先日カタクリを見に行った稲美万葉の森には万葉歌碑が立っています。稲美町周辺は印南野(いなみの)と呼ばれ万葉集に十数首の詩が詠まれたところです。

印南野とは兵庫県南部,明石川,加古川,美囊(みのう)川に囲まれた三角形状の台地で,東西約20km,南北約15kmにわたって広がっている。〈いんなみの〉とも呼び,かつては伊奈美野稲日野とも書いた。播磨町の大中遺跡ほか弥生時代,古墳時代の遺跡が多い。地形的には海成段丘面で,低位の大久保台地と岩岡,母里,加古の高位台地に区分されるが,台地のまわりを流れる河川と急崖で隔てられているため水利が悪く,近世初期まで開発は行われなかった。《万葉集》に柿本人麻呂,山部赤人をはじめ多くの歌があるが,広漠たる未開の原野のさまをのべたものが多い。江戸時代に入って加古川,明石川の本支流の水を導く工事が行われたが,水利権の関係で秋冬の非灌漑期に引水して貯えるしくみのため溜池が多く築かれ,日本の代表的な溜池密集地域となった


公園近くの国安天満神社にある万葉歌碑

家にしてあれは恋ひむな印南野の浅茅が上に照りし月夜を  巻7     1179

読み人知らず


万葉の森にある万葉歌碑


万葉集は万葉仮名といって全て漢字で書いてあります。 ひらがなが開発されるまでは日本語は全て漢字で表記されていた。音を漢字に当てはめてあるだけなので時代が下がるにしたがって読み方がわからなくなったので万葉集の詩には読み方が違うものがあるのです。


他の詩もぼちぼち書いて行きます。