猫を飼つてゐるのは以前延べた。
一歳になる若き三毛猫の「メイ」と、後二か月で二十二歳になる
老猫の「サクラ」である。
前回、生後十か月のメイが一晩、行方不明になつた事をお伝へした。
お隣りの物置きに忍び込み閉じ込められ、翌日無事かへつて来た。
これにこりて少しはおとなしくなるかと期待したが、
そこは猫である。まるで変わらず起きてゐる間、悪さばかりする。
「 食足りて、礼節を知る 」とは猫はいかなゐ。
私が手洗ひに立つた隙に、机や本棚の物が下に落ちてゐる。
当人に問ひただしても

知らない
とでも言う風情で素知らぬ顔である。
困つたもんだが、これは人間側の言ひ分だけであるから
強くは言へなゐ。
彼女にも猫なりの、言ひ分があるやもしれぬ。
ともかくメイは日々、おかげさまで元気である。

今回は「サクラ」の方である。
何分、二十一歳と十か月の老齢であるから普段あまり動かなゐ。
冬の間はお気に入りの座布団の上で置物のように佇んでゐた。
暖かくなり気分が良ゐと庭で日向ぼつこをするやうになつた。
若ひ猫と違ひ、その姿は風格すら漂う

弟子
とでも言ひたげである。
そのサクラが先日行方知れずとなつた。これには焦つてしまつた。
なにせ人間に換算すると百二十歳くらいではないかとひう高齢である。
四足なのに平らな所で転んだりする。
体重も二年前までは五キロあつたが今は二・五キロである。
まだ塀の上に登ることが出来るが自分では降りられなゐ。
なので降りる時は私を呼びつける
自分で降りられなくなつても塀に登らねばならぬのは
人間には、とんと理解出来ぬが猫なりの理由があるのであろう。

そんなサクラが居なくなつた。
メイの時と同じく、外は酷い雨である。豪雨注意報すら出てゐた
私が十八歳で上京するまで常に代替わりしながら
色んな猫たちがゐた。
みな死期を悟ると密かに消えた。
住み家で死ぬ事をよしとしなゐ。猫とはそうひう生き物である。
この一年、サクラは洗手间も不自由になつた
畳に糞をする。抜け毛が酷ゐせひで毎日のように毛玉を吐く。
これはかなわん、と思う日もあつたが
居なくなつてみると、やはり心配であり生きてゐて欲しいと思う。

夜の十時を回つた頃雨が小降りになり、庭で鳴き声がした。
ゐつもの私を呼ぶ声である。
急いで出てみると、塀の上に何事もなかつたようにサクラが居た。
「遅いじゃないの!」とでも言ひたげである
どこで雨宿りをしてゐたか分からぬが、あまり濡れてなゐ。
すぐに家に入れてやり、こんな心配をかけてはゐけなひと
お説教をしたが、果てさて どこまで通じたであろう・・・
面目ない
           とは思つてないやうである
 ともかく、サクラの方もおかげさまで何とか元気である。







  BS・NHKのドキュメント番組で「ブルース・リー 最後の戦い」と
  題したものを観ましたですよ。
           もう42年も経つのですね
       映画「燃えよドラゴン」が封切られてから


      この映画は忘れられません
私にとっても特別の、救い主となるヒーローの登場でした。

この映画が公開された1973年、私は中学2年生でした。
  その時の私のヒーローといえば
  「世界フライ級チャンピオン 大場政夫」

おおば
いや、カッコよかったですね~
私だけでなく、長嶋茂雄さんと唯一並ぶ日本のヒーローでした。

    そして、もう一人「 矢吹 丈 」

じょー
突然、漫画のキャラクターが出てきて申し訳ないですが
14歳の私には実際に存在したスーパーヒーローでした。
作品の中に登場する、ドヤ街の住人たちやこどもたちが
ジョーの試合を観戦しながら
「倒されても、倒されても、立ち上がって強い相手に向かっていく
 だからジョーは俺達のヒーローなのよ」 と
つぶやきながら涙ぐむシーンがありましたが
同じ想いでジョーを観ておりました。
「あしたのジョー」はピンチにおちいりながらも、最後は逆転勝ち、
なんて、単純な漫画じゃありませんでした。
人生の節目となるような、大事な試合でことごとく敗れました。

永遠のライバル 「力石 徹 戦」
日本タイトルマッチの「タイガー尾崎 戦」
ベネズエラの太陽 「カーロス・リベラ戦」
そしてクライマックス「ホセ・メンドーサ戦」
負け続けたにもかかわらず、「あしたのジョー」の人気は
落ちるどころか、上がり続けました。
これはスポーツを題材とした青春物語で
漫画に限らず、映画や小説でも、他に例が無いと思われます。
矢吹丈は漫画の枠を超え存在したヒーローでした。

