年に二回、昼夜が等分となる期間がある。

そのうちの一つ、春彼岸の護摩法要と、真言宗のその多くの寺院で執行される弘法大師の祥月命日法要、つまり最もパワーが強まるとされる正御影供(しょうみえく)のダブルヘッダーが師僧の寺院にて厳修された、それから約一週間後のエピソード。



出番を待っていた慌てん坊の春の暖かさと、まだ次の奏者(そうしゃ)にバトンを渡したくない寂しがりな寒気とが上空でおしくらまんじゅうをし、寒の戻りという体感を得てその勝者がどちらなのかがわかる日のことだった。


一般的に導師とは、いわば金剛界(主)と胎蔵界(客)の両部界へ働きかけ場を支配し、それは決して大げさではなく作法中は自らの命を賭(と)して教えを育む、読んで字の如く教師そのものである。


その教師である渡部正仙阿闍梨と、未僧である私との共通点といえば、恥ずべき過去として反社会組織、つまり広域指定暴力団系列の元組長という忌まわしき過去、そして現在においては、関東ではあまり数の多くない古義真言宗の各々が別流派の門徒というところであろう。


正仙先生👇




その正仙先生が導師をお勤めになる滝行(今回は寒行)であるが、同じ流派一門にあらず私如き若輩者に、行の時は常の如くお声がけくださるさり気ないその優しさが温かく、言葉にあらず自らの所作において後進の私がなにごとかを気づけるようはからってくれている生きざまは、それはまるで殺伐(さつばつ)とした世界情勢しかり、己の利得や利便ばかりを求めがちな暗い世を照らす燈明のたおやかで温かな光のようにも映る。




私(なんちゃって僧侶)

「正仙先生、例の先生のお口に合うとおっしゃられていた、あの粉を溶いたブツを調合している売人(ばいにん)のところに私、先日用があって行ってきたんです」


正仙先生(元極道組長の阿闍梨)

「オドレは会うたびにノズラでアホなこと言うとるが、ターメリックの粉末を調合して作るカレーのことまぎらわしい言い方すなアホンダラッ」



公式HP👇




ノズラでアホなこと言う僧侶(私)

「例の秋川牛を使って作る絶品カレーの発売元が五日市なんですが、その店で販売しているビーフジャーキーがこれまた絶品でしたので、人気商品ゆえ一袋しかないのですが、日頃のご指導ご鞭撻の感謝を込め、お納め頂ければ幸いです」



正仙先生(通常運転)

「いやいや、お気遣いなどなさらずにどうぞ。

ところで今回、空手道禅道会 浪崎師範代は諸事情で欠席と連絡がありました。

ちなみに禅道会東京支部 西川支部長はすでにお見えになっているので言うにあらず。

我々のように、過去さんざん悪行を重ねてきた二人だけに限定して、頭上に落石が同時に発生した場合は、屈強な西川支部長とて一つの落石しか反応できないでしょうなw」





滝を浴びる前に寒くなった僧侶(私)

「正仙先生、先ほどのジャーキーは賞味期限などの確認を私うっかり失念しておりましたので、今日は持ち帰りたいと思います。

つきましては、一旦お返し願いますでしょうか」


目の奥が鋭く光った元極道の僧侶(正仙先生)

「賞味期限などというもんは、食品法改正があってから事業者には表示義務がある。

表に記載がなければ裏に・・」




元極道組長の僧侶(正仙先生)

「おぅコラボケカスアホンダラッ、オドレの下心が刻印されたのし紙が貼ってあるやないかいっ!」


下心が露見した僧侶(私)

「そんなことよりも先生!

あいちゃんが落石注意言うてますがな」




元極道組長A(正仙先生)

「ワレ、話煙に巻こういう魂胆(こんたん)なんやろうが、おおかたこの一つしかないジャーキーを禅道会東京支部最高責任者の西川先生に贈って、オドレだけ落石の刑執行から免(まぬが)れよういう絵図が丸見えやんけっ!

