「 ストーンズのライブに行ってサティスファクションをやらなかったら
           客は満足すると思うか 」
実に良く出来たコメディですな。アメリカの映画ですが何となく
 三谷幸喜さんの作品を彷彿とさせるような仕上がり具合です。
この監督は「アイアンマン 3」の話を蹴って「シェフ」を撮ったんだそうで
その意気込みが見事に結実しておりますですよ。
脚本・監督・主演をこなしておりましてね、まぁ多才なお方ですね
ジョン・ファブローという人は。

シェフ
主人公は一流レストランの料理長を務めるシェフであります
ブログで人気の料理評論家がレストランに食べに来るという
ところからお話はスタートします。
自慢の新作料理を用意していたのですが そこにオーナーが
やって来て 待ったをかけます。
冒頭に書きました台詞はそのオーナーが言ったものです。

驚きました このシーンでいきなり引き込まれました
主人公(個人)対オーナー(体制)でオーナーが高圧的に
主人公の行動を封じるという設定は他の作品でも山ほどありますが
一様にオーナーは嫌な奴で終わっております
ところが この一言でオーナーの背負っている人生も見えてくるのですね
老舗のフランス料理の一流レストラン
お客の大半がお馴染みさんで このシェフの味ではなく
このレストランの味を求めてやってくる
そういうお店なんですね
お客は新しい料理ではなく いつもの味
冒険ではなく 安心を求めてやってくるのですね
だからシェフの冒険など許さない
オーナー側の正論を見事に端的に表しておりますよこの台詞は
しかもストーンズのサティスファクション(満足)を持ってくるとは
いや 気が利いてます


映画に出てくる料理もすべて ものすごく美味しそうに撮れてます
調理してるシーンも実に軽やか アメリカのシェフは日本人から見ると
何となく雑に見えたりするもんですが、職人の技を感じさせるくらい
上手に撮れてます だから お腹すきます この映画

首になった主人公が移動トラックで始めるのがキューバサンドなんですね
サンドイッチはパンとハムだけでは 足りませんよね
いくつもの具材にチーズやソースが絡みあって絶妙な いい味になります
この映画の登場人物たちも 個性的で欠点だらけの」面々ですが
お互い 助け合いながら前向きに人生を 楽しんでおります


中盤から息子を交えたロードムービーになります
離婚した元妻と暮らしているため普段は週一でしか会えない子です
ここも重くなりすぎず、暗くなりすぎず、でも親子の愛情はちゃんと描けています


酷評され職を失いどん底に落ちた主人公が周りの人達の支えで明るく前に進んでいくさまを軽妙に描いております
脚本、キャラクター、映像美、シーンの長さ そして軽快な音楽
どれもバランス良く絶妙の味をかもしだしてます
人生は色んな人と関わり合いながら初めて成り立つものですが
その象徴としてのサンドイッチを選んだのも的確ですね
庶民の人生は 高級フランス料理ではなくサンドイッチがピッタリきますもんね
サンドイッチ
今年観たなかで最高に良くできたコメディ映画でした
星 三つです!

え~いけませんですね さくら がいなくなってから
もう一週間も経つというのに 仕事から帰ると 
日が暮れるまでさくらを捜しておりますね
22歳で体重はすでに2キロ ろくに食べることもできなくなって
消えてしまったのですから もう死んでるぞ と思うのですが
亡骸なりと見つけて埋葬してやりたい と思い直し捜してしまいます

若い時に内田百間さんの「ノラや」を読んだ時は
猫一匹でこんなにもひどい喪失感に襲われるものなのか
と思ったもんですが 最後まで看取らせてくれたのではなく
いなくなられてしまうと ちょっと心の置き場所に困ってしまうのですね
夜になると 寒かろうに ひもじかろうに と思い屍を晒しているのなら
埋葬してやらねばと つい 捜してしまいます。

それに もうひとつは後悔の念がわいてしまうのですね
さくら の失踪は 若い牝猫のメイの存在も関係していると思います
前回 さくらの意思だけで出て行った と書いたのは
私がそう 思いたかっただけなのですね

