
遠のいた名人という光を今だに見続けています。
手術は聖くんが28歳になった翌日に行われました。
8時間半にも及ぶ大手術のすえ、膀胱と生殖機能を失います。
この数日後、見舞いにいった人が思わぬ光景を目にします
静まり返った病室に逆光のシルエットで浮かび上がった聖くんは
どっかりとベットに座り込み、何本もの点滴の管がついた右腕を
振り上げ、ばしーんと駒を将棋盤にたたきつけました。
聖くんは棋譜を片手に将棋盤に向かい駒を並べていました。
見舞客は、空気すらも息をひそめるような緊張感に
たたずむのみだった、といいます。
「村山将棋」
それは芸術でもゲームでもありません。
将棋というルールを介在させた純粋な勝負のみの世界。
徹底的に将棋を純粋化させ、あらゆる無駄なものをはぶき
考え抜く。結論はひとつ。
生か死か。
定石の学習や、終盤力の強化も必要ではあるが
二義的のもの。本質たる第一義は
生きるか、死ぬか。
常にそこを直視し生きる道を五感の全てを駆使し
探し求めるもの。それが村山将棋でした。
手術後の癌再発防止のための抗がん剤や放射線治療は
全て拒否、理由は明快
「頭と将棋に悪影響を及ぼす可能性があるものは必要ない」
そして、
「僕は癌と自分の力で闘います」
医師もその勇気と決意に感動し奇跡のような可能性に賭けます
満身創痍の中、聖くんは勝ち進みA級復帰を成し遂げます。
この快挙に、将棋界すべての人が賛辞を惜しみませんでした。
しかし、そこで癌の再発。
この容赦ない現実を聖くんは誰にも話さず対局に向かいます。
親にも、そして最愛の師匠、森さんにすら。
そして、当然のように勝ち続けます。
NHK杯決勝、相手はあの羽生さんです。
当然でしょう。無敵の人なのですから。
この時点での対戦成績は6勝6敗の五分です。
これがファンが見た村山さんの最後の姿でした。
この将棋は聖くんの指し手が冴え渡り、羽生さんは
いつ投了しようかと考えていたといいます。
しかし終盤に、まさかの大落手が聖くんにあり羽生さんの
逆転勝利。あまりのポカに聖くんも悔しさを
通り越してぽかんしていました。勝った羽生さんも
どうしていいか分からず二人して天を見上げていました。
その後、次期休場届けを協会に提出した聖くんは
残りの5局を全勝で飾ります。
そのどれもがプロをうならせる名局だったそうです。
最後の力を振り絞って創り上げた宝石だったのでしょう。
癌は肝臓へ転移、それでも抗がん剤はおろか
鎮痛剤すら拒否する聖くんの苦しみ方は壮絶を極めたそうです。
末期癌の痛みで苦しみ、遠のいた意識のなか突然
5四銀、同歩、同飛、・・・将棋の棋譜をそらんじ始めました
遠ざかる意識のなかで聖くんは将棋を闘っています
対羽生戦か、あるいは谷川戦か、誰にも分かりません。
見かねた医師が「楽に眠れるようにしてあげようか」
この言葉にうなずいたように見えた聖くん
点滴に新しい薬が投与されます
体から痛みが消えた聖くんは一瞬、目を見開き
「お前ら、何をした!」という怒りの表情をみせます。
最後に見せた名人への執念でしょう。
再び、遠のいた意識で棋譜をそらんじ始めると
8六歩、同歩、8五歩・・・そして
「2七銀」
それが聖くん、最後の言葉でした。
1998年8月8日
村山 聖さんの飽くなき挑戦はA級在籍のまま終止符をうちました。
通算成績356勝201敗、うち12不戦敗
この年の将棋年鑑のアンケートに村山さんはこう答えています
ー今年の目標はー
「 土に還る 」
ー行ってみたい場所はー
「 宇宙以前 」
「村山さんと同時代でともに闘えたことを
私は心から光栄に思います」
訃報を聞いた羽生さんの言葉です。
村山将棋は永遠です。




