ブログをやっていて良かったと思います。

 

以前の記事のコメントで、主催の方から教えていただきまして。

土曜日はふなばし街歩きネットワーク様の戊辰戦争150周年  船橋戦跡巡礼街歩きに参加させていただきました。

 

いやぁ、完全にノーマークでしたよ。

上の方、150年の企画いっぱいやってたわ。

5月の末には鎌ヶ谷と市川のコースと、講演会もあったみたいです。

色々調べてたら、3月には鎌ヶ谷で渋谷総司の講演会もあったようで。

知ってたらどれも行ったのに、痛恨…っ!!!

 

今回、前回行っている場所の写真は撮っていないので省略で。

 

まずは集合場所正面の、浄勝寺です。

このお寺には尾張藩の磅礴隊のお墓があります。

名古屋の興正寺にもお祀りされているそうです。

おお、それは行かねば。

もう少々情報が欲しいところですが、ネットじゃ出てこないなぁ。

しかしながら、流石my図書館。

家の本棚で見つけたので、今度はそれを基に探しに行ってみようと思います。

去年間宮六郎のお参りをしているので、その辺りからかな。

 

お次の場所に移動ですが。

流石地元の方、思いもつかない裏道通ってました。

 

 

着いたのは旅籠佐渡屋跡です。

市川船橋戦争を生き抜いた江原素六は、戦争のさ中お世話になった船橋の人達を忘れておらず。

後年旧名主を呼んで佐渡屋で報恩の宴を開いたそうです。

 

激戦地宮坂を通り、慈雲寺へ。

宮坂が激戦地になったのは、佐土原藩の大砲で焼け出されたところを襲撃されたからです。

大砲は20ドイム臼砲、3発撃たれたことはわかっているそうです。

1発は大神宮、1発は参道の欅、1発は宮本小学校の辺りまで飛びました。

砲手は甚袈裟、甚袈裟は戦地を転戦し、二本松で亡くなっているそうです。

色んなことがわかっているんですねぇ、まだまだ勉強せねば。

 

佐土原の戦死者は京都で纏めて慰霊されています。

元の石碑は地元に帰っているようですが。

佐土原、他の戦死者は割とその土地に墓地があるので甚袈裟もあるんじゃないのかなぁと思ったりもします。

 

慈雲寺ではご住職から聞いたお話を説明してくれました。

慈雲寺には撒兵隊の綿貫元吉のお墓があります。

綿貫は腹部に銃弾を受けて亡くなったとのことで、以前はお腹の痛い人が綿貫のお墓を参ったそうです。

興味深いことだなぁと思います。

木更津でも貫義隊の浅野の墓に利益を求めて大勢がお参りしましたし、撒兵隊の加藤兄弟のお墓は徴兵逃れだったか。

こちらも地域の人がお参りしたそうです。

佐賀の江藤もそうだったなぁ。

なんか、この辺もう少し調べてみたら面白そうです。

 

了源寺の菅野鋭亮は、西福寺で斬られたそうです。

そういえば菅野は斬首だったと思うので、西福寺で斬首されたってことかなぁ?

 

そ 、 し 、 て っ !

 

 

こちらを目当てでこの街歩きに参加させていただきました。

東光寺の撒兵隊士3人のお墓です。

1人で来た時、見つけられなかったんだー。

どこにあったのかと思えば、なんと本堂の先にも墓地がありました。

最近見つけられないパターンは、墓地をまるっと見逃す場合が多いです。

奥の墓地入り口から通路を進むと左手にヤシの木があって。

その正面の細い道を、右にまっすぐに進むと行き当ります。

3人の氏名は不詳です。

 

東光寺にお参りできたので。

行方不明になっている鈴木音次郎の墓と馬込霊園の2人のお墓は除きますが。

後真里谷の加藤兄弟探せれば、今伝わっている撒兵隊戦死者のお墓全部周っているような気がします。

秋口くらいには真里谷行きたいなぁ。

 

 

コースの最後は、船橋大神宮です。

第二大隊の本営になり、砲弾によって焼失しました。

が、その際1発が当たった欅が今も残っているそうです。

それがこちらのご神木、立ち枯れして隣には新芽が芽吹き立派に成長していました。

本殿近くの灯籠だったかな?台座が黒くなっているのも当時の焼け残りではという話もあるそうです。

神社には伝わっていないようですが。

 

いやぁ、楽しかったです!

貴重なご縁もいただきまして、有難いことだと思います。

とにかく皆様船橋が大好きで、その歴史を深く知って伝えていらっしゃるのはとても素敵なことだと思いました。

今、とにかく雑多になってきたから。

全県巡り終わったら、私も一度腰を落ち着けて千葉のことを深く勉強したいなぁとも思います。

 

まあ、とにかく。

まずは趣味の名刺もっと刷っとかなきゃな。