その私のヒーローが まずは大場政夫
1月25日、自動車事故でチャンピオンのままこの世を去りました。
14歳の私に、物凄い衝撃が走りました。
1月2日にチャチャイ・チオノイを逆転KOで葬り去り
「やっぱり大場に勝てる奴はいないんだ!」なんて
思っておりましたから。
どんな強い男も死ぬ。そんなあたりまえの事が
感情として、理解できませんでした。

そして、同じ年に5月「少年マガジン 5月29日号」で
ジョーが燃え尽きました。
ジョーは微笑みながら燃え尽きていました。真っ白に。
もう明日からジョーに逢えない・・・
目の前が真っ暗になったのを今でも覚えております。
1973年は14歳の少年が生きる支柱とも言うべき
2大ヒーローを同時に失った年でした。

ヒーロー不在という失意のまま、時を過ごしていた私は
その年の12月映画館で、新たなるヒーローの
登場に心躍らせました。

ブルース

今までに
見たこともないスピーディーな動きと、技で一人の男が躍動しておりました。
世界中の男の子が、この男に魅了され、憧れました。
映画の原題がー「Enter The Dragon」ー
まさにスーパーヒーローの登場でした。

この映画を完成させるまで、映画会社との戦いの連続だったと
番組は語っておりました。このタイトルでもずっともめていたのですね
会社が決めたタイトルが「Blood And Steel」(血と鉄)
ブルース・リーは頑として「Enter The Dragon」という
タイトルを譲りませんでした。
彼が育った香港は当時、イギリスの植民地
中国本土にありながら、中国人だから、という理由で差別されました
18歳でアメリカに渡ってからもハリウッドで差別され続けました。
脇役などで結果を残し、「燃えよカンフー」という
少林寺の中国人僧侶が戦いながら旅をする
ブルース・リーが企画したTVドラマが企画会議を通りながらも
主役は白人のデビット・キャラダイン
リーが主役を降ろされた理由が
「奴はあまりにも中国人すぎる」の一言だったそうです。

60年代から70年代のハリウッドのスターといえば
ポール・ニューマン スチィーブ・マックイーン ロバート・レッドフォード
など全て白人俳優で、アジア人が主役を張るなんてことは
ありえない事だったのですね。
「香港に帰り再起を期せ」と助言したのは弟子でスターの
ジェームス・コバーンだった、とは以前本で読みました。

「必ずアメリカで主役を張ってやる」と言い残し香港へ帰ったリーは
「ドラゴン危機一髪」「ドラゴン怒りの鉄拳」「ドラゴンへの道」
の三作で空前絶後の大ヒットを飛ばし、遂に
アメリカからのオファーを勝ち取ります。
それが「燃えよドラゴン」だったのですね。
だからこそ、自分の中国名「李 小龍」の「龍」を入れた
「Enter The Dragon」-ドラゴン登場ーにしたかったのです。

映画の撮影が開始されてからも、リーはボイコットし続け
二週間後、「君の勝ちだ ブルース」という電報が届きました。
脚本でも作品中のいいシーンはみな白人俳優になっていたそうです。
ラストのハンとの格闘シーンまでもが!
これも全て現場で、撮影中に勝ち取っていったのですね
あの映画のつじつまが合わないのはそういう理由からです。

ブルース・リーが一流の武術家であった事はすでに
知られている事ですが、武術家としての想いもこの映画に込めました。
リーが映画の中で弟子に語る
「Don’t think feel」(考えるな 感じろ)は有名な言葉ですが
これは当然脚本にはありません。
ロサンゼルスの道場主でリーの弟子のダン・イノサントさんが
言われた言葉だそうです。

リーは映画のみならず、武術の世界でも型破りの人でした。
あらゆる武道はその流派の「型」を極めようとします。
ところがリーの教えは「型を持たないこと」
「型」かあるから「違う型」が敵となる
この想いも映画で語ってます。
作中、老師との会話の中で
「最強の技とは」 と言う問いに
「型を持たないこと」と答え
「敵と対峙したときの心構え」には
「敵などいない」と答えてます。
これみな、リーが実際に武術家として気付き上げてことなのですね。

そして流派を問われると「私自身だ」と言い切り、
勝ち続けるのですから、多くの人が魅了され弟子になっていったのですね
番組のラストもリーの有名な言葉で締めくくられておりました。
これは、現在シアトルの道場主をしておられる
日系2世のターキー・キムラさんに送られた手紙の一節でした。
キムラさんは日系人としてアメリカで差別され続けました
10代後半は4年間、日系人強制収容所で過ごすことを余儀なくされました
戦後もレストラン、床屋などで、追い出され、怒りと失望の中にいたそうです
そんな時リーと出会い、拳法によって生きる希望を得たそうです。

