週刊誌に私の名前が掲載され、年末とも重なって院内誌などの新年号に向けて名刺広告の依頼や暮れの挨拶などと称していろいろな得体の知れない団体などが、私のいる第二議員会館の302号室の奥山茂彦事務所に来られた。隣の301号室の野中広務事務所は、来年度の予算編成の説明や要望、マスコミの記者さんたちで千客万来であり、事務所に入り切らない人の多さで廊下に椅子を出して座ってもらっていた。
野中事務所は、この頃から既に禁煙だったが、奥山茂彦事務所は、私も当時煙草をまだ吸っていたので煙草が吸える事務所として喫煙所の役割を果たしていたし、また、野中事務所の順番待ちの方の待合室のようなものにもなっていた。
 私は、週刊誌に、事実でないことを掲載されてしまったので、名誉毀損で訴えようと考えて野中先生が懇意にされている弁護士を紹介してもらい相談に伺った。紹介してもらった弁護士の先生に、週刊誌を見せて私の意図することを伝えた。すると弁護士の先生は、「山田さん、残念ながらこれは、名誉毀損では難しいね。事実でないというだけで、論評にあたると言われるとどうしようもないよ。とりあえず、内容証明で間違いだけは、ただしておきますか。」ということで内容証明郵便を出すことになった。これを出してからは、その後の私に関する記事は、出なくなった。
また、12月19日からは、日朝赤十字会談が始まり、21日からは、日朝政府間交渉の予備会談も始まった。「ようやく日朝間が動き出したな。」ということで私自身、少し気分も高揚した。この動きに関連していたのかどうかは、今となってはわからないが、自民党本部の方から「昔一緒に活動していた仲間なので一度会ってみてくれないか」ということで紹介を受けたのは、軍事評論家の松井茂さんという方だった。雰囲気が独特で少し変わった方であったが、素晴らしい見立てと朝鮮民主主義人民共和国のことについて詳しく調べられており、朝鮮国内の状況も詳細に説明をしていただいた。松井茂さんは、朝鮮民主主義人民共和国をソフトランディングさせることに前向きな方だった。私は、また議論をふっかけられたり、批判されたりするのかと思っていたが、松井茂さんの話に引き込まれた。それから度々お会いさせていただく間柄になった。
 年が明け平成12年になり、通常国会が開会された。連立政権に公明党が加わって平成11年の臨時国会に続き、自自公連立政権での初の通常国会になった。総務庁長官に、續訓弘先生が公明党から就任されていた。通常国会では、当初からやや自由党の動きがおかしいように思えた。3月になるといよいよ小沢一郎党首の自民党に対する要求が強くなってきていたようである。私には、見守るしかないのでこの時も自分に与えられていた仕事を淡々とするだけであった。相変わらず私は、朝鮮労働党の指導員や向こうの情報をいただく方と今後のことについて連絡を取ったりしていた。
ある日、私は、奥山茂彦事務所のことで京都の選挙区に入り、その調整が済んだので東京に戻るために、京都駅から新幹線に乗ろうとして自分の乗車する新幹線をホームで待っていると、京都に戻られていた野中先生とそちらで遭遇した。多くの番記者さんに囲まれられていたが、顔が見えたので近寄っていくと野中先生も私がいるのに気づかれた。私が「先生お疲れ様です。奥山事務所のことで京都に帰ってました。」と伝えると「この新幹線に乗るのか?久しぶりに俺の隣で一緒に東京まで乗るか?」と言われたので、私は、「先生は、私を横に座らせて何かやりたいことがあるのかな。」と思い、「ありがとうございます。それではご一緒させていただきます。」と言って同じ新幹線に乗せてもらった。席に着くと私の予想は、当たっていた。野中先生は、スーツの内ポケットからA3のペーパーを取り出された。野中先生のスーツの内ポケットには、だいたいマル秘のペーパーが入っており、それを取り出されると生々しい情報が書いてあるものが多い。
私は、それを知ってしまうと記者さんたちに聞かれた時に、知らないふりをするのも辛いので敢えて見ないようにすることが多い。知らないことを知っているフリをするより、知っていることを知らないフリをする方が、辛いので見ないようにしようと通路の方へ目を向けていた。すると野中先生が私に肘でコンコンと私の腕をされたので「はい。」と左を見ると、そのペーパーを私の方に開けて見せて、「これな、、、」と言われてそれを見た瞬間「ハッ」と息を呑んだ。見ると自由党の先生方の名簿の一覧に、○、△、×と印がついており、野中先生が「小渕さんと小沢さんの会談があるんやけど多分うまくいかない。それでちょっと動いているんやけど○の彼らが、こっちにくるんや。△は、2番目になるかな。今のところ選挙区調整がうまくいかない。×は、イッチャンについていくだろう人たちや。」と言って私に見せてから、そのペーパーをずっと眺められていた。私は、「凄い話を聞いてしまったな」と思い、「そうなんですか。小渕、小沢会談は、決裂するんですか。」というと「イッチャンがハードルを上げてきてるから、こっちは、それはのめないわな。それで亀井さんとかと明日何人かで集まることになっているんや。」と言って黙ってそのペーパーを見つめて何かを考えられていた。「私を新幹線の隣に乗せて帰りたかったのは、このペーパーを見てじっくり考えたかったからなのだな」と言うのがわかり、私は、野中先生の邪魔にならないように、黙って横に座っていた。