土曜日は食育ブログ♪源氏物語の頃の魚介類♪ブログ継続5460日目 | 風呂敷研究家 つつみ純子の和文化研究所 

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風呂敷文化研究家・和文化コンシェルジュのつつみ純子です。風呂敷を通して、日本文化と日本人の知恵をお伝えします。風呂敷講座の他、日本文化や和にまつわるセミナーも開催しております。

今年の「住まいのオーダメード館403」
のコラムは、紫式部の源氏物語に因み、
「平安時代衣食住」について書いています。
 
今日のブログは今年3月のコラム
平安時代の貴族たちの食卓には
魚はよくのぼりました。
ただ京の都は海から遠かったので、
新鮮な海産物を手に入れることは
難しいことでした。

そのため、主に川や琵琶湖の魚介類、
それも、腐らないように干物や
塩漬けになったものが届けられました。

平安時代には、その保存方法が工夫され、
種類も増えました。
例えば鮎なら煮乾年魚(塩水で煮てから
火または日で乾かす)、塩漬年魚
(内臓を除き塩を詰めて重石で
押しをかける)、火干年魚(串に刺して
火で乾かす)、鮨年魚(内臓を除き
塩をして飯と交互に重ね押しをかける)、
など、様々な方法で保存が
出来るようになりました。

海藻は飛鳥時代から干物や塩蔵品にして
税として納められていたようで、
平安時代にもよく食べられていました。

平安中期の辞書ともいえる
倭名類聚抄によると、
ヒロメ、ニギメ、アラメ、ミル、
アマノリなど20種以上の海藻が
食用とされていました。

ところで、源氏物語の「常夏」の帖には、
川の鮎や加茂川の石臥などを目の前で
調理させて、という文章があります。

「親しき殿上人あまたさぶらひて、
西川よりたてまつれる鮎、
近き川のいしぶしやうのもの、
御前にて調じて参らす。」
(親しい殿上役人も数人集っていて、
桂川の鮎、加茂川の石臥など
というような魚を見る前で
調理して差し上げる。)「常夏」

貴族でも、魚は干物や塩漬けしか
食べられなかった当時に、
光源氏は回りの近しい殿上人を集め、
目の前で生の魚を調理して振舞いました。

この頃の光源氏が如何に栄耀栄華を
極めていたかが分かるエピソードです。

1 分で出来る
『ふふふふろしき~ふろしきぶるバッグ」

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