多奈川駅の取材をして、線路沿いを歩きました。

府道752号線では、ツーリングのバイクが目立ちました。

ちなみに私は、セロー時代に日本橋へ行ったのが、最も南部ですよ。

大阪市内は、よお走らん。

 

程なく深日港駅に到着します。

ホームが若干嵩上げしているのが分かりますね。

2018年9月

 

深日港駅は戦後の昭和23年に開業で、最初から単線対応となっています。

駅舎の看板は「南海深日港駅」ですね。

深日町と多奈川も、いずれは取り換えかも知れないです。

 

駅前には岬町の役場があり、通勤には便利ですね。

外壁がコンクリート打ち放しの、1960年代公共施設に激萌えの御方もいると思います。

休日で閉庁しているので、中には入れませんでしたよ。

 

淡路島へ行くフェリーで賑っていた頃は、このお店も盛業していたと思います。

2階以上は宿泊施設にも見えますね。

 

駅前は、すっかり寂れてしまっています。

前方には木造の旅館があり、出航までの休憩所にも活躍したと思います。

特定の産業に頼る、いわゆる「企業城下町」は、撤退すると連動して廃れるのが分かります。

 

波止場の荒くれがケンカをしている光景は、全くありませんでした。

釣り餌店だけが盛業していて、今はフェリーよりも釣り人が主役ですね。

赤信号で横断歩道の真ん中に立っているが(≧▽≦)

 

深日港は釣りを楽しむ家族連れで賑わっていました。

錨のロープを繋げる器具は、戦時中の物件に思えます。

 

貨物線が停泊していて、これから抜け荷の取引ですね。

合言葉は「なん」「かい」です。

間違って「なん」「こう」だったらチャカで始末。

 

大阪湾を臨みます。

遠くを航行している船は、深日港には無縁に思えます。

 

折しも洲本行きの汽船が到着です。

淡路島へ行きたくなります。

小学生のとき、坂手港を出航する関西汽船から、堺の従妹と投げキッスをしたことがありますよ(≧▽≦)

鳥羽から答志島へ渡る市営汽船でも、同じことをやった覚えがあります。

 

改札口を通り、駅の中を取材します。

改札口付近の上屋は鉄骨造りですね。

 

淡路島へ行く旅客の臨時改札口が健在です。

ここを通って、淡路島へ向かったのですね。

 

開業当時は、改札口付近には屋根が無かったと思われます。

床はコンクリート敷きですが、1960年代にホームの嵩上げをしたので、開業当時ではありませんね。

上屋の梁に残っているマイクから、乗り換え案内が流れていたのは、昭和40年代の光景でしょう。

 

ペンキが剥げ落ち、汐見橋線よりもカオスになっていますね。

 

多奈川線は撮り鉄の注目が無いのか、見掛けたのは1人でしたよ。

フリー切符の日ながらも、これは意外でした。

勿論『出力強化の1551系が好きで~す💓』なんてヌカす「南海電鉄女子」もいなかったですよ(^○^)

 

それでは、次の取材先へ向かいます。

 


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