そういえば――。
仕事の内弟子に入った頃のことだから、もう四十年近く前になる。
あの頃は、不思議というか、なんとも説明のつかないことが、度々……いや、結構あった。

人体の中には、いろいろなものが流れている。
血液、リンパ液、そして神経を伝わる電気信号。そして…『氣』。
血管、リンパ管、神経という、解剖学的に確認できる器官の中を、それぞれのものが流れている。

では、「氣」はどうなのだろう。
氣はあるのか。
あるとしたら、それはいったい何なのか。

視えるという人もいる。
けれど、普通は視えない。

ただ、昔から氣の流れを「観測」するための、いろいろな方法が伝えられてきた。

私も、磁石とOリングテストを使い、経絡の流れの方向を観察することがある。

氣が流れる道を「経絡」と呼ぶ。
経脈――太い本管。
絡脈――そこから枝分かれする細い流れ。
そんなふうに考えると、少しイメージしやすいかもしれない。

ここで、その方法を詳しく書くつもりはない。
私の記事は、基本的に「調べてください」だからだ。
ただ知識を得るだけではなく、自分で調べ、考え、つなげていく。

知識が、いつか智慧になるように。


さて――。
昔、鍼の施術をしていると、実に奇妙な現象に出会うことがあった。
鍼を刺したところを起点に、まるでカタツムリのような「渦巻き模様」が皮膚に現れる。
あるいは、経絡に沿うように、ナナフシのような硬い筋が浮かび上がる。
皮膚の色が、まるでアマゾン川の流れのように、白と黒……いや、肌色の濃淡に分かれていくこともあった。
当時、私はそれらを「経絡現象」と呼んでいた。
経絡や氣の存在が、目に見える形で現れたもの――。
そんなふうに考えていた。

……けれど。
四十年近く経った今でも、私には、それがいったい何だったのか説明できない。
科学的にこうだ、と言い切れるものでもない。
だからこそ、今でも記憶に残っている。

ところが最近――。
めっきり、こうした現象に出会わなくなった。
昔は、あんなにあったのに。
なぜだろう。

年齢のせいか。
技術が変わったのか。
それとも、そもそも私の見方が変わってしまったのか。
そんなことを考えていたら――

……はっ、とした。

最近は、肌を出さない。
いろいろな事情もあって、必要以上に服をまくり上げることもしなくなった。

昔ほど、身体を直視していない。
昔ほど、身体の隅々まで触れていない。

そう考えると――
もしかしたら。
現象そのものが減ったのではなく、
私が、それを見る機会を失っただけなのではないか。

服の下では、今も何かが起きているのかもしれない。
経絡に沿って、何かが流れているのかもしれない。
あるいは――
何も起きていないのかもしれない。

私には、わからない。
ただ、四十年前に見たあの奇妙な身体の変化だけは、今も記憶に残っている。

「氣はあるのか?」
「経絡とは何なのか?」
「昔、私が見ていたものは何だったのか?」

答えは、まだ出ていない。
だからこそ、面白い。

わからないものを、わからないまま残しておく。
そして、いつかまた出会ったときに、
「ああ、これか」
と思えるように。
……なんとも。
なんとも、不思議な話である。