土曜日は食育ブログ♪平安時代の貴族と庶民の主食♪風呂敷ブログ継続5390日目 | 風呂敷研究家 つつみ純子の和文化研究所 

風呂敷研究家 つつみ純子の和文化研究所 

風呂敷文化研究家・和文化コンシェルジュのつつみ純子です。風呂敷を通して、日本文化と日本人の知恵をお伝えします。風呂敷講座の他、日本文化や和にまつわるセミナーも開催しております。

今年の「住まいのオーダメード館403」
のコラムは、紫式部の源氏物語に因み、
「平安時代衣食住」について書いています。

今日のブログは今年1月のコラム


源氏物語は54帖に渡る長編小説ですが、
衣類や住まいの描写に比べ、
食事や食べ物の記述は少ししかありません。

それでもいくつか食事の場面が出てきます。

「御粥、強飯召して、客人にもまゐりたまひて」(末摘花)

「御粥、強飯などまゐりてぞぞ」(東屋)

「御粥などまゐる方に目もやらず、」(若菜下)

これらの帖に「御粥」、「強飯」などがあり、
貴族の主食が米の飯であることがわかります。

ただ、当時の飯は、今のような
柔らかいご飯ではありません。

粳米を蒸したのが「強飯」、
「固粥」が今でいうご飯、
「汁粥」が現在のお粥、
という感じでしょうか。

「いとあつき、東の釣殿の出て給て涼み給ふ。おほみきまいり、氷水召して水飯など、とりどりにさうどきつつ食ふ」(常夏)

ここに強飯に水をかけて頂く
「水飯」が出てきます。

当時はまだお茶がないので、
強飯に水をかけて食べていて、
今のお茶漬けの冷製バージョンといえましょう。

ところで、この水飯の水、
水は水でも氷水とあります。

冷蔵庫などない時代、夏に氷を使うには、
冬の間に出来た氷を氷室で
大切に保管しておかなくてはなりません。

その非常に貴重な氷を使った水飯で
涼をふるまえることから、
源氏の権勢が偲ばれます。

当時の光源氏をはじめとする上級貴族は、
地方に荘園を持っていたので、
そこから租税として都に送られる
食料を食べていました。

米をはじめ、全国の特産品や山海の珍味が
彼らの食卓に並んだと思われます。

反して庶民の食生活は、
貴族に比べ質素なものでした。

稲作は天候に左右されるし、
税として供出せねばならなかったので、
庶民の主食は麦や粟、稗などの
雑穀が中心でした。 

食事の回数は朝と夕方の一日2回が基本で、
現在のように一日3食になったのは、
江戸時代中期以降といわれています。

皆様、バッグに一枚風呂敷を♪
皆様の有り難いご感想に感謝です♪
午前中にご参加の皆様の記念写真♪
午後は写真撮影前に帰られた方も
ありましたが、実は男子率高し♪
ご参加頂けた方々はまた来年も♪
まだの方も、来年の2月23日、
第5回ふろしきつつみまつりで
お待ちしております♪

風呂敷ブログ継続5390日目♪

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