今年の「住まいのオーダメード館403」
のコラムは、紫式部の源氏物語に因み、
「平安時代衣食住」について書いています。
今日のブログは今年1月のコラム
源氏物語は54帖に渡る長編小説ですが、
衣類や住まいの描写に比べ、
食事や食べ物の記述は少ししかありません。
それでもいくつか食事の場面が出てきます。
「御粥、強飯召して、客人にもまゐりたまひて」(末摘花)
「御粥、強飯などまゐりてぞぞ」(東屋)
「御粥などまゐる方に目もやらず、」(若菜下)
これらの帖に「御粥」、「強飯」などがあり、
貴族の主食が米の飯であることがわかります。
ただ、当時の飯は、今のような
柔らかいご飯ではありません。
粳米を蒸したのが「強飯」、
「固粥」が今でいうご飯、
「汁粥」が現在のお粥、
という感じでしょうか。
「いとあつき、東の釣殿の出て給て涼み給ふ。おほみきまいり、氷水召して水飯など、とりどりにさうどきつつ食ふ」(常夏)
ここに強飯に水をかけて頂く
「水飯」が出てきます。
当時はまだお茶がないので、
強飯に水をかけて食べていて、
今のお茶漬けの冷製バージョンといえましょう。
ところで、この水飯の水、
水は水でも氷水とあります。
冷蔵庫などない時代、夏に氷を使うには、
冬の間に出来た氷を氷室で
大切に保管しておかなくてはなりません。
その非常に貴重な氷を使った水飯で
涼をふるまえることから、
源氏の権勢が偲ばれます。
当時の光源氏をはじめとする上級貴族は、
地方に荘園を持っていたので、
そこから租税として都に送られる
食料を食べていました。
米をはじめ、全国の特産品や山海の珍味が
彼らの食卓に並んだと思われます。
反して庶民の食生活は、
貴族に比べ質素なものでした。
稲作は天候に左右されるし、
税として供出せねばならなかったので、
庶民の主食は麦や粟、稗などの
雑穀が中心でした。
食事の回数は朝と夕方の一日2回が基本で、
現在のように一日3食になったのは、
江戸時代中期以降といわれています。
皆様、バッグに一枚風呂敷を♪
風呂敷ブログ継続5390日目♪
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