今年のお盆は、最大9連休が報じられていますね。

私は暦通りの労働ながら、15日は休暇です。

コロナ禍以降は、休みを取得しやすくなりましたよ😄

街が静かになるのが良いです。

 

さて、お盆が近づくと、あの話ですね👻

 

戦争が終わった日と重ね合わせ、何か特別な時期に思えます。

 

残念ながら、私には霊感に乏しいので、「見る」ことはありません。

しかし、母方の親戚は霊感があるので、体験談が豊富ですよ👻

 

豊中のイトコは『服部駅で見たで』です。

新光風台のイトコ(姉)は、『妙見口駅で女の人がバスに轢かれたのに、亡骸が無かった』です。

小中の頃、新光風台の親戚宅へ泊まりに行ったことが、何度もあります。

イトコ姉弟は、心霊の話ばかりしよったな👻

 

母方の祖母が他界したとき、母親は『玄関に人の気配がするで』と、数日間も言っていました。

同様に、新光風台のイトコも『お祖母ちゃんの気配がしたで』です。

 

母親が末期ガンで入院していたときは、壁を指して『ほら、お父ちゃんとお母ちゃん(祖父母)が来てるやろ。顔は曇って、よぉ見えへんけどな』です。

これが、世に言う「お迎え」でしょうか?


新光風台のイトコ(弟)は、雑誌「ムー」の熱心な読者です。

西吉野へ先祖の墓参りを兼ねての旅行では、ムーを持って来ましたよ。

母親は『神がかった本やな』と呆れていましたが、誌面には心霊体験が満載でした。

他界したマルチーズが夜道を駆けて来たのや、女子高生を乗せたタクシーが目的地に着くと、いなくなっていて座席が濡れていた話を覚えています。

 

夜の西吉野でムーに目を通していると、漆黒の闇に包まれた山の向こうに稲光は、さらに恐怖を増長させましたよ。

 

不思議なことに、「出る」のは女の人で、座席が濡れている体験が多いです。

母親から聞かされたのは、南海電車の最終に「出る」話で、やはり女の人でした。

 

阪急相川付近の神崎川鉄橋では、電車の向こうに多数の塔婆が立っていますよ。

塔婆には「鉄道受難」と記されていました。

かつては堤防に踏切があって、身投げの名所だったと思われます。

上牧駅付近の梶原踏切にも、多数の塔婆が立っていましたよ。

 

阪急京都線では、上新庄、摂津市、総持寺、阪急富田が「名所」ですね。

やはり「呼ばれる」のでしょうか?

 

京阪の香里園から光善寺も「名所」ですよ。

近所の子は、光善寺の某私立小学校に通っていましたが、後始末の様子を準急の車窓から見たと言っていました。

また、下校時刻に光善寺駅で身投げがあり、それを見た下級生たちが泣きながら学校に戻って来たと言っていました。

 

夜の赤井堤踏切では、ミラーに子供の顔が浮かぶそうです。

 

近鉄大阪線の長瀬1号には、お地蔵さんが立っています。

10年ぐらい前の夏、父方の法事へ赴くとき、長瀬駅で・・・💦

 

中学生のとき、阪急の踏切では電車が来ないのに、警報機が鳴ったことがありましたよ。

また、学生時代に興味本位と怖いもの見たさで心霊スポットを検索したら、パソコンがフリーズしたことがあります😱

 

最近ではデジカメやスマホ撮影のため、心霊写真が消えたそうです。

それで、『心霊写真は撮影のエラーが生み出した』との意見が多数ですね。

光線の乱反射による心霊写真は、眉唾物だと思いますが。

 

これも『動物園前駅に出たぁ!』になりますよ😁

種明かしをすれば、デジカメのレンズに傷が入って発生です。

 

しかし、計算式と信号配列で画像を出すデジタルでは、心霊に反応しないと思っています。

私の場合、霊感が無いだけで、存在を信じています👻

 

犬の心霊写真の場合、飼い主は『あの子が戻って来てくれた』と喜ぶそうです🐶

 

