2024/4/25・・・本日中ですと、会員以外の方でもお読みになれます。
日本で暮らしていますと、水があって当たり前になっています。しかし、災害が起きると、水道がストップして大変な体験をさせられます。
水のありがたさは日頃あまり感じられていませんが、水は神が宿っている地球からのプレゼントです。
すべてが神からのプレゼントだと思うと、今の人間の傲慢さに地球が、神が、どこまで我慢してくださるのでしょうか・・・と思うこと多い日々です。
この度の能登の大地震で、改めて水のありがたさがわかりました。
再び「井戸水」を使う時期が来ているのかもしれません。
井戸・・・まろーどを購入した時、井戸があることと、周りに用水路が流れていることが大きなポイントだったと思います。
避難場所として購入することを伝え、水のことも心配していることを言いましたら、不動産会社の方が「イザとなったら用水路の水が使えますよ」と仰った。
なるほど
用水路が溢れるとしても、用水路より上にありますから浸水することはない。
そして、井戸水を使っている。
が、モーターが、いささか心もとない。
もう、設置されてからずいぶん経つでしょうから。
で、本当はギャラリーのところに井戸を掘りたかったが、同じ敷地に2つは掘れないらしい。
だが、ギャラリーは子ども名儀で借りている状態だから、子どもが使うようになったら申請すればいいのかも。
ポンプ式ではなく、ガッチャン式の昔ながらの井戸が欲しいのよね。
電気が使えなくなっても使えるように。
なんて考えていますが、何よりも今は何もできないね。
先立つものが無い
まぁ、一番は避難場所と使うことが無く、なんて無駄なものを作ったんだ・・・と言われ続けることが一番なのでしょうね。
維持が大変なんですが