さて…平荘湖まで降りて来ました♪ この後は高御座山の辻登山口に向かう訳ですが、加古川市神吉町を通って行きますニコニコ 神吉町には神吉城🏯という平城がありました。現在、常楽寺.神吉神社となっているので寄り道して来ました。


平荘湖の周遊道路です。ウォーキングしてる人が多いですね

ひなぎくがあちこちに咲いてますひらめき


神吉町の常楽寺まで来ました。ここが神吉城跡

石垣はお寺が出来た時に積まれた物でしょうけど、なかなか雰囲気がありますね。(当時の城は土塁造り)お寺がある場所が中ノ丸跡となります。

神吉町は赤松円心の子孫、赤松範次が南北朝時代に作った平城になります。範次が神吉の地を領した事により息子の元頼が神吉氏と称した。


城主の神吉頼定の墓

天正6(1578)秀吉による三木城攻めが始まると城主だった神吉頼定は、別所長治に呼応し周辺の野口城・志方城・高砂城と共に防衛戦に入った。頼定は三木城に入城し、大村坂の戦いで秀吉軍を散々に打ち負かした。この為に秀吉軍は周囲の城から落とす作戦に変更。旧暦4/6に野口城が落城。6/23から"神吉合戦"と呼ばれる籠城戦が始まる。



秀吉軍は織田信忠・明智光秀・佐久間信盛・荒木村重ら3万の軍勢で押し寄せた。籠城する頼定軍は約2千人。籠城軍は奮戦し何回も攻め手を押し返した。

しかし頼定の叔父、神吉貞光を調略で裏切らせて頼定を暗殺した事により7/16に落城した。


縄張り図。城下町を総堀で囲った“総構え"の城だったと思われ、中の丸には低層だが天守もあったとの記録もある。堀も広く周囲は深田(当時は腰まで浸かる田んぼが普通だったでしょうね)に囲まれているので攻めにくい城だったと思われます。

真柏の巨木がある


お寺周辺の石垣。道路が空堀跡


航空写真で見ると‥西側県道43号、南は弁天池公園県道387のラインまでが城跡だと思う。県道43の横の田んぼは堀跡かなぁ。なかなかの広さ!