昨年3月までFM守口では、アイドルユリ子の番組が放送でしたね📻

令和の高校生とは思えない、歌の解説が好評でしたよ💕

 

残念ながら3月末の閉局により、番組も終了しました😢

 

番組の継続を望む声が後を絶たず、昨年5月にFM吹田で再出発となりました😍

 

ユリブロで昭和歌謡を紹介のとき、番組形式で展開を考えています😁

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CM『肉の本場、河内松原で修行した店主の目利きが、厳選された和牛をお届け!

ほっぺがとろけそう〜♪

江坂駅前、炭火焼肉、妙香山』

 

CM『電気のことでお困りなら、川岸町の安村電設。

1級電気工事士が、懇切丁寧に御相談。

JR南吹田駅から歩いて5分!

弱電から強電まで、信用と実績の安村電設』

 

時報『5時をお知らせします』

 

(テーマソング)

『忘れちゃいけない

出発しようよ

いつでも若さを 大切に

暗い夜だけ 知っていて〜』

(フェーズアウト)

 

『皆さん、こんにちは

歌手の田 辺 ユ リ 子でございます。

本日も懐かしい1960年代へ御案内します。

ゴールデンウィークが過ぎ、新緑から草木が青々となって来ましたね。

既に夏の暑さとなり、皆様は如何お過ごしでしょう。

(中略)

それでは、これからの1時間は、皆様と一緒に1960年代へ旅行しましょう』

 

『まず初めは、吹東町にお住まいの「ヤマザキパンマン」さんからのお便りです。

ユリちゃん、こんにちは。

こんにちは。

最近のラジオ番組は、しゃべくりばかりのトーク番組ばかりで、以前のような歌番組が無くなったが残念です。

そんな中、FM守口でユリちゃんの番組を知りました。

しかも、1960年代の歌に限定した番組には、すぐにファンとなりました。

当時のユリちゃんは中学生ながら、あの時代をリアルに生きていたような歌の解説には、すっかり虜になりましたよ。

(中略)

 

皆さんのおかげで、ここまでやらせて頂きました。

有り難うございます。

 

さあ、夏が近づき、エレキ歌謡の季節となりました。

あのテケテケは、アストロノウツ「太陽の彼方に」、ザ・ベンチャーズ「パイプライン」に始まり、昭和40年前後には大流行でしたね。

熱狂的なファンは、レコードの回転数や再生機器の違いなどで、あのテケテケの聴き比べをするそうですよ。

 

それでは、「ヤマザキパンマン」さんからのリクエスト。

昭和40年、北原謙二さんのテケテケ「若い太陽」を、お聴きください。

 

『竹谷町にお住まいの「妖怪人間ベラ」さんからのお便りです。

ユリちゃん、こんにちは。

こんにちは。

私は中学生の頃まで、枚岡市布市町に住んでいました。

当時の私は、お下げ髪で、ユリちゃんの2つ括りに、オーバーラップさせています。

有り難うございます。

 

下校のとき、田んぼの畦道で、或る男子にからかわれたものです。

ある日、千里ニュータウンの佐竹台に入居が決まり引っ越しのとき、その男子が南日下のバス停で涙を流していたのを思い出します』

『今は、浮き輪を着けた米俵みたいなBBAになった私ですが、この歌を聴くと、うら若き女学生時代を思い出します。

(中略)

 

守屋浩さんは、浜口庫之助先生のお気に入りで、デビュー当時から作曲だけでは無く、作詞も担当されています。

今回のリクエスト「長いおさげ髪」は、神津善行先生が作曲と作詞を担当ですよ。

また、守屋浩さんは、山本リンダさんと共に、芸術部で活躍していたと、私のマネージャーから聞いています。

 

それでは「妖怪人間ベラ」さんのリクエスト。

昭和37年、守屋浩さん「長いお下げ髪」を、お聴きください』

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『ユリ子のイチオシぃ〜』

(エコーを効かす)

 

『今週の「ユリ子のイチオシ」では、吉永小百合さんの「光る海」を紹介します』

 

『中学校に入学直後、私はNHKのど自慢大会に出場させて頂きました。

そこで、吉永小百合さんの「光る海」を歌いました。

なんと、勿体なくも週間チャンピオンに選ばれました』

 

『あの有名な、古山裕一先生の目に留まり、私は歌手の道を歩むことになりました』

(中略)

