昼は、何を食べるのか、女性が聞いて回っていたように思う。後援会周りをしている秘書は、当然外に出たままたが、事務所の場所が京都駅周辺ということもあり、外に食べに行く秘書と近くの店から丼ぶりものを注文して事務所で食べる秘書がいた。私は、初日で目まぐるしい事務所にいるのも辛かったので息抜きをするために、外に食べに行ったような記憶がある。昼飯を食べて事務所に戻るとまた、お客様がひっきりなしに来られていた。
その対応に筆頭秘書たちが、追われていた。そこに、後援会連合会事務局長をしている二之湯さん(後に京都市議から参議院議員になり、国家公安委員長就任のち引退した二之湯智元議員)が事務所に戻ってきた。アルバイト時代から知っているが、声が大きくズケズケと誰にでもものを言う人である。確か、この時は、自由新報(現在の自由民主)という機関誌の号外版の打ち合わせだったと記憶している。その打ち合わせに来たのが、岡田さんというコンピューターの大家の方だった。
いきなり事務所にお坊さんのような丸刈りの叔父さんが入ってきて、私を見るなり、「なんやお地蔵さんみたいにじっと座っている子がいるな。」といきなり言ってきた。私は、「えっ、この人なんや。お地蔵さんみたいな丸刈りの人に俺、お地蔵さんって言われている。早く動きたい」と心の中で叫んでいたのは、鮮明に覚えている。二之湯さんは、自分の机の椅子に座り用紙に何かをペンで書きながら、二之湯さんの机の左側にあるお客様用のソファに岡田さんが座り自由新報の打ち合わせをされていた。この時、岡田さんと打ち合わせするということは、岡田さんは名簿の担当だったので、今から考えると発行したときに、どちらに何枚おくるか、という打ち合わせだったであろう。今でなら誰と誰が会うと何をどうしているか?が直ぐにわかるが、事務所に入った頃は、何がなんだかわからなかった。
少し話は横道にそれるが、岡田さんを含め野中事務所には、常時2人ぐらいパソコンの置いてある部屋でただひたすら名簿の入力をされている人がいる。この頃パソコン自体が珍しく野中事務所は、最先端の技術を使って名簿管理をしていたと今になって思う。名簿に後援会員として入力しているのは、約15万人分。考えると凄い名簿を管理していたな。と思う。それが毎日、新しく後援会員になった方やまた、残念ながら亡くなった方などを入力したり、削除したりする業務をしていた。ほぼ完璧な名簿だったと自信を持っていえるものだった。
そうしてお地蔵さんと言われたような1日が終わった。緊張と手持ち無沙汰で気疲れも半端なかった。