東京医科歯科大学歯科同窓会会報(No196平成28年2月)に「恩師 松元 誠先生を偲ぶ」との投稿文が掲載されていた。
松元 誠先生 経歴
1935年:東京に生まれる
1960年:東京医科歯科大学歯学部卒業
1971年:東京医科歯科大学 / 歯学部 / 助教授
1992年:東京医科歯科大学 / 歯学研究科 / 教授
2001年:東京医科歯科大学名誉教授
2015年12月18日 御逝去
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弊社の書棚には松元 誠先生のご著書が4冊ある。
現在どれも読み込まれボロボロとなっている。
○遊離端義歯 咬合構成の臨床 (1980年)医歯薬出版
松元 誠 著 (個人的に最高傑作)
○金属床義歯の設計アルバム (1973年) 永末書店
中沢 勇、 松元 誠 著
○金属床義歯の製作法アルバム(1975 年) 永末書店
中沢 勇、 松元 誠 著
○オーバーデンチャー 少数残存歯の補綴 (1976年)医歯薬出版
中澤 勇、松元 誠 著
(追悼文)
本当の歯科界の巨星が逝かれた。
今さら松元 誠先生の歯科界のおける詳細な功績を記すことはないと思われる。上記にある書籍が全てを物語っている。部分床義歯学がクラスプデンチャーオンリーの時代から脱皮し、日本の歯科が世界に飛躍した時代をお作りになった中心的人物である。
歯科技工士が技工ができるのは当たり前で、より良き技工を行うためには、上記のような臨床を通した書籍で学ぶ必要がある。私は歯科技工士だけが行う講演を聴いたことはないし、歯科技工士の誰かを師と思ったことはないが、上記の本を擦り切れぐらい読み、松元講演を拝聴し、勝手に松元先生を「恩師」と崇めていた。
さて松元先生と個人的にお付き合ができたのは、妻が松元 誠先生の所の大学院生だったのがきっかけだった。妻は私たちが結婚するのなら、お仲人は松元ご夫妻だと心に誓うほど、松元先生を尊敬し敬愛していた。
私が松元先生を想う時、必ず一つのエピソードが思い浮かぶ。(現在は少なくなったとスタッフから聞くが)私が歯科技工士になった頃、歯科医師と歯科技工士の間には完全なるヒエラルキーが存在していた。
ある日のこと、松元先生主催の会が催され私も妻と出席した。その時にある歯科医師が私をみんなの前で詰(なじ)ったのだった。その頃は私も気分の悪いことに慣れっこだったので「私程度の技工士が医科歯科大の歯科医師に詰られるほどに有名になったか」と面白がっていた。
しかしその後の出来事が衝撃的だった。場所を変え、松元先生が「品性がなくて本当に申し訳ない」と頭を下げられたのだった。それからは退官なさった松元先生から幾度となくお声がかかり、お話ししたり食事をしたり飲んだりクラシックを聴きに行ったり花火大会を見に行った。
先生は大学側に「私を訪ねてくる患者さんがいたら松元は死んだと言っておいてください」と言い残されて退官なさった。それまでの患者さんはすべて大学において行かれ、後輩に引き継ぎをされた。
その後先生は、奥さんの旧姓の名前の歯科医院で治療を続けられていた。その時のお仕事の一部を弊社にご依頼くださっていた。時には、黄金芋を手土産に急ぎだと仰って弊社の日本橋のラボまで模型を持ってきて下さっていた。それから数年後、体調を悪くされ引退された。
私たち夫婦が最後に先生ご夫妻にお目にかかったのは、米国の留学が決まり旅立つ1週間前だった。先生の「奥さん大切にしてよ!」との最後のお言葉を、私は一生堅持したい。
この度は「故人とご遺族のご意向により,通夜,告別式はご遺族のみで執り行われました」とのことで、松元先生らしいと言えば先生らしいく、ご家族様のご意向でもあられたのだろう。ご家族様から先生にお会い出来る機会を頂けることを待ちたい。
先生のご冥福を心より心より心よりお祈り申し上げる。 合掌。
松元 誠先生 2015年12月18日 御逝去
(謝辞)
「人はどうやって品性を保って生きるのか」をお教えいただき、心から感謝申し上げます。
