ハッシュタグ「信貴山」は1位でしたよ🎉
信貴山門駅からは、信急の連絡自動車で高安山へ向かいます。
後方の建物の地点が、かつての信急山上平坦線の駅です。
10分発の便が目の前で発車しましたが、係員氏から30分発の臨時便を案内されました。
発車まで余裕があるので、駅舎内を観察します。
昭和32年の営業再開当時を伝えています。
石油ストーブの上にヤカンは、我が家でも普通の光景でした🔥
ヤカンから噴き出る蒸気が、加湿器を兼ねていましたね。
餅を焼いたのが懐かしいです。
ヤカンの蓋には「高安山」とありますね😁
連絡自動車が高安山に向けて走ります。
高安山駅に到着です。
数年前は、近鉄専用道で一般車の進入は禁止でした。
信貴生駒スカイラインとの分岐点には、その旨が無くなり、車庫跡の駐車場には一般車が数台停まっていましたよ。
昭和5年の駅舎は、まだまだ取材の余地がありますよ。
何しろ、戦前の文献が乏しいですからね。
ただ、こちら側の入口は、昭和32年の復活時に開けられたと考察するのは、↓からの根拠です。
頼りになるのは、鳥瞰図だけですよ。
開業当時の平面図では、駅舎の構造は同じようです。
駅舎前のスロープは無く、戦時中に山上平坦線の電車を下ろした際に開削した掘割を活用に思えます。
いつもは静かな高安山駅に、バスが並ぶのは珍しいですよ。
係員氏が『臨時便が出ますよ〜』でしたが、通常便に乗ることを伝えました。
開業当時のタイル張りの床面は、券売機前ではコンクリート打ちになっています。
鉄道線路に近づくと、車両よりも構築物に目が行く傾向です😁
高安山駅には、未知の世界が潜んでいるので、出発時間まで退屈しないです。
駅舎の横にもコンクリート舗装が迫っていますが、営業再開当時は、ここから連絡自動車が発着だったのかと思わせました。
山上平坦線の旧ホームに建つトイレは汲み取り式で、手洗いの水は信貴山口駅から鋼索線で運搬です。
それで「節水にご協力願います」とあります。
駅の横にある、ゴジュウガラ展望台から、大阪の街を望みます。
あべのハルカスが霞んでいますよ。
アイドルユリ子は、高安山を歌いましたね。
レコーディングに備えて、ゴジュウガラ展望台で練習です。
CDの売上げ110万枚は、ユリ子的には少ないですが😁
B面が有線のリクエスト殺到なので、これからに期待したいところです。
生長した南天に木漏れ日です。
アオキが赤い実を付けています。
我が家の庭にも、日陰部分に植えていますよ。
自生は背丈が高いですね。
この先に、高安山気象レーダーがあります。
高安山と言えば、ユリ画伯が昨年7月から進めている「超・高安山伝説」ですね。
殆んどの下描きを終え、ペン入れに移りますよ。
残る課題は近鉄大阪線💦
高安山では、大阪大学の梢雲(コズモ)教授と、謎の電磁波パルスを解析する003ユリ子👧
『私には、26万の八尾市民がいる!
そして、平和を愛する大阪府民がいる!
覚悟しろ!ケモミミ怪人ディスリー!』
『新年早々、ご苦労なこった。
ケモミミどもは、私が三河安城から遠隔操作しているのだぜ。
クソガキ003ご自慢のレーダーアイとソナーイアーは、全く効き目が無かったな。
ウケケケ』
『ウルサイわ!
アンタは配役に入ってへんで!』
『アメブロでは悪が栄えるのだ。
だから私は出演する。
高安山では、再び煮え湯を飲むがいい。
ウケケケ』
現地を取材すると、情景も明らかになりますね。
003ユリ子の真似をして跳躍したら、昨年の定光寺駅みたいに法面をコロコロですが💦
『高安山より24日のフランちゃん祭りやろ?』ですね。
昨年末に、「魂の独立」を果たしたユリ画伯は、ローカルなユリブロらしくマイペースで進めていますよ。
ブロ友さんとの共通の聖地は、近鉄京都線の興戸2号踏切です。
最近は周辺が荒れているので、認定が厳しくなりました。
新たな聖地として、高安山を呈示したいと思っています😄
ここなら、不特定多数の侵入を拒みますからね。
何しろ、有料の信貴生駒スカイラインと信急鋼索線の他には、訪問の手段がありませんから😁
信貴山からの観光客も、信急鋼索線へ乗り換えで先を急ぎ、滞留していません。
信急鋼索線で山を下りますね。
八尾市が高安山の里山保全事業に乗り出し、間伐材の運搬に鋼索線を利用と紹介ですよ。
自治体とタッグを組んでの鋼索線活用は、昨年末に廃止となった能勢電ケーブルとは正反対ですね。
信貴山口駅に着きました。
鋼索線の到着に合わせて、東高安線の電車も到着です。
八尾市が高安を宣伝することになり、東高安線の電車も専用仕様となっています。
車内も高安を余すことなく宣伝です。
令和6年は高安が熱い😁
終点の河内山本駅に到着すると、令和6年もパタパタがお出迎えです。
大阪線の準急に乗ります。