高蔵寺駅から乗った普通列車は、次の定光寺駅に到着です。
下車したのは、私を含めて3人。
レール組みの柱が歴史を感じます。
前方に、旧路線のトンネルが見えます。
昨年に取材した古虎渓駅と同じく、山深い場所です🗻
反対側には地下道を通ります。
段差があるのは、列車時代のホームを嵩上げですね。
しかも、あまり段差が無いところを見ると、神戸駅のような列車・電車併用が分かります。
こんなところを見逃さないのは、変質者の面目躍如ですよ😁
「出口」が国鉄時代に思えます。
断崖に位置するようですね🗻
ホームのフェンスは、後年に継ぎ足しされています。
落ちたヤツがいたかも知れないですね😜
昭和40年の定光寺駅です。
構内踏切がありますね。
先程の地下道は、後年に設けられたことが分かります。
(画像は春日井市Webより)
ホームから庄内川を望みます。
ホームからの階段は、2箇所に分かれています。
昭和41年の同地点です。
駅舎は無くなりましたが、電柱は健在ですね。
(画像は春日井市Webより)
画像にも見える便所は、期待とおり汲み取り式ですよ😁
看板は国鉄時代ですね。
放置っぷりが、定光寺駅の扱いを暗示ですが。
周辺は人の姿も無く静かです。
三条大橋を模して、昭和12年に架橋の城嶺橋です。
欄干も継ぎ足しですね。
鋳物の灯籠型が重厚です。
「阿部定」になっています😁
橋の袂には、廃旅館です。
小学校2年生のとき、家族で鬼岩温泉へ行きました。
帰りに、多治見から中央線の列車に乗りましたが、古虎渓駅から定光寺駅の間の景色は、子供の目にも感動しましたよ。
名古屋行きの普通列車が到着します。
ユリブロ的には、汽車時代からの路線を走るのは「列車」です。
定光寺は「名古屋の奥座敷」と謳われ、一大観光地だったそうです。
平成に入ってから、飛騨高屋に移行で廃れたとありました。
旅館街を形成するも、全て廃業となっています。
川沿いには、ブロ友さんが反応しそうな廃旅館があります。
屋上のネオンサインが点っていたことでしょう。
1960年代に建設と思われ、当時のレジャーブームの到来を告げているようです。
国鉄の宣伝も『風光明媚な定光寺へ!』ですね。
部屋から庄内川の眺望は、抜群だったことでしょう。
大阪で1960年代の雰囲気を楽しめるのは、箕面温泉スパーガーデンと不死王閣ですね♨
かつての入り口です。
債権者がハイエナの如く、館内の備品を強奪したとあります。
さらに心霊スポットと騒がれ、不埒な廃墟マニアに荒らされて、今では頑強に封鎖されています。
厨房部分と思われます。
昭和36年には、観光客で賑わっています。
当時の千歳樓は木造建築ですね。
(画像は春日井市Webより)
千歳樓から進むと、東海自然歩道の入り口があります。
中央線の旧路線が残されています。
旧路線のトンネルです。
ここから先はJRの社有地との旨で、侵入を断念です。
なお、履物はスニーカーでしたよ。
このあと、悲劇が・・・💦
トンネルから下りるとき、足を滑らせて尻もちです😂
以前のように、ミリタリーブーツを履いていたらと思いました。
003ユリ子の履いているブーツなら、傾斜60度でも滑らないですが😜
旧路線のトンネルは、愛岐トンネル群と呼ばれ、登録文化財に指定されています。
なお、私は公開ツアーには参加しないです。
1人で楽しみたいので、普段に非公開の物件は他人事です😜
それよりも『あの美しいのがユリ子だったのか』と身バレするやんけ🤣
定光寺駅に戻りました。
多治見行きの普通列車が到着です。
運行は等間隔では無く、12分の次は52分でした。
適当な運行でも、相手が定光寺駅と古虎渓駅だと、不満も出ないかも知れないです😁
あくまでも、普通列車の「お客様」は高蔵寺からです。
草が生い茂っている部分が、旧路線です。
庄内川に並ぶ水路は、発電用水ですよ。
程なく、名古屋行きが到着です。
随分と前よりに停まったので、駆け足で列車を追いました。
女の車掌に『名駅まで』で発券です。
昨年は古虎渓駅を取材して、旧ユリで紹介です。
近鉄名古屋駅から、新型特急で帰阪します。
次回は、「平和の戦士」003ユリ子の新ゼロオープニングです👧
7月から取り掛かり、漸く完成しました🎉
『グレーのトレーナーは平和のしるし』😁