 

『B面の「こんにちは二十歳」は、中学2年生のとき、末期がんで入院していた母親に会った帰り、病院から南千里駅に向かう途中で歌ったものです。

 

「紅い頬した 二十歳 

たった今から 私も大人〜」』

(涙声)

 

『それでは私が歌手になるきっかけとなった、昭和39年、吉永小百合さん「光る海」を、お聴きください』

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CM『事業者の皆さん、消費税3期分の納付はお済みですかぁ〜。

吹田税務署からのお知らせです』

 

CM『お鍋にはやっぱり、マロニーちゃん〜』

 

CM『毎週、日曜日の夕方は、私が懐かしの青春時代へご招待です。

懐かしい中にも、新しい魅力をお届けします。

田 辺 ユ リ 子の1960Sメモリー

聴いてね💕』

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『番組後半は、いつものように特集ですよ。

今週は、御当地ソングをお届けします』

 

『円山町にお住まいの「釣りキチ四平」さんからのお便りです。

ユリちゃん、こんにちは。

こんにちは。

今回は御当地ソング特集と聞いて、私は舟木一夫の「東京新宿恋の街」を思い浮かべました。

私が学生時代、新幹線が開業前に、急行「彗星」に乗って初めて東京へ行き、大阪とは比べ物にならない大都会に目を回したものです。

そんなとき、この歌が流れていました。

東京を歌った歌は数あれど、これはレアな存在だと思っています。

(中略)

 

この歌は、小田急百貨店が新装オープンを記念して作られましたね。

歌詞の中には、売り場の紹介があります。

それでは、「釣りキチ四平」さんのリクエスト。

昭和39年、舟木一夫さん「東京新宿恋の街」を、お聴きください』

 

『続きまして、垂水町にお住まいの「団子椿は恋の花」さんからのお便りです。

ユリちゃん、こんにちは。

こんにちは。

私は社会人3年生だった頃、会社に出入りしていた、運送会社の人に恋をしました。

でも、その人にはフィアンセがいたのでした。

当時、流れていた西田佐知子さんの「エリカの花散るとき」の歌詞にあるように、伊豆半島へ傷心旅行をしたのです。

(中略)

 

永六輔先生と中村八大先生のコンビは、数々の名曲を生み出しましたね。

これに坂本九さんを加えて、「六・八・九」トリオと呼ばれたのは有名です。

私も修善寺温泉で歌謡ショーのとき、伊豆箱根鉄道バスに乗ってエリカの花を見たくなったものです。

歌詞を見るにつけ、伊豆半島で植栽されたエリカを宣伝もあるようですね。

それでは、「団子椿は恋の花」さんのリクエスト。

昭和38年、西田佐知子さん「エリカの花散るとき」を、お聴きください』

 

『東淀川区大隅にお住まいの「チビクロ散歩」さんからのお便りです。

ユリちゃん、こんにちは。

こんにちは。

今週の御当地ソング特集では、真っ先に梶光夫の「俺はやるんだこの街で」を思い出しました。

私は福井県の高校を卒業と同時に、尼崎の工場に就職しました。

杭瀬駅の近所で下宿して、慣れない環境で仕事を辞めたくなりました。

そんなとき、この歌を聞いて頑張ったものです。

(中略)

 

この歌は、尼崎市民の公募で生まれましたね。

「希望かがやく 明日をまねく
アマの灯りよ ガスタンク
俺は好きだぜ この街が」

なお、B面の「ド根性節」は、今でも盆踊りの定番ですよ。

それでは「チビクロ散歩」さんのリクエスト。

昭和40年、梶光夫さん「俺はやるんだこの街で」を、お聴きください』

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いよいよ、お別れの時間となりました。

『来週の特集では、佐々木功さんをお届けします。

佐々木功さんと言えば、宇宙戦艦ヤマトなどのアニソンでお馴染みですが、この番組ではロカビリー歌手時代の佐々木功さんを特集します。

 

皆様から、佐々木功さんにまつわるお話しとリクエスト、お待ち申し上げています。

それでは、来週のこの時間にお会いしましょう。

さようなら』

 

(テーマソング)

『忘れちゃいけない 

出発しようよ

希望の泉が 湧く森に

今日も呼んでる 旅人を

この道 行こうよ

いざ行こう〜』

 

『82.3MHz FM吹田です。

6時をお知らせします』