当時、中国拳法は中国人にしか教えなかったそうですが
リーは学びたい者には、人種、宗教を超え誰にでも教えたそうです。
ここでも型破りだったのですね
そのリーが手紙でキムラさんに伝えた言葉とは

「人生は水の流れに似ている
 時には不愉快なことが現れ
心に傷あとを残すが
全ては水のように流れていく」

大学では哲学を専攻し、武術家としての哲学を見出そうとしていた
リーの言葉です。
考えるより、感じ取るものなのでしょうか。

長くなってしまいましたが、14歳の私にとって
新しく現れたヒーローはすでにこの世にいない。
と、いうことは複雑な想いでした。
寂しい反面、永遠のヒーローだと思うこともできたわけで

「忘れなければ、その人は永遠に生き続ける」

という言葉の意味の「入口くらい」は感じ取れた気がします。


    動けば雷電のごとく
      発すれば風雨の如し
         今なを生き続ける、永遠のヒーローですね。



     羽生名人が4勝一敗で名人位を防衛しましたですね


170手という長手数で行方八段の玉をよせ切りました。
これで今だに四冠保持したまま
すぐに6月2日から豊島将之七段を相手に棋聖戦の
防衛戦が始まりますな。

今さらながらタフなお方ですね
我らが谷川九段を天才の座から引きずり下ろしてから
すでに二十年以上経つのに今だにトップ棋士として
ひた走っておりますからね。


谷川さんの将棋は私のようなヘボが見てても
      「カッコよかった!」
「光速の寄せ」と呼ばれ、詰みがあるとみれば
一気に踏み込み敵玉を寄せきりました。

その谷川さんを追い落とし前人未到の七冠制覇を
成し遂げたのですから
「羽生うぅ~勝ち続けろよお!」なんて思ったのが
二十年も前ですよ。くどいですけども。
ここまで来ると脱帽です。はい。
あんたはスゴイッ!

どの世界でも「真の天才」はスターとして不可欠の華を
兼ね備えてるもんですが
羽生名人もやはり華がありますな
プロの世界ですからね
座って将棋指してるだけの地味~な業界だけに
なおさら華がないと人気を維持出来ない気がします
ここ数年定番だった「羽生VS森内 名人戦」は
両者 華のある棋士なので見ていて飽きませんでした。


ありゃ? 写真が変ですね
とにかく このお二人の対決は見ごたえがあります。
・・・いえ、何が言いたいか と申しますと
将棋はゲームだけとらえれば高等数学ですよね
当然 若い方が強いことになります。
谷川さんが羽生名人に追い落とされたように
羽生名人も次世代の天才
史上四人目の中学生プロ「渡辺 明、現棋王」 
にトップ棋士の座を譲ってもおかしくないのですが
今だに最強の座はキープしております。

しかしながら、その羽生名人も44歳。
世代交代の波がすぐそこまで来ているのは間違いのないとこです。
そうなるとファンの思いはただひとつ
羽生さんの「永世七冠達成がみたい!」
もはや私が生きている間に羽生さんのような
すごい棋士は出てきません。
ボクシングで「パッキャオVSメイウエザー」が実現しないと
すんなりボクシング新世紀が迎えられなかったように
羽生さんの「永世七冠制覇」を見ないことには
スッキリしないと申しますか、大げさに言いますと
「死んでも死にきれん!」のであります。

残すは竜王戦あと一期だけであります。
今年も竜王戦予選一組で阿久津八段を破り
トップコンデンターの座はキープしておられます。
現在、竜王は渡辺さんの次世代の天才・・・
さすがに天才だらけの世界ですな
糸谷 哲郎竜王ですね

糸谷
何だか、ぽっちゃりして かわいらしいですが
やはり強~い人なのですね
怪物と呼ばれております。間違いなく将棋界の次世代を担う一人で
ありましょう。
             渡辺棋王や


何とこの方、小学四年生で小学生名人になっております。
(羽生さんですら6年生でやっとだったのに)
それに糸谷竜王と同世代の強者、豊島将之七段

豊島将之
頼りな~く見えますが見えますが、「強いのですよ!」この若者も。
さらには、イケメン棋士の代表 中村太一六段

中村太一
女性に大人気で、まさにスター候補生ですな。
彼らの対決を素直に楽しむためにも
まだ先ではありますが、羽生さんの永世七冠達成を願っております

おやつ

タイトル戦では、ちゃんと三時のおやつもでますです。
この表情から察するに・・・
羽生さんより先に食べたんですかね。