3月20日は地下鉄サリン事件があった日だったんですね。
自衛隊医官だった方のX(tweet)を全文転載させていただきます。
自衛隊医官だった人@防衛医大は辞めとけ@AiPinfu2003
3/20は地下鉄サリン事件のあった日だね。
地下鉄サリン事件の原因がサリンだと気付いたのは自衛隊医官だったんだ。
ただ自衛隊医官も実は化学兵器とかの勉強はそんなにしてない。
じゃあ何故サリンに気づいたのか??
これは本当に奇跡的なんだけど【一週間前にやった試験でサリンが出たから】なんだ。
陸上自衛隊の医官は、世田谷区にある自衛隊中央病院にて上級幹部過程として一ヶ月勉強する。
そこではさまざまな勉強を行う。
そこで対特殊武器衛生隊の教官が講義をしていたんだ。
対特殊武器衛生隊は核兵器・生物兵器・化学兵器(NBC兵器)の被害にあった患者を対象にした医療を専門に行う部隊だ。
その教官が授業の中でサリンなどの化学兵器の講義を行った。
そして3月に入り上級幹部過程の卒業試験が近づいてきた。
試験に落ちることは許されない。
自衛隊医官達は必死に今までの授業を頭に詰め込んだ、もちろんサリンの知識も。
試験は皆無事に合格した。
そして卒業式は3/17。
卒業後はまたそれぞれの病院に勤務し、徐々に上級課程での知識は薄れていくだろう...と思われた。
そして1995/3/20、地下鉄サリン事件が起きた。
カルト宗教団体による世界初の化学テロとはその時は誰も分からず、現場は混乱を極めた。
大量の患者が聖路加国際病院に運ばれた。
医師たちは続々と運ばれてくる患者たちの対応に追われていた。
当初は爆発事故と言われていたが、運ばれてきた患者はみな奇妙な症状を呈している。
息が苦しい・眼の前が暗いという症状を。 警察が爆発事故による大量傷者の治療に自衛隊中央病院へ応援を要請した。
このとき幸運にも上級課程を卒業したばかりの医官は、受け持ち患者がおらず「暇だった」。
そしてこの応援要請に答え医官が聖路加病院に派遣された。
幸運はここでも続いた。
上級幹部課程で使ったNBCの資料が手元にあり、何かの役に立つかもと思い現場に持参したんだ。
医官が現場に到着しトリアージを手伝っているときに、全ての患者の【瞳孔が縮んでいる(縮瞳)】ことに気づいた。
(あ、これ先週の試験でやったところだ!!) 進研ゼミもびっくりな的中率である。
すぐに現場の指揮官に進言した。
「これはサリンによる症状です!!緊急で硫酸アトロピンの治療が必要です!!」 ただ自衛隊医官は部外者であり、かつ医師としては若手だった。
周りはすぐには信じてくれなかったが、手元の資料を見せながら説明した。
同時に対特殊武器衛生隊から送られてきたサリンの治療マニュアルを見て、現場はサリンが原因であることを確信した。
そして治療マニュアルをコピーし患者の治療が開始された。
この迅速な対応により大量の負傷者にも関わらず死者は12名に抑えられたんだ。
またこの奇跡がなければ後遺症に苦しむ被害者も増えていたことだろう。
(※2020年1名の方が長い後遺症の後お亡くなりになられた)
(※サリンの治療薬のPAMを製造・輸送した住友化学の社員の活躍もある)
この経験から学べることがある。
「どうせ使わない」「役に立たない」「自分には関係ない」と決めつけて勉強しないことは勿体ないということだ。
学んだことが自分のみならず、人の為になることがあるかもしれない。
そしてそれは『来週にも起こるかも』しれない。
そう思うと毎日ちゃんと勉強しようと思えるね
自衛隊医官だった人@防衛医大は辞めとけ@AiPinfu2003
文章の中で「対特殊武器衛生隊」は間違いでした。 事件の際は第101化学防護隊です。 すいませんでした。訂正します。
こうしてX(tweet)して下さる方にいろいろ難癖をつける人もいるらしい。
で、この方は現場に派遣された方の手記をリンクして下さった。
が、会員記事だった
自衛隊医官だった人@防衛医大は辞めとけ@AiPinfu2003
なんか荒れてるな…。 現場に派遣された医官の手記置いとくよ。 これを参考にして書いてる。
興味のある方はクリックして会員になられたらいかがでしょうか・・・
そして、ググったらこんなnoteを見つけました↓
世の中にはいろいろな方がいらっしゃる。
せっかく情報として教えて下さっているのにねぇ。
それを自分なりに精査して、もしかしたら、いつかどこかでふと思い出して助けられる事があるかも知れない。
鵜呑みにしないで、自分で調べて、自己責任で信じるも信じないも自分次第ってことで・・・なんてね。
大川隆法氏のお子さんのX(tweet)
オウム真理教が起こした地下鉄サリン事件から今日で29年。
— 宏洋/夜神ヒロシ(1牢) (@hiroshi2ndsub) March 20, 2024
「パパはね、テロを起こそうと思えばいつでも起こせるんだよ」
1990年代前半、まだ小学校に上がる前の私の前で、大川隆法は口ぐせのように何度もそう呟いていた。…