このことは全て申し上げると ものすごく長くなりますし
楽しい話ではないので省略いたしますが
端的に言いますと 若い牝猫に老いた猫が追いやられた
というかたちになります
人は帰属する社会を求めて生きておりますが
他の動物もまた 自分の居場所 を探して生きております
リキを貰い受けるまでメイには母の部屋がメイの部屋であり
母はメイの人でありました
そして さくらには私の部屋と私がいる ということですね

リキの登場により母はリキの人でありリキの部屋になって
しまいました もちろん他のどの部屋もメイが入れるのですが
やはり奪われた と感じたように思われます
牝猫なのにマーキングをするようになりましたし
リキへも かなり攻撃的でした(最近では一緒に遊んでおります)
そして さくらへの接し方の変化
私の前だと さくらを舐めて毛ずくろいしてやります
(もちろん さくらは ものすごく嫌がりました)
ところが母の前だと 飛びかかり攻撃してたようです

他にも色々ありますが さくらがいなくなる数日前に私の服に
メイがマーキングをしました これにはさすがに怒りましたが
これは自分のものだと 示しているのですね
他の猫に対して 他の猫 さくら しかおりません

もちろんこれだけが原因だ と申しているわけではなく
歴代のうちで飼ってた猫たちは皆、寿命を感じ取ると出て行って
しまったのですから ただそういう側面もあるのだ と思ってしまうのです
ならば どうして もっと早くに気づいてやれなかったのか
可能な限り猫の視点で 見ている気になっていたくせに
という 後悔が湧いてきてしまうのです。

え~前おきがずいぶんと長くなってしまいましたね
ごめんなさい
そんな時に思い出したのが 最近読んだ この一冊
藤沢周平著 「蝉しぐれ」でございます
もう 言うまでもなく 時代小説の第一人者ですね
時代小説は以前 柴田錬三郎さん や五味康祐さん などを
読んでおりましたが どちらかというと
司馬遼太郎さんなどの歴史小説の方が好きでした
今回読んで 驚きました
素晴らしいですね この作品わ

蝉しぐれ
主人公が住んでいる街の描写から始まるのですが
山や川などの自然描写も実に美しく細密で情景がくっきりと
うかんできます。 
これは今の純文学が無くしてしまったものです
と 偉そうに私ごときが言うのもなんですが
あちらさんは都会の荒寥とした石壁ばかり書いておられます

この作品といいますか おそらく藤沢周平作品の多くがそうなのでしょうが
社会的に弱い立場にいる人の視点で描かれているのですね
主人公は海坂藩という諸藩の下級武士の文四郎という15歳の少年です
武家社会という制約だらけの中で父の切腹という事態に直面します

内容の一部を書いてしまうことになるので申し訳ないのですが
さくらの事からここを思い出したのでかんべんしてくださいね
まだ正式に処罰がくだされる前に 一度だけ面会が許されます
ほんの数分くらいの短い時間だけです
父は「義のためにしたこと お前たちも何も恥じることわない」と言い渡します
父親は藩のお家騒動に巻き込まれ罪人とされたのですね
これは現代の組織で生きている人たちも同じような切なさを味わっておられると思います
文四郎はあれも聞きたい こうも言ってあげようと思うのですが
面会時の数分間では何も言葉が出てきませんでした

その事を親友の俊平にうちあけます
そして不意に父に言いたかった言葉が溢れてきます

ここまで育ててくれて、ありがとうと言うべきだったのだ
 母よりも父が好きだったと言えばよかったのだ。
 あなたを尊敬していた、とどうして率直に言えなかったのか
 そして父に言われるまでもなく、母の事は心配いらないと
 自分から言うべきだったのだ。 父は おれを
 十六にしては未熟だと思わなかっただろうか。」
 (中略)
それを聞いていた俊平が答えます

そういうものだ 人は後悔するように出来ておる」

後悔を受け入れて進んでいくか
後悔を引きずり進めなくなるか で人生は変わってきます
文四郎自身もこのあと理不尽ともいえる武家社会の制約の中で
精一杯生きていきます

