加古大池に睡蓮を見に行った時、隣では微睡むような色の昼顔が咲いてた。千葉の九十九里浜では群生がみれるらしい‥綺麗だろうなぁ照れ




朝露にかかるもあるをうつろはぬ

人の心やひるがほの花

  松下集  正弘 しょうこう



泳ぎ疲れて浜辺で微睡んでいた。ふと隣を見るとハマヒルガオが咲いている‥

    お前も眠たいのかい?



正広(しょうこう、1412年 - 1493年?)は、室町時代中期の歌人。号は招月庵。法号ははじめ正晄・正晃と称した。日比(ひごろ)の正広とも称された[1]。没年については1494年ともされる。 

初め飛鳥井家のもとで歌道を学び、13歳で東福寺清巌正徹の有心歌風に傾倒して門弟になる[1]1459年(長禄3年)正徹がなくなると、招月庵を継いだ[1]。その後、大内教弘に招かれて周防国に下るが[1]応仁の乱(1466年-1476年)の難を避けるため、京都を離れて各地を訪れる[1]。この間、師正徹の歌集『草根集』の編纂や歌会の指導を行った[1]。1486年(文明18年)以降は、堺や摂津を拠点とし、飛鳥井雅親冷泉為広らと交わり、歌壇の指導者となった[1]