本当に、本当にありがとうございました。
松元 誠先生 経歴
1935年:東京に生まれる
1960年:東京医科歯科大学歯学部卒業
1971年:東京医科歯科大学 / 歯学部 / 助教授
1992年:東京医科歯科大学 / 歯学研究科 / 教授
2001年:東京医科歯科大学名誉教授
2015年12月18日 御逝去
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弊社の書棚には松元 誠先生のご著書が4冊ある。
現在どれも読み込まれボロボロとなっている。
○遊離端義歯 咬合構成の臨床 (1980年)医歯薬出版
松元 誠 著 (個人的に最高傑作)
○金属床義歯の設計アルバム (1973年) 永末書店
中沢 勇、 松元 誠 著
○金属床義歯の製作法アルバム(1975 年) 永末書店
中沢 勇、 松元 誠 著
○オーバーデンチャー 少数残存歯の補綴 (1976年)医歯薬出版
中澤 勇、松元 誠 著
(追悼文)
本当の歯科界の巨星が逝かれた。
今さら松元 誠先生の歯科界のおける詳細な功績を記すことはないと思われる。上記にある書籍が全てを物語っている。部分床義歯学がクラスプデンチャーオンリーの時代から脱皮し、日本の歯科が世界に飛躍した時代をお作りになった中心的人物である。
歯科技工士が技工ができるのは当たり前で、より良き技工を行うためには、上記のような臨床を通した書籍で学ぶ必要がある。私は歯科技工士だけが行う講演を聴いたことはないし、歯科技工士の誰かを師と思ったことはないが、上記の本を擦り切れぐらい読み、松元講演を拝聴し、勝手に松元先生を「恩師」と崇めていた。
さて松元先生と個人的にお付き合ができたのは、妻が松元 誠先生の所の大学院生だったのがきっかけだった。妻は私たちが結婚するのなら、お仲人は松元ご夫妻だと心に誓うほど、松元先生を尊敬し敬愛していた。
私が松元先生を想う時、必ず一つのエピソードが思い浮かぶ。(現在は少なくなったとスタッフから聞くが)私が歯科技工士になった頃、歯科医師と歯科技工士の間には完全なるヒエラルキーが存在していた。
ある日のこと、松元先生主催の会が催され私も妻と出席した。その時にある歯科医師が私をみんなの前で詰(なじ)ったのだった。その頃は私も気分の悪いことに慣れっこだったので「私程度の技工士が医科歯科大の歯科医師に詰られるほどに有名になったか」と面白がっていた。
しかしその後の出来事が衝撃的だった。場所を変え、松元先生が「品性がなくて本当に申し訳ない」と頭を下げられたのだった。それからは退官なさった松元先生から幾度となくお声がかかり、お話ししたり食事をしたり飲んだりクラシックを聴きに行ったり花火大会を見に行った。
先生は大学側に「私を訪ねてくる患者さんがいたら松元は死んだと言っておいてください」と言い残されて退官なさった。それまでの患者さんはすべて大学において行かれ、後輩に引き継ぎをされた。
その後先生は、奥さんの旧姓の名前の歯科医院で治療を続けられていた。その時のお仕事の一部を弊社にご依頼くださっていた。時には、黄金芋を手土産に急ぎだと仰って弊社の日本橋のラボまで模型を持ってきて下さっていた。それから数年後、体調を悪くされ引退された。
私たち夫婦が最後に先生ご夫妻にお目にかかったのは、米国の留学が決まり旅立つ1週間前だった。先生の「奥さん大切にしてよ!」との最後のお言葉を、私は一生堅持したい。
この度は「故人とご遺族のご意向により,通夜,告別式はご遺族のみで執り行われました」とのことで、松元先生らしいと言えば先生らしいく、ご家族様のご意向でもあられたのだろう。ご家族様から先生にお会い出来る機会を頂けることを待ちたい。
先生のご冥福を心より心より心よりお祈り申し上げる。 合掌。
松元 誠先生 2015年12月18日 御逝去
(謝辞)
「人はどうやって品性を保って生きるのか」をお教えいただき、心から感謝申し上げます。
本当に、本当にありがとうございました。