のぅ元極道組長Bさんよぅw

なんなら明日のヤホーニュースが楽しみやないかいっ。

元極道組長Aと、元極道組長Bによる不正な水源の、利権争い中に起きた落石事故、なんてあることないこと書かれそうやなあw」


元極道組長B(私)

「正仙先生、導師さまがいかんなく、その法力を活かせるよう、先ほど私、滝行の行場にて前行(まえぎょう)を勤めさせて頂きました。

本日は宜しくお願い致します」


渡部正仙阿闍梨

「承りました」




我々が頂戴(ちょうだい)する滝の行場は神奈川県内に位置している。


私の住まう東京の奥多摩地区からその場所へとアクセスする一番の早道は、首都圏を取り囲む外側の環状線となる圏央道を利用するのがベストであるが、万が一にも渋滞が起きると眠たくなる程の速度でしか進まなくなってしまう。


渋滞に巻き込まれ到着予定時刻が狂うことを嫌った私は、日頃ウーバー◯ーツのバイトで使用している(嘘)Kawasaki GPZ900R、通称ninjaを操(あやつ)り、塩川滝へと向かった。


ちなみに私の愛機であるninjaは古く、ハリウッド俳優であるトム・クルーズの出世作でもある、約30年前に上映された映画「トップ・ガン」に登場する型式と同じなのだ。


劇中のninjaは赤がベースなのだが、不動明王の如く青黒(実際は青)のninjaを好んで咆哮(ほうこう)させている私のハリウッド名はさしずめ、ボク・狂うズと言ったところであろう。


ところで、この寒行における導師をお勤めになる正仙先生の意、つまりそれは参加者全員の心身安全だ。


例えそれが万が一であろうとも、あってはならんもんはならん。


そう強く想い、微塵(みじん)もブレることのないその心願に気づいている私の勤めは、言い換えれば私のその信義は、導師の意を承り仕える、承仕(じょうじ)に他ならない。


その為にそれを成すには、皆さんの集合時刻よりも早くに到着し、行場のみならず、取り囲む大自然の過去精霊(しょうりょう)、大小の神祇(じんぎ)、全ての諸仏(しょぶつ)に申し奉(たてまつ)るべく作法し、一印一明の如し一心にて私は前行(読経)を勤めさせて頂いた。






閑話休題


当所を鎮守する塩川神社の社(やしろ)にて、先ずは導師さまが作法し読誦


続けて皆、順に参拝し各々が祈願を込め礼拝


その後は冷水に打たれるその御身を整えるべく、導師さまからの指名により、禅道会東京支部 西川支部長の指導の基、参加者全員で準備体操を行った。




次に導師さまより前説、すなわち滝行における心構えと、その意味するところなどを皆さんにご教示、自らの心身を守る護身法(略作法)を導師さまが皆さんにお授けしてから、承仕を勤めさせて頂く私にバトンが渡された。



☝️音の鳴る法具(いんきん)


その私は、印金の音(ね)を響かせながら、皆さんを行場へと先導させて頂き入堂。



続けて導師さまが入行し、作法し気合いと共にこの地に結界をはる。



そして皆さんが導師さまに導かれ、滝行における作法通りに入行を始めたところで、私は心を込め庭讃(四智梵語)を唱えた。


それは超簡略に記すならば、金剛界を讃え、働きかける詩だ。


導師さまより特に次第(経の種類や組立てなど)の指定はなく、ある意味において自由にさせてもらっている私は、次に表白(宣誓の類い)を申し奉った。


その結びにはこの日の年月日を申し、通常の利益(りやく)を求め奉る願いあらず、参加者皆さんの、なにごとかの苦を抜くべく祈念を込め、

「大元吉祥堂堂主 正仙

代読 道薫

内至法界平等抜済(ばっさい) 敬って申す」




読経中、私は水の冷たさなどどうでもよくなった。


男性参加者も女性参加者も、意を決し滝に打たれるその姿は凛とし、ありのまま今を生きるその姿は、美しく雅やか以外に表す言葉など見当たらない。



大きなコミュニティで起きている争いごとに心を痛め、小さなコミュニティで起きる不条理に憤慨(ふんがい)し、世の矛盾や理不尽に心囚われる日々から離れ、満足できず割り切れぬ人生であっても、自らを因として、自らが満たされぬとも我が心荒ぶるにあらず、自らが先ず、自らを赦(ゆる)すべきではあるまいか


もし言葉にするのならば、そのようなことであろう誰かの意識が、耳朶(じだ)にあらず私の意(こころ)に聴こえたその刹那(せつな)、紅蓮の荒ぶる炎が、青の穏やかな燈明の如く焔となり、それはゆっくりと、滝壺の景観に馴染むが如く消えていった。


刺すような冷たさの水で己の意識は混濁し、幻聴や幻の類いを見ているのであろうか


その答えは、否(いな)だ。


自然界に存在する五行、地・水・火・風・空のうち、ここに無いものは「火」のみであり、それが導師さまの唱える不動慈救呪によって、皆さんの気づきの知恵の灯(あか)り、すなわち無明(むみょう)を照らすが如く明かりの「火」、と相成ったのではあるまいか