ここからは、旧ユリでアップ短編を、加筆修正して紹介しますね👻

なお、登場人物の「弘美」は、字は違いますが、新光風台のイトコです😁

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8月のお盆休み、高島弘美は父母と弟の4人で高野山へ行った。

弟の秀夫は、念願の「こうや号」に乗れて、1人で喜んでいる。

 

高野山詣のあとは、紀見山荘で宿泊することになっていた。
弘美だけは極楽橋が気になったので家族を見送り、1人だけ後発の電車に乗ることにした。

 

極楽橋とは極楽橋駅の横に架かる、太鼓橋のような造りをしている。

何の変哲も無い橋を見てから、橋本行きに乗ることにした。
夕方のためか、2両編成の電車には、改札口に近いほうに数名乗っている程度だった。
弘美は誰も乗っていない、前よりの車両に乗った。

発車のベルが鳴り、扉が閉まる直前に1人の女の子が駆け込み乗車をして来た。
弘美は、その女の子と目が会った。
女の子は弘美に『この電車、上古沢に行きますか?』と尋ねて来た。
『行くよ』
『良かった。上古沢の駅にな、お母ちゃんが待ってんねん』
『へえ、お名前なんて言うん?』
『久枝です』
なんだか古い名前で、近頃の女の子には珍しい。
土地柄がそうさせるのか、いわゆるキラキラネームでは無いのが良い。

しかし、「火垂るの墓」に出てくる女の子のようにおかっぱ頭で、古びた服の胸には「山下久枝 A型」の布切れが縫い付けられていた。

この子は映画かドラマの子役で、ロケの帰りかと思わせた。

電車は、トンネルを出たところにある紀伊神谷駅に着いた。
杉木立に囲まれた静かな駅で、利用客は1日に10数人らしい。
蜩の声が山々から聞こえ、涼しい夏の夕方を感じた。
ここで極楽橋行きとすれ違った。
『お姉ちゃん、これホンマに上古沢に着くんやろか?』
久枝は心配そうに弘美を見た。

そして、次の紀伊細川駅を出発すると断崖絶壁を走り、電車の車輪がレールに擦る音を付近の山々に響かせる。

その頃から、弘美は何とも言えない身体の重みを感じた。

片頭痛でも生理痛でも無い、とにかく違和感だ。

 

トンネルを2つ越えたところで、
『ウチ、上古沢でお母ちゃんが待ってんねん!早よ着いて欲しい』
久枝は泣き出した。
『大丈夫、次が上古沢やで』
『でも、この電車、絶対上古沢に行かへん!知ってねん!』
弘美もまた、身体の重みを感じてしまった。
久枝の泣き声に比例するかのように。

トンネルを抜けて、電車は上古沢駅に着いた。

弘美の額には、真夏の冷房車内ながら、脂汗が流れている。
『ほら、上古沢やで』
しかし、久枝の姿は無かった。
心配になり電車を降りた。
駅員に、今、女の子が降りなかったか尋ねた。
すると駅員は
『姉ちゃんも見たんか?』と、当たり前のように答えた。
この時間になると「見る」人がいるようである。

戦時中の昭和19年9月3日の夕方ことだった。
近畿日本鉄道(現在の南海)の電車が、駅を発車直後にブレーキの故障で下り急勾配を暴走し、紀伊細川と上古沢の間で脱線転覆した。
その衝撃で山から巨大な岩石が落下して、電車を粉砕したのだった。
死者71名、負傷者130名の大惨事であった。
近鉄の社史を繙けば「当社最大の事故」と記されている。

戦後の昭和31年には、付近のトンネル内で電車が発火全焼する事故があったが、原因は不明だった。

弘美には霊感があった。
それだから紀伊細川付近で、身体の違和感を覚えたのだった。
事故のあった同じ時刻の電車に乗り、久枝と会ったのだ。
彼女は恐らく、あの電車に乗り遭難したに違いない。

事故現場に慰霊碑が立っていることは、後程に知った。

(なお、上古沢に「出る」話は、聞いていません)