6月下旬の早朝、
庭で、珍しい鳥の声を耳にしました
声の主は、リュウキュウ・アカショウビンでした
姿は確認できず、鳴き声のみ、2回
動画12秒です
(キキョウランの実)
さて、表題の件、どう書き出すべきか迷いながら、
沖縄の日本復帰50年に寄せて、
在沖40年余になる私なりの観点から、何回かに分けて綴りたいと思います
オキナワの風土や、
その地に住む人々の姿が心に響いたのは、
関東で暮らしていた1970年代のこと、
それは一冊の本によってでした
東松照明氏の『太陽の鉛筆』
写真はモノクローム
圧倒的な被写体が、
いろんな感情のなか、私を捉えました
(転載。切り取りが下手でごめんなさい)
初めて出会ったオキナワの音楽は、
喜納昌吉(きな・しょうきち)氏の『ハイサイおじさん』
この、サウンドの、軽快なノリは、私にピッタリでした
後で知ったのですが、
創作の背景には、
当時の沖縄、とりわけ基地の町コザ(現・沖縄市)の、悲惨な物語があったようです
そして、初めて知った植物は、
アダン(阿旦)という木の名前でした
何十年たった今でも、
この名の響きに、懐かしさと優しさを覚えます
(「国立劇場おきなわ」にて撮影、 タコノキ科、実はオレンジ色に熟す)
余談ですが、
アダンの実の繊維から、筆が作れます
「雨月物語」の作者・上田秋成も、このアダン筆を愛用していたとのことです
沖縄に来た当初、地名は、すべて、カタカナで記憶されました
フテンマ、グシチャン、カデナ、...
異国のようでした
復帰50年の私の感慨は、
変な表現ですが、
「復帰も歳をとったな」ということ
幾重にもシワが刻まれ、
たくさんの消せないシミのように、
米軍基地の存在が当たり前のようになってしまった島
私の感慨は、単に、私が歳を取ってしまったからかもしれません
オキナワは、あくまでも、タフでしなやかで明るいのです
さて、沖縄に米軍基地が作られたのは、
沖縄戦開始の時に遡ります
「日本が真珠湾攻撃を決行する前、沖縄は郷土部隊を持たない唯一の県で、本格的な軍事施設も存在しない"基地のない島"だった」(仲本和彦、出典後述)
1945年4月1日、
米軍(連合軍)は、沖縄本島に上陸すると、
日本軍が作った中飛行場(現・嘉手納飛行場)などを、
本土攻撃への拠点とするため占領し、拡張・整備しました
さらに、終戦後は「ハーグ陸戦条約」を根拠に私有地を接収、基地が作られていきます
1950年2月、GHQは「沖縄に恒久的基地建設をはじめる」と発表
1952年、サンフランシスコ講和条約発効で、
琉球・奄美、小笠原諸島は、日本から切り離され、米国の占領下に置かれます
それより以前(1947年9月)に、
「米国による琉球諸島の軍事占領の継続を求む」という天皇メッセージが、米国に伝えられています(天皇メッセージは、琉球に関するものだけを抜粋)
27年という長期の異民族による占領支配
君臨したのは、
琉球列島米国民政府(USCAR)という行政機関
(琉球軍政府を1950年12月に改称)
占領下では、日本国憲法も、合衆国法も適用されず、
米国民政府の発する布令・布告により規定されました(布令・布告一覧は、別の機会にアップ予定)
1953年、米国民政府は、「土地収用令」を発布し、強制的に土地を接収
接収に抵抗する住民を、米軍は"銃剣とブルドーザー"によって排除しました
1956年、岐阜と山梨から、海兵隊が沖縄に移動開始
岐阜の"キャンプ岐阜"は、その後、航空自衛隊基地となり、
山梨の"キャンプフジ・マックネア"は、自衛隊管理の日米共用の北富士演習場となっているようです
本土にあった米軍基地が沖縄に移動した背景には、
本土での反基地運動の高まりや、
日本政府がアメリカに地上兵力の撤退を求めたため、とされますが、
米国側の方針でもあったようです
米軍は、沖縄を、"太平洋のかなめ石"と位置づけていました
沖縄戦や米軍統治下の沖縄を体験した方々の思いを、胸に刻むことや
はるか昔の沖縄の先人たちの思いを想像し、追体験することは、
沖縄に生きる今のわたしの、大切な起点です
今回は、ここまでとします
主な参考文献
●『沖縄大百科事典』1983 沖縄タイムス社刊
●『批評COM』(ネット記事)「"山梨と岐阜が沖縄に海兵隊を押しつけた"のか」(2015-12-22)
●『安田浩一氏のネット記事』「岐阜と山梨の米軍基地は、なぜ撤退して沖縄に集められたのかーやはり"沖縄"だけの問題ではない」(2018-12-23)
●「復帰50周年企画展 "軍用地政策の変遷"に寄せて」仲本和彦、沖縄タイムス2022-3-1)
●「米軍基地 沖縄戦がきっかけ」野添文彬氏へのインタビュー記事、沖縄タイムス・ワラビー 2020-8-30)
私の愛するマリン
お陰さまで元気な毎日です
私が忙しくなって疲れており、遊びが減って申し訳ない状態です
マリンと共に、私が元気でいることも大事だと、つくづく思っています
今日もご訪問、有り難うございました
ゆっくりお訪ねさせて下さい
皆さま、熱中症などにお気をつけ下さいね
お元気で!


