参加者皆さんの勤行中、たとえ如何(いか)なることが起きようとも、作法し読誦することは止むまいとした私に、どれほどの刻が流れたのかはわからぬまま導師さまより、行の終わりを告げる合図が送られてきた。


私はこれを基に速やかに作法し、最後に至心廻向(ししんえこう)と云う、皆さんの功徳があまねく一切におよび報われることを願い奉り、その後自らの護身法を解いた。


行場から退堂する皆さんの背を見送り、しんがりを務めながら私はふとあることに気ずき、流れ落ちる滝の音にかき消されてしまうもひとりごちた。


「あの焔(ほむら)、この地を鎮守する権現は緋龍と青龍であったな。 感謝申し上げる」




行場である滝壺から上がると、この日見学にいらしていた方から白湯の差し入れがあった。


「有り難い」


冷えた身体というよりも、心そのものが温まる思いだ。


寒行においては、敢えて苦行を選び臨んだ結果ではあるが、日常における困難や苦難も、その難と云うものが有るからこその、「有り難う」なのではあるまいか


そう気づかせてくれる、プライスレスな白湯であった。




滝行の心身安全、皆さんの成満御礼を申し奉る前に、先ず各々が冷え切った身体を癒すべく、濡れた行衣(ぎょうえ)から私服に着替えた。


その後、塩川神社の御前にて導師さまの作法による読経と御礼の礼拝に続き、皆順に無事成満の御礼参拝を行った。


その時、皆に囲まれて微笑むHさんの笑顔が、行前の武士であるかの如くピリピリとした気を放つ人物とは思えない程に、優しく包み込むような温かさに変わっていたことを感じずにはいられなかった。


「そうか、Hさんは著名な創造料理人であると誰かが言っていたな」


私はそのことを思い出し、妙にひとりで納得してしまった。


過去の己は、言葉を含め刃物の扱いというものを知っているフリをしていた。


刃物は、己の我意(がい)を満たすために他人を殺傷させ、その未来を奪うことに使う道具などではなく、他人の胃袋という心に直結した臓器を温め、人の未来を活かす為に使う道具なのではあるまいか


皆と談笑するHさんのあの笑顔そのものが、そう語っているように思えた。


そして今回が初参加と云うことであったRさん、やはり入行前は、まるで親の仇討ちにでも行くかのような形相であったのだが、今こうして遠巻きに見てみると、女性ならばキュンとしてまうような笑顔で微笑まれているではないか、そのように私の独眼には映り、それに釣られ私もうっかり、自らの口角が上がっていたに違いないはずだ。


そして行の後はお楽しみでもある、恒例の温泉と食事であるのだが、その手配は常の如く幹事役を担ってくださるアイタカヨさんの人柄ゆえ、影の功労であろう。


先に記した、滝壺から上がった後の白湯は、実のところアイタカヨさんの段取りであったらしいのだ。




皆から「かよちゃん」の愛称で親しまれている方であるのだが、私も含め、どうやら彼女に対して妹の如く愛おしく感じてるらしい。


確かに、彼女を観ていると時に想うことがある。


もし彼女の笑顔を曇らせるような者があるならば、己はいつ夜叉に戻っても構わないと、そう思ってしまうような不思議な魅力のある女性であることは、間違いないだろう。




実はこのエピソードには、後日談があるのだ。


例えば、「ねぇこないだの飲み会、アタシ帰った後どうだった?

盛り上がったの? ねーね」と云った具合いの、謂(い)わば厨二病(ちゅうにびょう)と花粉症を発症して40年のベテランである私は、正仙先生の念珠に、秋葉原で購入した盗聴器をこっそりと備え、その会話を盗み聴きしていたのだ(嘘)

☝️

本当はグループチャットです。


鑑定師の仕事以外には、神社にたずさわるお勤めをされている先に紹介させて頂いたアイタカヨさんなのだが、塩川滝を管轄する八菅神社なる存在を知り、正仙先生をはじめ、チャット内の皆さんにわかるようアナウンスしてくださったのだ。


