そして、阪神大震災当時よりも悪化して居ると思う事は、日本の医療の質が、全般的に劣化して居る事である。医学は進歩して居る。だが、現実を無視した医療費抑制政策と様々な社会状況から、全国的に、内科や外科の医師が減って居る事、高齢化の影響も有り、全国的にベッド数が不足して居る事、医療制度の複雑化により、医師や看護師が書類作成などの雑用に追われて居る事など、日本の医療状況は、20年の時を経て、阪神大震災当時(1995年)より明らかに劣化して居るのである。それが、大震災を始めとする災害発生時にどの様に影響するか、私は心配でならない。
 更には、これは意外に聞こえるかもしれないが、私は、電子カルテの普及が、大地震などの災害時にどう影響するか、懸念を抱いて居る。電子カルテの普及をはじめおする医療のIT化は、確かに、一面において医療に良い影響は与えて居る。膨大な紙カルテやレントゲン・フィルムなどを電子化する事でコンパクトにし、更に、情報の共有化を可能にした点などで、電子カルテは大いに貢献して居る。しかし、その反面、入力操作の煩雑さなど、カルテの電子化が、実は、医療現場の非効率化を招いて居る面が有る事を、一般の皆さんは知らない事と思う。更には、大地震などでコンピューター・システムが機能しなくなった場合、それを紙カルテに切り替えて救急医療を行なう事が、スムーズに行えるかどうかは、未知数である。そうした意味で、電子カルテの普及が、大災害発生時には、意外に医療活動に負の影響を与える可能性を私は、密かに心配して居る。


 もう一度言うが、私をは、厚生省及びその後の厚生労働省が阪神大震災後にして来た事を全否定して居る訳ではない。そして、あの時、不眠不休で震災に対応した官僚が沢山居たであろう事も疑わない。しかし、あの時、テレビの映像を通じて、神戸の人々が悲痛な思いをして居る状況を目のあたりにしながら、足止めをされ、すぐには神戸に行く事を許されなかった医者の一人として、それを「何故」と問わずには居られないのである。そして、あの時、国立病院・国立療養所の医療従事者たちの悔しさを封じ込めたまま、阪神大震災20周年の日を迎えたくはない。この小文を書く動機も、その悔しさを厚労省の若い職員を含めた多くの人々に共有してもらう事で、日本の災害医療を少しでも改善、向上させたいと言う私の願いである。決して、他意は無い。私は、それが、私に出来る阪神大震災の犠牲者たちへの供養だと思うのである。

この小文を阪神大震災の犠牲者達の霊に捧げる。