人体に新たな部位が発見される アゴの筋肉の奥に、未知の第3層
<これまで知られていた筋肉の層のさらに深部に、顎の開閉を安定させる第3層が隠されていた>
人体は私たちにとって最も身近でありながら、謎の多い存在だ。過去数世紀にわたってその構造は研究されてきたが、ここにきて新たな部位が発見された。その部位とは、ものを噛むときに活躍する顎の筋肉「咬筋(こうきん)」の一種だ。咬筋には既知の2層の筋肉があるが、さらにそれらの奥に別の筋肉の層が隠れていたことが判明した。
研究を行ったのは、スイス・バーゼル大学のジルヴィア・メゼイ博士率いるチームだ。メゼイ博士らはホルマリン漬けの人体サンプルと新たに献体された遺体を対象に、解剖およびCTスキャンによって咬筋の構造を分析した。結果、計28体のサンプルすべてにおいて一貫して、第3の層が確認されたという。さらなる検証のために生きた人間のMRI画像を撮影したところ、こちらも同じ構造があることが判明した。
咬筋は、口の開閉と咀嚼に関わる筋肉だ。食べ物を噛むときには咀嚼(そしゃく)筋と呼ばれる一連の筋肉が働くが、そのひとつに、上顎と下顎をつなぐ咬筋がある。この咬筋が収縮することで下顎が引き上げられ、口を閉じることができるしくみだ。
咬筋は動きがわかりやすい筋肉であるため、もし指を口に入れ、頬の内側に沿わせた状態で口を開け閉めしたならば、かなりはっきりとした咬筋の動作を感じることができるだろう。
既知の2層にはない機能
これまで咬筋は多くの解剖学のテキストにおいて、顔の表面近くを走る咬筋浅部と、それにやや角度をつける形で口内に近い位置を走る咬筋深部の、計2層の筋肉からなると説明されている。しかし、研究によって新たに確認された第3の層は、既知の2層よりもさらに深い場所に存在する。
チームは第3層の位置や筋繊維の方向などから、既知の2層とは明らかに構造的・機能的に独立していると考えている。第3層は下顎の筋突起と呼ばれる部位につながっており、他の層と同様、下顎を上顎に引き寄せて咀嚼の機能を提供する。さらにこの層は、下顎を後方に動かすことができる唯一の筋肉でもある。後方へずらす機能により、口を閉じたときの顎の収まりをより安定させる役割を担っているという。
本研究内容は12月、解剖学の学術誌『アナルズ・オブ・アナトミー』(解剖学紀要)に掲載された。チームは第3層に対して「Musculus masseter pars coronidea(咬筋の筋突起部)」という新たな名称を付与するよう提案している。
矛盾していた従来の学説
以前にも咬筋を3層構成とする説は一部にあったが、その構造を正確に説明するものではなかったようだ。
解剖学の世界で事実上標準的な教科書となっている『グレイズ・アナトミー』は1995年刊行の旧版においてすでに、咬筋は3層構造であると説明している。しかし、科学ニュースを報じるエウレカ・アラートは、同書籍の説明の一部には信用性に欠ける面があったと指摘する。3層目の根拠として引用された複数の研究には、顎の別の筋肉に関して議論したものが含まれていたほか、研究同士の主張に矛盾がみられるなどの混乱があった。
さらに時代を経て2000年代前半になると、いくつかの研究が3層構造を指摘しはじめるようになる。だが、これらはいずれも表層を2つの層に分けて捉え直す内容であり、「咬筋の筋突起部」とは別のものであった。新たに発見された第3の層の存在と位置を正確に指摘したのは、今回の研究が初となる。
研究チームは、「いくつかの既存のテキストは3層目が存在する可能性に触れていますが、その位置に関しては非常に不正確でした」と指摘している。メゼイ博士らが研究に踏み切った背景には、資料によって矛盾するこうした説明の真相を突き止めたいという思いがあったという。
人体に眠っていた未知の部位
研究により、入念に研究が行われてきた人体の、それも顎という身近な部位において、新たな筋肉の層が示される形となった。ベゼル大学はツイートを通じて研究を紹介し、「人体構造はいまだに、私たちを驚かせるようなサプライズをいくつか秘めています」とコメントしている。
研究に参加したバーゼル大学のイェンス・クリストフ・トゥルプ教授は、「過去100年間で解剖学の研究は徹底的にされ尽くしたと一般に考えられているなか、私たちの発見はいわば、動物学者が新たな脊椎動物を発見したようなものです」と語り、研究の成果に自信を示す。
米技術解説誌のインタレスト・エンジニアリングは今回の発見を取り上げ、「何年もかけて解剖学の授業をしていることを考えると、未知の器官や筋肉などが発見されることはいささか奇妙に思えるかもしれない。しかし、こうしたことはめずらしくないのだ」と述べ、2020年には頭の深部に未知の唾液腺が発見されたと紹介している。人体にはさらに知られざる器官が眠っており、今後も発見が続く可能性がありそうだ。
(加藤の一言)
過去、歯科界では頻繁に咬合が論じられ、「咬合を制する者は歯科を制する」とも言われていた。
なかでも中心位と中心咬合位が注目され、そのズレに関してその数値が語られた。
そしてその中で「下顎を後方に動かすことができる筋肉」についての議論があったが、それについては常に曖昧であった。
この研究成果は私にとって驚きであり、長年の謎を解くカギを見つけたような喜びである。この研究が顎関節治療のさらなる発展に寄与されることを心より願っている。