それを知った時、脳ミソとフットワークが重力よりも軽い私は、その日の午後すぐに八菅神社へと参拝させて頂くことにしたのだ。


何故ならば、無制限の暴力を棄却し、無限の坊力(ぼうりょく)で人さまの心のお手当てを薫重(くんじゅう)し続ける、正仙先生のその懐の深さを己は知っているからだ。


渡部正仙阿闍梨ならば、

そのようにするのではあるまいか








本殿まで続く階段なのであろう。


見るからに長くキツそうな階段ではあるが、こんな時の為に、以前買ったアレを使い己を鼓舞(こぶ)し、楽しめばよいではないか


そう思いついた私は、一旦車に放り込んだままのアレを取るべく戻り、往年の西城秀樹さんが、


悔、し、い、けれどぉ、お前にぃ夢中ぅ♬


と、唄っていた歌のタイトルの如く店名の100円ショップで買った、アレを出した。


そんなギャランドゥーは、コレだ👇



私は、買った当初は最新機種であった

愛用のiPhone 6sを、先日キャンドゥで買った三脚に装着し、階段の数を数えながら軽やかに駆け出した。




私は設定を失敗した。


気を取り直し、再度軽やかに駆け出して行った。




おそらくアングルが悪いのではないか

☝️

(頭が悪い)


私は撮影場所を改め、階段の数を数えながら、鳳凰と云う名の不死鳥の如く、再び軽やかに駆け出して行った。



私は、何度でも失敗から立ち上がるのだ。


もう一度撮影場所を改め、階段の数を数えながら、私は韋駄天の如く軽やかに駆け出して行った。




もうやめた。


オジンにこんなこと無理やねん。


238段の長い長い階段を登りきり(結局数えたw)、私はやりきった達成感と云う高揚感から、正に全盛期であったハリウッドスターであるシルベスター・スタローンの代表作でもある「ロッキー」の劇中シーンの如く雄叫びをあげた。


エイドリアーン❗️




神聖な場所で、不謹慎な咆哮(ほうこう)をあげた私は早速バチが当たり、本殿までさらに50段登らねばならぬ階段を与えられた。




はぁはぁゼェゼェしているオジンの私であるが、見渡すと数名、その内4名ほどのオジンの参拝者が居るではないか

(汚い言葉使ってごめんなさい)


ひとりでは何も成せない私ではあるが、見知らぬオジンのパワーをお借りしファイブGと成り、通信速度が上がった私は乱れた呼吸を整えてから、本殿ご祀神の御前に直立した。


くだらない冗談はさておき、末席とはいえ己も僧侶ではあるがゆえ心身は僧侶のまま、神道式にて礼拝



「ご挨拶が遅れた不作法お詫び申し上げる。

去る吉日において塩川滝における行の成満及び、参加者全員の心身安全、心から感謝申し立て祀(まつ)る。

大元吉祥堂堂主 正仙

我は代読 道薫、敬(うやま)って申す」




下山中、私はふと気づいたことがある。


己は、我意(がい)による執着で自らの心を縛り、苦しんでいる人の心を解き放って差し上げるべく説くことがあるのだが、それは「◯◯してはならない」と自らに引き算を施すなと、思い通りにならない時こそ、「これでいいのだ」と、自らを肯定するのだと、そのようにアドバイスすることがある。


しかし、当の本人である己は、果たしてどうなのであろうか?


過去に没義道(もぎどう)を歩んできた、言い方を変えればケモノ道を歩んできた人間以下の己が、教師である阿闍梨になるべきではないと、職業僧侶になるつもりはないからと、最もらしい言い訳をして四度加行に入ることを、意識的に避けてきたのではあるまいか


もし己が阿闍梨であったならば、越法(おっぽう)罪に囚われ私自身の心を縛り、制限をかけた活動ゆえに救うことの叶わなかった迷える誰かを、もしかすると救えたのではあるまいか


そう自問自答した時、その背を見ていたいと思うあの阿闍梨より説かれた、あの言葉を思いだした。


「我々のように、長いこと修羅界に棲んでいた住人だからこそ、立派な聖職である立場の方とはまた違った角度でものごとに対し、救うべき誰かのために切り込んでゆけるのではないですか」



仏門に入り、名声も名誉も要らぬと、心からそう思った。


ただ過去に、己が護りたいと願うも護れなかった、あの惨めな無力感を我は忘れたのか?


そうだった、失念していたことを思い出した。


仏教の開祖である釈迦は、六年の苦行を歩み仏の道に気ずき、天才弘法大師は唐入りの前の七年、数多の文献を調べても足跡が遺らないほどの苦行を経ているのだ。


己のような凡夫が、たかが五十数年生きたくらいで、いったい何が分かると云うのだ。


もう二度と、護りたい誰かの哀しむ顔など見たくない。


だからこそ己は、護りたい誰かの為に、

永遠に生きるかの如く学び、今日死んでもよいように生きるのだ。




というわけで、今月もしくは来月には四度加行(阿闍梨になるべく修行)に入るので、その間はブログなどをお休みいたします。


いつからいつまで更新を休止するのかは、詳細が決まったらUPしますので、その際はまた当ブログに訪問し笑顔になって頂けたら幸いです。