前回は、阪和天王寺駅の構内を中心に取材しましたが、駅の外を回ってみましょう。
駅構内から道路を隔てたところには、昭和の化石みたいに国労会館がありますよ。
旧阪和電鉄の土地を分捕った名残にも見えます。

2018年1月


阪和電鉄と関西線との連絡線は、今では線路が外されています。
かつては、貨物や南紀直通列車の客車の受け渡しに活用されていましたね。
阪和電鉄では電車が足りないとき、鉄道省から電車を借りることが多かったようで、この連絡線を経由したと思われます。


ご存じのとおり、阪和電鉄は昭和15年に南海山手線になったので、阪和天王寺駅は「南海天王寺駅」に改称です。
こうなると、天王寺支線の「天王寺」、上町線の「天王寺駅前」、そして山手線の「南海天王寺」が揃いますね。

戦時中の電キチ少年は、天王寺から三国ヶ丘経由で南海天王寺までの切符を買って喜んでいた?
『この非常時に、貴様ぁ~!』
しかし、当時の若者たちも権力には素直では無く、こっそり短波放送でジャズを聴いたり、警報が鳴れば真っ先にアメリカの書物を防空壕に避難させていたことが、戦後に暴露です。
鉄関係でも、憲兵や特高の目を盗んで鉄道写真の盗撮や、客車の記録は代数の教科書に書き込み、大人たちを欺いていたとあります。

さて、財産標を見ると「昭和20年12月」になっていますね。
阪和電鉄の国有化は、昭和19年5月です。
建設された昭和4年からの空白が発生の理由は、台帳を見た訳では無いので分かりません。
なお、国有化が2ヶ月遅かったら、阪和天王寺駅は「近畿日本天王寺駅」になっていた可能性もありましたね。
昭和19年3月の新聞では、南海と関西急行が合併と報じられているので、下準備もあったと思われます。


南紀直通列車のホームから、貨物扱いの高架が広がっています。
高架構造の貨物駅は、秋葉原駅も同じですね。
荷受けには、クレーンやエレベーターが使われたと思います。


貨物駅の終端部分です。
現在は天王寺保線区の事務所となっていますが、ここに荷受けのトラックや馬力で賑っていたのでしょうね。
湊町や難波と違うのは、水運との接続が無いところです。

流通に興味のある方なら、阪和天王寺駅での貨物は到着便か発送便の、どちらが主であったかも気になるところですね。
なお、省線の天王寺駅の貨物取り扱い施設は、関西線沿いにありました。
近鉄南大阪線の河堀口駅に近く、地元民からは「高松貨物駅」と呼ばれていたそうです。
跡地はマンションになっていますよ。


昭和物件の取材をしながら思うのは、生まれて来るのが遅すぎたことです。
昭和40年生まれなら、色々な物件に巡り会えたことでしょう。


仕上げは、いつもの新世界ですよ。
例によって大徳利3本(^○^)


地下鉄第6号線でオウチに帰ります。
このとき、すでに私の身体はインフルエンザ菌に蝕まれていたとは・・・。



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