私は今 猫の絵が描けなくなりました
さくらをモデルに猫の漫画を描いていたのでこれはしかたないか
と 思います
では 何が描けるのか
時間は前にしか進みません
今 描けるものを精一杯描いて 前に進んで行きます






三日間行方知れずだった22歳の老猫の さくらを見つけ
連れ帰ったのが 今月の7日でしたが
昨日の朝 また いなくなりました。


窓の鍵が壊れてる部屋があり そこの窓を自分で開けて
出て行ったようです
連れ戻してからも 食欲がなく大好きな餌をあたえても
高齢猫用の流動食をあたえても食べようとしません
やはり大好きだった おやつのかつお節を細かくほぐして
あげると 顔を横にふりながら ものすごく食べづらそうでしたが
なんとか食べてくれました

帰ってから 下痢をしていて私の膝の上で便や尿を漏らすようになり
それを気にしてか自分で風呂場に行き そこでうずくまるようになりました
気にしなくていい と言い部屋に連れ帰り ひざ掛け毛布の上に
おいてやっても すぐに ヨロヨロと風呂場へ行ってうずくまります。
そこなら 汚してしまっても あまり迷惑にならないと思っているかのようです

以前二度危篤状態におちいった時も同じ行動をとりました
人が風呂を使う時だけバスマットの上で待ち あがると
まだ濡れている風呂のさんのうえにうずくまります
部屋に連れ戻して身体を拭いてやってもすぐに戻ってしまいます

このままでは体力が回復しないので動物病院に連れて行き
点滴と口中の荒れを治す注射をうってもらいました
前回はこの治療がきいて すぐに食べれるようになりもちなおしてくれました
今回は食欲は戻らず 点滴でついた体力で窓を開け
出て行ってしまいました

子供の頃 父に「猫は死に顔を人にさらさない」と言われましたが
事実 歴代のうちにいた猫達は寿命を悟ると静かにいなくなりました
さくらも やはり最後の時をひとりでむかえたいようです。
人としては看取ってやりたいのですが猫には迷惑なのでしょうか。

前回いなくなったさくらを捜すとき まず猫の道の塀にあがりました

猫の道
これが そのブロック塀です いい年をしたおじさんが
塀の上を歩いていたのですから かなり異様な光景ですね
さくらも いつもこの猫の道から帰ってきました
もし塀に登れずに 屍をさらしているのなら連れ帰り埋葬してやろうと
思いこの上から捜しにいきました

その時に写真にもチラッと写っているメイがやって来て
さくらを捜している一時間くらいの間ずっと離れずにいてくれました
いつも仕事から帰ったときなど 鳴きながら走り寄ってきて
足元にじゃれ付き甘えるのですが
この時は一声も発せず 尻尾も垂れたまま それでも側を離れずに
ずっと一緒でした。
不思議な行動でしたが まるで私を気遣ってくれているかのようでした。

今回も先ほどまでさくらを捜しましたが見つかりません
でも もし見つけて連れ帰ってもそれが さくらのためなのか
と思ってしまいます
住み家で死ぬことを よしとしない
それが猫の本能で さくらもそうしたいのなら
人としては 寂しいですが いたしかたないのだと思います

私が帰省して10年と7ケ月ずっと側にいてくれました
母にしてみれば 22年もの間共に暮らしました
ひとりっ子で わがままで 手のかかる子でしたが
数えきれないくらいの笑顔をもらいました
これは猫に限らず犬や他の動物と暮らす人たちも同じだと思います
かれらから人からでは与えられない笑顔をたくさんもらっていますよね
さくら いままで ほんとに いっぱい手をやかせてくれて
ありがとな

ワンつースリー
今うちの猫三匹を主人公にした漫画を創ってました
猫と少年が主人公の作品です
ボクシング漫画を描こうとしても夜しか創作の時間がとれないので
物理的に不可能です
出来ることで勝負していくしかない
それで 生まれたのがこのアイデアでした

猫日記

スケッチブックからそのままなので ラフですが
こんな感じで創ってました
背中ばかりのページですが 猫のま~るい背中が好きなのです
いなくなったさくらが生み出してくれたような作品です
なんとか 創り続けてさくらに捧げようと思います。