カセレーリア!
(ポナペ語で、こんにちは)
春は、やはり花の季節なのですね。
最近は、開花に気づくのが遅れて、花に先を越されている感じです。
パッションフルーツの花(人工受粉後)と、受粉に成功した実😆
前回のブログで、
南洋群島ポナペに家族で移民し、幼少期を過ごした女性の思い出話に少し触れましたが、
彼女の感性が忘れがたく、
あらためて彼女が感じとった南洋での状景をご紹介します。
いわば、大正期から始まった南洋移民の、末期の状況の一端です。
ポナペは、今のミクロネシア連邦ポンペイ島のことです。
私の南洋のイメージ。
日本のゴーギャンとも言われた彫刻家・民俗学者の土方久功(ひじかた・ひさかつ)の、装画の一部です。
さて、彼女が、沖縄からポナペに渡ったのは、1941年(昭和16年)3月頃、6歳のとき。
国策会社である南洋拓殖(株)による「海軍省の野菜作り」の新聞募集により、両親と姉、兄3人、本人の7人で、渡航。
「母方の伯父が勧めたのよ。"戦争が始まったら沖縄は危ないから逃げなさい"って」
南洋行きが、ひそひそ話で進められたのは、非国民、と言われるのを恐れたから。
ポナペに行くときは支度金が出た、という。
冒頭の、"カセレーリア"は、87歳になった彼女が、今でも覚えているポナペの言葉である。
テッポウユリ
「向こうに行ってからは、親は軍のために大根、ナス、キャベツ....略....日持ちする野菜」を作り、軍に供出。
ポナペの土は、柔らかくて肥えていて農業に適していたという。
「毎日、穏やかだったけど、昭和19年(1944年)に戦争が始まって、山の中に避難して防空壕作ったよ」
「玉砕訓練」のときは、行きも帰りも大人たちは暗い顔をしていたという。
戦争が負けたことは、日本兵から知らされた。
「それを親に伝えに走ったけど、"日本が負けた"って怖くて悲しくて寂しくてね。足がもつれて転びそうになった」
「あの時の教育は"日本は神の国だから負けない"だったから、日本が負けたっていうのが考えられなくて、どんなして家に帰ったか覚えてない。
でもあの時の、足がもつれていたことは今でも夢にみるよ」
ポナペから引き揚げるとき、演芸会が催されたという。
山から木を切り出して作った舞台で、
日本の人は、「安来節」や、子どもをおぶって「赤城の子守歌」を歌い、
沖縄の人は「四季口説」「てぃんさぐ(鳳仙花) ぬ花」、朝鮮出身の人は「アリラン」を歌ったという。
その日は、とても楽しかったと、彼女は述懐している。
戦争の惨禍から生き残り、故郷への引き揚げを待つ人々の解放感、喜びが目に浮かぶようである。
また、監獄に入れられていたオランダ人が、終戦の日に解放され、海に飛び込んでバタバタと(楽しそうに)していた、とも。
「米軍の船で島から引き揚げる時には、島民が大勢出てきて、"日本が復興したら、またいらっしゃい"ってハンカチ振って別れを惜しんでいた」
こうした彼女の島の点描が、私の脳裏に映像のように浮かぶ。
ポナペは、南洋群島のなかで、もっとも戦争犠牲者が少ない地域。
「空襲や艦砲射撃が連日のように繰り広げられたが、上陸戦のような迫撃戦がなく、米軍はほとんど無血上陸に近かった」という。(池原善福、資料後述)。
ところで、日本の近代史の中で、南洋移民は、重要な意味を持つと言われる。
「近代日本の南方関与の過程は、偶然的なたくさんの歴史力学的要因が働いて」(矢野暢、資料後述)きた。
日清戦争を契機とした台湾領有、第一次世界大戦を契機とした南洋群島の領有は、
「いずれ日本が"南進"政策を巨大にふくらませるための決定的な伏線をひくことになった」(矢野暢)。
「南洋移民は、"移民"というよりも、幕末以来の日本の近現代における植民地獲得の歴史に関わる"植民地統治問題"なのである」(赤嶺秀光、資料後述)。
サクララン
南洋移民に、沖縄人の占める割合が多いのは、
大正11年(1921)創設の国策的要素の強い南洋興発の初代社長で、シュガーキングの異名を持つ松江春次(福島県出身)が、
沖縄の特殊性に着目して、沖縄から移民を募集したことによる。
その理由として、「早くから海外思想が発達していること」や「人口過剰」「甘薯・熱帯的環境に慣れていること」「貧困」などがある。
移民募集では、なるべく家族ぐるみで土地に定着することが求められた。
矢野暢(とおる)氏によれば、
「沖縄県民の生来の自然な性としての海を渡る習慣と能力とが、
近代史の主題と触れ合った状況において、間違った国策の栄養素となり、
そこで歴史の主役であり、歴史の従僕、いや便利屋でもあるという中途半端な役割付けが生じた事実は、
いまきびしく論理的に問い込まれねばならない」
ご参考までに。
30年ほどで終止符が打たれた南洋移民の動態が分かります。
今泉裕美子氏論文より転載
コチョウ(胡蝶)ラン
アマリリス
《参考文献》
矢野暢「近代日本における"南進"政策と民衆」、池原善福「体験記録ポナペ-島との絆ふたたび」(『新沖縄文学』84号-特集=もうひとつの戦争体験-台湾・フィリピン・南洋群島、1990.6、沖縄タイムス社刊所収)
赤嶺秀光「南洋移民は幸福だったか」(所収不明)
今泉裕美子「南洋興発(株)と沖縄」(所収不明)
女性の思い出話は、「沖縄の生活史-語り、聞く復帰50年」沖縄タイムス、2022-7-20付参照
キキョウ(桔梗)ラン
クチナシ(梔子)、葉っぱが少しご病気なのです🥲
夜のクチナシ🙂香ります
我が家のマリン。
男の子、推定2歳11カ月、持病あり。
マリンの、平穏な日々の暮らし。
それこそが生命なんだろうな。
さみしいとき、
遊んでほしいときには、鳴いて訴えてくる。
自分の眠りを確保するために、そっと姿を消したり、
いくつかの窓から外の世界を見ていたり。
すべて大切な時間、
できるだけ元気に過ごせますように。
最近のお気に入りは、ジュゴンちゃん😆です。
皆さま、ご訪問、有り難うございます。
ご無沙汰してしまいました。
ただいま、帯状疱疹中🥲ですが、
いろんな面で、罹患して良かった、と思っています。
ずーっと戦争に向かうような国の動きが続いていますね。あおったり、あえて火種を作ったり、追い詰めたりしなければ、戦争は起こらないと思います。
どこの国も地域も戦場にしたくない、させたくないですね。
よく見極めて、あらがって生きていかねば。
そして苦難の動物たちに心を向けて。
ゆっくりのお訪ねになることをご了承下さいませ。
皆さま、どうぞお元気で!
ドラセナ? ある日、ふと見上げたら花が!