栗花落の井を見に行った日は神戸電鉄藍那駅から山田町の史跡巡りをして栗花落の井戸まで歩き、そこから丹生山系縦走路(東側)を歩いて神戸電鉄五社駅まで歩きました。
今回は栗花落の井戸までの前半部分を紹介
神戸電鉄藍那(あいな)駅下車 神戸電鉄はこの辺とんでもない山中を走っています。神戸とは思えん!
藍那古道に向かいます
集落は立派なお屋敷が多い。昔から交通の要衝として栄た所ですね
藍那小学校🏫を北に向かう道が藍那古道といい、古くは平安時代に源義経が一の谷合戦に向かった道でもあります。ここを右→に行くと長坂山⛰️に行けます
簡易舗装もすぐに山道となります。そんなにアップダウンはありません 山田町の集落まで約10k
コアジサイもところどころに咲いてる
山田荘の領主だった鷲尾氏の墓所🪦
山田町の集落が見えて来ました♪ 目の前の山塊が丹生山系です
鷲尾氏屋敷跡の灯籠 義経が一の谷に向かう際に道案内をしたという伝説があります。
集落の間を東に歩くと 六条八幡神社⛩️がある
神社まで約2時間の道のりでした。
八幡神社御由緒
「摂州丹生山田六條八幡之縁起」によれば、当八幡宮は往古神功皇后が三韓征伐(新羅征伐)に向かう途上、「我が山の丹土で舟、兵具を塗り、軍衣を染め、丹浪(海水を掻き回して赤く濁らせる)を以て出陣すれば勝利疑いなし」という丹生都比売命の御神託により、斎戒沐浴して丹生都比売命を氏神と仰ぐ丹生氏族より丹土を授かるために営んだ行宮址と伝えられています。
平安時代中期長徳元年(995)に周防国の僧基燈法師が社殿を建立。
立派なイチョウの巨木があり秋には紅葉🍁が綺麗です
更に 保安4(1123)丹生山田荘領主だった六条判官源為義が自宅内にあった左女牛(さめうし)八幡大神を勧進合祀し若宮八幡宮を再造した。このことから源為義の称号六条判官をとり".六条八幡神社"と呼ばれるようになった。
室町時代中期 文正元年(1466)に建立の三重塔
重要文化財。
明治時代に廃仏毀釈があったので神社に三重塔が現存しているのは珍しい。県内では丹波市柏原町の柏原八幡神社と養父市八鹿町の名草神社にあります。
新兵衛石
江戸時代中期 山田荘は下総古河藩領でした。藩主の土井大炊頭が領内を巡見していた時、庄屋の息子である新兵衛(当時15才)が年貢減免を求めて直訴した。当時は直訴した者は死罪だったが、土井大炊頭は少年の勇気に感じ入り少年を許して年貢も減免したという。
それを記念して石碑を建てた。
すぐ東側に栗花落の井があります