後援会旅行のイベントが終わり、梅雨が明ける頃には、京都では祇園祭りがクライマックスを迎える。この時期の地元の事務所のイベントとしては、野中系列と言われる28人いる京都府議会議員や京都市議会議員の先生方を夜、京都の街中から少し離れた料亭に招待して、日頃からお世話になっている労いと結束を兼ねて年2回、夏と冬に懇親会を開催する。街中から少し離れている料亭にするというのは、招待している議員の先生方に対する野中先生の気配りでもあった。
その料亭の大広間に入るとお膳がひとりづつ用意され、上座の真ん中に野中先生が座る席が空けてあり、両脇には、議長や議長経験者、自民党京都府連の役員をしている議員などが座り、両サイドに向い合っている席には、上の方から当選回数順で座ってもらうように席順が配置されていた。京都では錚々たるメンバーで全員が着席された光景は圧巻だった。

全員が着席されると下座に野中先生が正座する。その後ろに、秘書が一列になって正座し、野中先生が、日頃からお世話になっているという挨拶をして国会の動向、今後の自分の国会での活動で目指していくことなどの話をされた後に、後ろに正座している秘書をひとりひとり紹介し、また、紹介された秘書は、少し前に出て正座して頭を畳につけるぐらい下げる。そして府議会議長をされている西田吉宏先生(後参議院議員)の乾杯で宴会が始まる。私は、野中先生の挨拶の間、この光景を後ろで正座をして見ていて独特の雰囲気と重圧感で気持ちが昂ったのを今も鮮明に覚えているし、この時に、「ようやくこのような会に自分も参加出来るようになった」という想いと「将来自分も野中先生のようになってこのような会をするぞ!」という想いを頭の中で抱いたものである。
乾杯が終わって、野中先生が、上座の真ん中の席に着かれると料理が順番に運ばれてくる。私たち秘書は、並べられているお膳の内側に均等に座ってひとりひとりの議員にお酒をお酌してまわる。
お酌をしている時に、私は、事務所に入ってから1年経ったところだったので、秘書経験のある府議会議員の前にいくと「山田君、君は去年から事務所に、入ったんやったな。秘書は、親父(野中先生のこと)の分身やぞ。親父にとことん惚れ込まんとこの仕事はやってられへんぞ!まあ、頑張れ。」と励まされた。私は、「先生、ありがとうございます。秘書を経験してこられた先生からのお言葉、しっかりと胸に刻んで仕えて参ります。これからもご指導いただきますようお願いします。」と畳に手をついて頭を下げながらその議員の目を見て答えた。この懇親会では、私を野中事務所に押し込んでもらった私の実家の地域から選出されている府議会議員の先生もおられたが、他の先生方の手前、私もその先生もふたりともよそよそしいふりをしてお酌をして挨拶するだけでこの時は、親しくは話もしなかった。話は、逸れるがその府議会議員の先生とは、ふたりで会った時には、学生の運動員の頃と同じように話をしていたのはいうまでもない。

そろそろ宴会が終わる頃になると事務所で用意しておいたお土産の桐箱入りのお茶のセットと白封筒を手さげの紙袋に入れて手渡しする準備を大広間の入口の小部屋でする。 また、それぞれの議員に乗車してもらうためにタクシーを人数分予約して料亭の前に着けてもらう。そうして懇親会が終わると大広間から出てくる議員にお土産の紙袋を手渡し、玄関に出てタクシーに乗ってもらい、そのタクシーが見えなくなるまで頭を下げて見送った。そうして一番最後に出てこられた野中先生が「お疲れさんでした。ありがとう。」と言って車に乗り込まれ、見送ると私たちの仕事は終わるのだが、全く食事もとれてなかったので、先輩秘書とよくいく夜中でも営業している街の中華料理店に食事に行った。1番上の秘書は、懇親会に参加していた議員の先生方が、何人か行きつけの祇園のクラブに行かれているということで、そちらから声がかかっているので「付き合ってくるな。」と言ってタクシーに乗って祇園の方へ向かった。これが、夏と冬に年2回行われる私たちに取っては、重要なイベントの一つだった