神社を後にして国道を北上します。交通量も多く歩道もないちょっと危険な道のりを歩いてゆくと左手に川を渡る簡易な橋が架かっているのでそこを渡り踏切を渡り未舗装のじゃり道をどんどん進むと
"弓の木"という巨大な椋があります😀




墓場の前にあります。石仏と椋


鎌倉時代に後鳥羽上皇が隠岐島に流される際にここを通りかかり休憩したと伝わります。弓を立てかけて休んだところから 弓の木 と呼ばれています。

樹齢は600年くらい 主幹は腐って空洞になっているが樹皮だけで元気に立っています。

穴が空いており向こうの景色が見えます。


椋らしく斜めに生えております


三日月町には3本の巨木があり椋木三兄弟と呼ばれます。

後の2本は少し離れているので今日は行きませんでしたが昔行った事があります。


姫新線のレールを渡って国道に戻る


しばらく歩くと三日月の町  三日月本陣跡です


街並みを過ぎ委文川(しどりかわ)を渡ると陣屋の表門が移築されています

三日月藩

元禄10年(1697年)、宗家の美作国津山藩18万石・森家が猶子なく改易および備中西江原藩での再興(のち播磨国赤穂藩)にともない、分家の津山新田藩主・森長俊が新田石高と同じ1万5千石を与えられ立藩した。佐用郡・揖西郡宍粟郡内の一部を領有し、9代174年間この地に在封した。

森家は森可成・武蔵守長可の家系で本能寺で信長の小姓だった蘭丸らが有名ですね。豪勇の家系でほとんど戦死してますが長可の弟・忠政だけが生き残り美作津山藩主となり津山城を築いています。


森家は鶴丸の家紋。


委文川の東側が武家屋敷・西側が城下町となっています


武家屋敷群 今は誰も住んでなくて荒れ放題




三日月藩乃井野陣屋復元建物


復元中御門。通常は門扉は閉じたままで藩主が帰還の際だけ使用


現存建築の物見櫓 公民館として利用されていたのを移築復元

陣屋では二重櫓は建てられなかったので中二階のような構造。ニ階が座敷となっています。


なんか工事中だったので閉館してました

堀もあってなかなかの規模です。裏側の空き地に御殿がありました。


坂を登ると日岡八幡神社


参道


旧藩校広業館


小学校みたいな感じだなぁ


三方里山…幕末に演武場があったらしいがこの場所ではなかったみたい…調べると別のところに石垣が残っているとの事。又見に行かないとね〜


三日月駅から姫新線で帰る。